香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ひとつの望み

👆 大川の遊覧船

 

 

奇跡講座を実践している兄弟たちは、

 

正しい自分を反映している兄貴に全てを明け渡し、

 

夢の全てを赦すことで、夢から目醒め、

 

父が待つ故郷へ永遠に帰還する。

 

また、悟りや非二元を実践している兄弟たちは、

 

抵抗をやめて、今この瞬間に在る〝空〟に委ね、

 

勝手に湧き起こっている現実を相手にしないことで、

 

最終的な解放が起き、決着がつく。

 

これは、個の自分が、現実的な何かを強く望み、

 

それを手に入れるために奮闘する日常とは、

 

真逆の道を行っているように見える。

 

しかし、本当は何を望んでいるのか、

 

その望みの正体は何なのかを見極めると、

 

同じひとつの望みを見ていることがわかる。

 

 

 

 

例えば、

 

あなたの今の望みは何ですか、と問われたとして、

 

死ぬまで不自由なく暮らせるだけのお金が欲しい、

 

と答えたとする。(👈はい、これボクです!)(笑)

 

じゃあ、どうしてお金が欲しいのか、というと、

 

不自由なく暮らせるだけのお金があったら、

 

嫌な人と、嫌な場所で、嫌な仕事をしなくていい、

 

やりたいことができ、行きたい所へ行け、

 

将来を不安に思わなくてすむ、などなど、

 

いろいろな理由が出てくるだろう。

 

じゃあ、したいことができて、欲しいものが買えて、

 

将来の不安もないとはどういう状態なのかというと、

 

それは、

 

自由で、平安で、歓びの〝感じ〟を味わっている状態

 

だと言えるだろう。

 

要するに、本当はお金が欲しいのではなくて、

 

十分なお金があると思えた時の、あの安心した感じ、

 

心からリラックスした、平安な感じが欲しいのである。

 

 

また別の例で言えば、会社に面倒な人がいたとして、

 

この人さえいなければハッピーなのにと思ったりする。

 

しかし、本当の本当の望みは何かを見てゆくと、

 

毎日平安である、という〝感じ〟を欲している。

 

だ・か・ら、あの人がいなくなってほしい、のだ。

 

 

恋人がほしい、も深く愛される感じが欲しいのであり、

 

僕が小説を書くのも、感謝を共有したいからである。

 

そうやって見てゆくと、どんな望みも、最終的には、

 

愛している、有り難う、究極のリラックス、うれしい、

 

といった〝ハートの感じ〟へと行きつく。

 

つまり、僕たちは〝神の感じ〟だけを欲していたのだ。

 

 

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そして、

 

お金があってもなくても、好かれても嫌われても、

 

何かを成し遂げても成し遂げなくても、

 

すでに〝その感じ〟はいつでも味わえると智ること、

 

それが、

 

赦しであり、悟りであり、非二元なのだと思う。