香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神の体験

 

 

 

〝神の体験〟(ハートの体験?)が入ると、

 

大好き、愛してる、キュンキュン、多幸感、歓び、

 

といった愛の感覚と、

 

大っ嫌い、死ね、ゾワゾワ、憂鬱感、怖い、といった、

 

憎悪の感覚が全く同じものとして智覚されてくる。

 

この智覚があって初めて、全ての抵抗が止み、

 

今この瞬間に神が在る、という体験が起こる。

 

要するに、体験が全てであり、その体験は、

 

見ること、聞くこと、味わうこと、匂うこと、感じること

 

といった肉体器官の活動の中で認識される。

 

なぜなら、日常で感じている様々な感情は全て、

 

これら5官の働きを通して認識されているからだ。

 

逆に言えば、目、耳、鼻、舌、皮膚、がなければ、

 

夢の中に存在しているように見えている僕達には、

 

愛も、憎悪も、神も、自我も、知覚することができない。

 

なので〝神の体験〟もこれら5官を通して感知される。

 

 

 

 

僕にとって最初に〝神の体験〟が入ったのは、

 

沖縄で、ハレ師匠と一緒にいた時だった。

 

たしかあの時は、乙女ののりちゃんもいたと思う。

 

ホテルで雑談をしていた際、僕が兄貴を感じて、

 

「ぼくは兄貴とマブダチだぜい、イエーイ!」と、

 

調子こいて話していた時、ハレ師匠がおもむろに、

 

人差し指を僕の眉間に突きつけ、

 

「マブダチだと思っている〝それ〟は何ですか?」

 

と言われた瞬間、ガーンと全てが〝落ちた〟。

 

あと、新たな何かがバーンと〝入って〟きて、

 

その後はもう、わけも分らず、号泣しっぱなしだった。

 

それでも、香港での会社員生活に戻った途端、

 

現実に埋没して、その神の感覚は薄れていった。

 

そして、2019年、再度訪れた沖縄で、

 

ハレ師匠と再会し、いろいろ話しているうちに、

 

今度はがっつり〝神の想い〟そのものとなって、

 

ハートが一気に開いてしまった。

 

ハートからくる神の法悦があまりに真実すぎて、

 

そこからはもう、一切ブレなくなった。

 

テキストにはこう書いてあるのでどうのこうの、とか、

 

そんなもん、一瞬で吹き飛んでしまうほどの理解が、

 

瞬殺でバーン、と来た。(言葉では表現不能である)

 

そのとき、本当の意味で、智覚しかなくなり、

 

自己などいないことが明確になった。

 

当時、沖縄料理の店で、ハレ師匠を前に、

 

〝これやん!これやん!これしかないやん!〟

 

とうわ言のように連呼していたのを覚えている。(恥)

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

じゃあ〝神の体験〟が入れば、嫌な人も、嫌な現実も

 

全て愛に変わるのか、というと、そうではない。

 

すべてが〝そのまま〟で神なのだ。

 

大っ嫌いなまま大好き、不安なまま平安、となり、

 

だから〝なにもする必要がない〟となる。

 

(僕の場合は…です)