さっき、Aちゃんのブログを何気なく読んでいて、
あの〝コンババ管理部長、上からえらそう事件〟は、
本当は僕自身が彼のように振舞いたかったんだ、
ということに、はた、と気づいた。
自分がひそかに演じたいと思っている自分を、
管理部長に投影して見ていただけだったのだ。
こんなこと、ブログでも何十回と書いてきたが、
いつの間にか〝ああ、それ知ってる知ってる〟
状態でスルーしていた。
やっぱり、頼りになるのは兄弟だ。
ありがとう、Aちゃん!
先週末は完全お籠りと決めていたので、
金曜のうちにAEONで大量の食糧を買ってきた。
で、今夜は自分で料理を作った。
ひとつ目は〝牛肉の和風サイコロステーキ〟
サイコロ状に切ってある牛肉を買ってきて焼く。
以上。
ポン酢をつけて食べるので、和風なのだ。
ふたつ目は〝ドイツ本仕込みカリカリソーセージ〟
ドイツの会社が造っているソーセージを炒める。
以上。
炒めすぎてカリカリになった。
なるべく皿とか洗いたくないので、
どんぶり鉢にひとつ盛りにし、割り箸で食べた。
お茶のコップも紙コップ。
これぞ男の料理。どうだ。ワイルドだろう?
ああ、美味かったあ!
それから、ディスカバリーチャンネルで、
『宇宙入門』シリーズを4時間くらい、
連続放送してたので見た。
消音にし、小説を書きながら、
映像だけを流していたので、
あまり真剣に見てないのだが、
そこで起きた直感が、
この空間そのものが意識だった、ということだ。
これまでは、意識がどこか別の場所にあって、
そこから時空という映像が投影され、
自分はそのスクリーンの中に入り込んでいる、
と思っていたのだが、どうやら素粒子理論でいけば、
意識が別の場所にあるのではなく、
すでに、この空間や物質そのものが意識である、
ということらしい。
窓の外で揺れる木々の葉擦れの音。
目の前のコーヒーカップ。
軒先を歩く猫。道路を行くバスや自動車…。
意識が時空それ自身であるならば、
空間や時間を削除していくことは、
意識そのものを削除していくことになる。
僕はこれまでどちらかと言えば、
〝何とか生命体からのメッセージ〟や、
〝あのスピ本に書いてあったこれ〟や、
〝アーテンやパーサが言っていたこと〟
のほうを信じてしまう傾向があった。
アーテンやパーサが言っていたことが、
物理の法則と同じであれば、
うん、そうそう、と受け入れる。みたいな…。
その逆だと、物理の法則のほうが間違ってる、みたいな…。
意識そのものが消えるのであれば、
どちらを信じる、なんてありえない。
最後は自分すらも消える。
結局、信じるのは、自分の核心から来る、
聖霊(ハート)のバイブレーションだけでいい。