昨日は、今借りている事務所の大家さんと飲んだ。
というのも、事務所の隣が大家さんの会社で、
今回、支社を閉鎖するにあたり、契約のこととか、
いろいろ相談するうち、そこの社長と親しくなった。
そして、僕の新しい転職先が決まったと告げると、
とても喜んでくれ、食事に誘っていただいたのだ。
僕が酔っぱらってもすぐ帰れるように、と、
僕の家のすぐ近くにある沖縄料理店を予約した。
泡盛のウコン茶割りで語り合った。
この社長さん、福建省出身の56歳、
メインでやっているコネクター販売の会社のほか、
薬局、しゃぶしゃぶ店、オーストラリアの土地開発
など、多種多様な業種に投資を行ない、
年収は十数億円、総資産はもう天文学的数字で、
それはもう、正真正銘のお金持ちなのであった。
そこまでのお金持ちとサシで飲むことなど
皆無な僕は、彼の頭の中がどうなっているのか
興味津々でいろいろ質問をしまくった。
文化大革命が終わった直後の1978年、
12歳の彼は、一家揃って香港へ移民してきた。
そこから、様々な苦労を経て薬局経営から始まり、
少しづつ事業を展開していったのだという。
彼のやり方は、投資にせよ、なんにせよ、
大株主にはならない、だった。
大株主なのは隣りの会社のみで、
そのほかは全て、興味を持った商売に投資して、
その配当を受け取る、という方式である。
もちろん、大失敗した事業も多々あるが、
大株主ではないので損失は少ない。
しかし、僕が興味を持ったのは、
そういった成功へのハウツーではなく、
彼のお金やビジネスに対する感覚だった。
お金は、蛇口をひねれば水が出るのと同じく、
入ってきて当たり前、出て行って当たり前、
という意識が彼の根底には流れていて、
大失敗して無一文になりそうになった時でも、
無くなるから使わずにおこうという感覚がない。
なので、俺は水をこんなにたくさん持ってるんだ、
どうだ、すごいだろう、とはならないのと同様、
俺には金があるんだ、お前より偉いとはならない。
だから、もう誰にでもごくごく普通に優しい。
彼にとってお金があるのは特別なことではなく、
威張ることでも、優越感の象徴でもないのだった。
彼は、僕が今よりも好条件で転職できたことを
何よりも喜んでくれ、心から祝ってくれた。
僕が小説を書いていると知ると、
出版社が見つからなければ出版社を作ればいい
俺が手伝ってやる、とまで言われた。
とにかくもう全てが全許容、
彼の中に〝否定〟という文字はないのだ。
こんなリアル大富豪と、個人的に接することなど
滅多にないと踏んだ僕は、自分の〝背後〟から、
彼の〝背後〟へ同調しようと努めた。
彼の感覚にチューニングすることで、
会社で給料を貰わないと豊かになれない、
という僕の〝檻〟を取っ払おうと考えたのだ。
すると、彼の豊かさの象徴はお金だけれど、
僕には僕の豊かさがあるのだ、と理解が起こった。
会社に勤めていようと、大富豪であろうと、
ニートであろうと、普通の家庭の主婦であろうと、
その最終着地点は全て、歓びと平安、だ。
そして、最後に僕が、
「僕が小説を書くのも、あなたが商売をするのも、
こうして一緒に酒を飲んで語り合うのも、結局、
その行きつく先は、歓びや感謝や至福や平安、
神の感じを味わいたいからなんだと思います」
と述べると、彼はひどく感銘を受けたようで、
そうなんだよ、そうなんだよ、と頷きながら、
何度もハグを交わし合ったおっさん二人、
なのであった。