👆 今日も新世界の夜は更けて…
世界を解釈することで、実相(実存)を歪めている。
何かを解釈することで分離を強化している。
ただ、解釈すら自分でしていないので、
自分が解釈をやめることなど不可能なことが解かると
できることは、一つ一つの解釈をやめることではなく、
立ち上がってきた解釈を見過ごすことだけである。
しかも、一瞬(0.00001秒/数字に根拠はない)だけ、
解釈を相手にしなければそれで十分なのに、
僕たちは、その一瞬すらも兄貴に捧げようとしない。
例えば、
まる一日、完全に自由な時間があったとしても、
ゲームをしたり、ツーリングをしたり(誰のことや)、
筋トレをしたり(オレのことか)、果ては仕事をしたり、
と、一瞬たりとも聖なる瞬間のために時間を割かない。
一瞬でも立ち止まって静かになったら、
罪悪感に扮した神の想いがわあーっと上がってきて、
大変なことになると思っている。
沈黙する、とは、見えているもの、聞こえているもの、
匂っているもの、味わっているもの、感じているもの、
だけに委ねきって(渡しきって)じっとしていることだ。
その解釈が完全に脱落した一瞬の隙をついて、
兄貴が、知覚を智識へと取り換えるのだ。
僕はこれまで、神からの最後の一歩は、
肉体を脱いでから実行されるものだと思っていたが、
幸せな夢は、今この瞬間に訪れる。
いや、もともと、そもそも、幸せな夢しかなかったのに、
僕たちが、それを直視してこなかっただけなのだ。
「でも今は色々あって余裕がないから、そのうち…」
「いいんです。それでも私は神に愛されていますから」
「とりあえず、旅行から戻ってから…(笑)」
まあ、いろいろあるとは思うのだが、
どうしても、思っているだけで、絶対にやらない。
聖なる瞬間は常に、今ではない、いつか、なのだ。
しかーし、何もしていない普通の人ならまだしも、
一応、ぼくらはコース兄弟なので、
これくらいは最低、本気出してやろうぜ、
と言いたかった。
で、この夏、僕も本気出します。
SIXPADを腰に巻きながら…(笑)(爆)