香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

一秒だって捧げない

👆 今日も新世界の夜は更けて…

 

 

世界を解釈することで、実相(実存)を歪めている。

 

何かを解釈することで分離を強化している。

 

ただ、解釈すら自分でしていないので、

 

自分が解釈をやめることなど不可能なことが解かると

 

できることは、一つ一つの解釈をやめることではなく、

 

立ち上がってきた解釈を見過ごすことだけである。

 

しかも、一瞬(0.00001秒/数字に根拠はない)だけ、

 

解釈を相手にしなければそれで十分なのに、

 

僕たちは、その一瞬すらも兄貴に捧げようとしない。

 

 

 

 

 

例えば、

 

まる一日、完全に自由な時間があったとしても、

 

ゲームをしたり、ツーリングをしたり(誰のことや)、

 

筋トレをしたり(オレのことか)、果ては仕事をしたり、

 

と、一瞬たりとも聖なる瞬間のために時間を割かない。

 

一瞬でも立ち止まって静かになったら、

 

罪悪感に扮した神の想いがわあーっと上がってきて、

 

大変なことになると思っている。

 

 

沈黙する、とは、見えているもの、聞こえているもの、

 

匂っているもの、味わっているもの、感じているもの、

 

だけに委ねきって(渡しきって)じっとしていることだ。

 

その解釈が完全に脱落した一瞬の隙をついて、

 

兄貴が、知覚を智識へと取り換えるのだ。

 

 

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僕はこれまで、神からの最後の一歩は、

 

肉体を脱いでから実行されるものだと思っていたが、

 

幸せな夢は、今この瞬間に訪れる。

 

いや、もともと、そもそも、幸せな夢しかなかったのに、

 

僕たちが、それを直視してこなかっただけなのだ。

 

「でも今は色々あって余裕がないから、そのうち…」

 

「いいんです。それでも私は神に愛されていますから」

 

「とりあえず、旅行から戻ってから…(笑)」

 

まあ、いろいろあるとは思うのだが、

 

どうしても、思っているだけで、絶対にやらない。

 

聖なる瞬間は常に、今ではない、いつか、なのだ。

 

しかーし、何もしていない普通の人ならまだしも、

 

一応、ぼくらはコース兄弟なので、

 

これくらいは最低、本気出してやろうぜ、

 

と言いたかった。

 

 

で、この夏、僕も本気出します。

 

SIXPADを腰に巻きながら…(笑)(爆)