僕が教えている学校は、家のすぐ近くにあるので、
講義のある日は、電動自転車で学校へ通っている。
それで、いつものように自転車を泊めようと、
建物裏手にある、守衛室前のスペースへ向かうと、
そのスペースで、5人ほどの日本人男子生徒が、
地べたに円陣を組んで座り、電子タバコを吸っていた。
これでは、自転車が止められない。
「ちょっと、ごめん!」と声をかけたが、
彼らは全く知らん顔で、大声でしゃべっている。
仕方なく僕は、なんとか彼らの間をすり抜け、
自転車を泊めると、職員室へ入っていった。
いつもなら、
「こいつら、邪魔やけど、自分が若かった頃も
こんな感じやったし、まあ、しゃーないかあ…」
くらいの気持ちで、何気なく通り過ぎてゆくのに、
なぜかこの日は、彼らの行為にカッチーン、ときて、
〝学校でタバコーっ?許せんっ!正さねばーっ!〟
という怒りの思いがむくむくと湧き上がってきた。
それで、授業が終わってから、事務局へ行き、
他の人の邪魔になるので注意してほしい、と言った。
ここは学校なのだから、学生が迷惑行為をしていたら
学校側がちゃんと注意すべきだ、と思ったからだ。
しかし、現行犯でないと注意するのは難しいと言われ、
納得いかない僕は、今度は守衛室で苦情を言った。
そこでも、
「うちで注意する権限とかないですし…」と返され、
ムッときた僕は、
「守衛室の前で胡坐をかいてタバコを吸っていれば、
注意するのは当然ではないのか」と、
ひとしきり守衛室の主任に文句を言って帰ってきた。
で、次の日も授業があったので自転車を泊めに行くと、
いつも挨拶をする守衛さんが、なんだかよそよそしい。
事務局の若い職員も、僕と目を合わせようとしない。
どうやら、昨日の僕の剣幕に、ドン引きしたようだった。
確かに昨日の僕は、兄弟に信を置いていなかったし、
今この瞬間のありように委ねてもいなかった。
現実に意味を持たせ、兄弟を罰したい、と思っていた。
もっと他のやり方があったはずなのに…、と、
家に戻ってからも、愛からの選択ができなかったこと
からくる罪悪感にさいなまれていた。
しかし、兄弟を罰したいという解釈に実体はなく、
罪悪感の正体が神であることははっきりしているので
探らず、分析せず、解釈せず、
ただ、さいなまれるなら、さいなまれるままに、
受け入れていた。
いま、僕によそよそしく振舞っている
守衛さんや事務の人に100%の信を置きなおす。
今の彼らの様子に委ねて、それを全て受け容れる。
すると、罪悪感がさっと愛の感覚へと反転し、
形容し難い愛の〝感じ〟そのものが戻ってきた。
僕に、よそよそしいなあ、と感させることが、
彼らの今の僕に対する〝愛〟なのだった。
気づいたら、今のまっさらから、また始めればいい。
そう思えた一日なのであった。