👆 大川の遊覧船
奇跡講座を実践している兄弟たちは、
正しい自分を反映している兄貴に全てを明け渡し、
夢の全てを赦すことで、夢から目醒め、
父が待つ故郷へ永遠に帰還する。
また、悟りや非二元を実践している兄弟たちは、
抵抗をやめて、今この瞬間に在る〝空〟に委ね、
勝手に湧き起こっている現実を相手にしないことで、
最終的な解放が起き、決着がつく。
これは、個の自分が、現実的な何かを強く望み、
それを手に入れるために奮闘する日常とは、
真逆の道を行っているように見える。
しかし、本当は何を望んでいるのか、
その望みの正体は何なのかを見極めると、
同じひとつの望みを見ていることがわかる。
例えば、
あなたの今の望みは何ですか、と問われたとして、
死ぬまで不自由なく暮らせるだけのお金が欲しい、
と答えたとする。(👈はい、これボクです!)(笑)
じゃあ、どうしてお金が欲しいのか、というと、
不自由なく暮らせるだけのお金があったら、
嫌な人と、嫌な場所で、嫌な仕事をしなくていい、
やりたいことができ、行きたい所へ行け、
将来を不安に思わなくてすむ、などなど、
いろいろな理由が出てくるだろう。
じゃあ、したいことができて、欲しいものが買えて、
将来の不安もないとはどういう状態なのかというと、
それは、
自由で、平安で、歓びの〝感じ〟を味わっている状態
だと言えるだろう。
要するに、本当はお金が欲しいのではなくて、
十分なお金があると思えた時の、あの安心した感じ、
心からリラックスした、平安な感じが欲しいのである。
また別の例で言えば、会社に面倒な人がいたとして、
この人さえいなければハッピーなのにと思ったりする。
しかし、本当の本当の望みは何かを見てゆくと、
毎日平安である、という〝感じ〟を欲している。
だ・か・ら、あの人がいなくなってほしい、のだ。
恋人がほしい、も深く愛される感じが欲しいのであり、
僕が小説を書くのも、感謝を共有したいからである。
そうやって見てゆくと、どんな望みも、最終的には、
愛している、有り難う、究極のリラックス、うれしい、
といった〝ハートの感じ〟へと行きつく。
つまり、僕たちは〝神の感じ〟だけを欲していたのだ。
そして、
お金があってもなくても、好かれても嫌われても、
何かを成し遂げても成し遂げなくても、
すでに〝その感じ〟はいつでも味わえると智ること、
それが、
赦しであり、悟りであり、非二元なのだと思う。