香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

通り過ぎる輝き

👆 くまモンかわいい

 

 

 

先週、2泊3日で、家族旅行で九州へ行ってきた。

 

去年、阪神が優勝した際に阪急旅行社が売り出した、

 

〝阪神優勝特別企画!阿蘇-別府デラックスの旅〟

 

に妹が申し込み、今回母と妹と僕とで参加したのだ。

 

 

朝7時半に集合場所の新大阪駅正面口に向かうと、

 

すでに多くのツアー参加者が集まっていた。

 

総勢36人で、定年を迎えたシニアのご夫婦が多い。

 

あとは、仲良しおばちゃんグループ、おひとりさま女性

 

など、親子で参加しているのは僕たちだけだった。

 

 

 

👆 菊池渓谷の緑は、色が他とちょっと違う

 

 

「はーい!それでは、私に付いて来てくださーい!」

 

という女性添乗員さんの掛け声とともに、

 

一同、ぞろぞろと新幹線のホームへと向かった。

 

これまで、全ての旅行や出張を、自分自身で手配し、

 

管理も行動も、ひとりで行なって来た僕にとって、

 

旗を持った添乗員さんについてゆく団体旅行は、

 

すっごく新鮮で、修学旅行のような楽しさがあった。

 

 



新幹線は、行きも帰りもグリーン車だった。

 

(値段の割に太っ腹。阪神、優勝してくれて有難う!)

 

10時半に福岡に着き、そこからバスで柳川へ…。

 

鰻のせいろ蒸しと、川下りで有名な柳川だが、

 

あいにくの雨で、川下りはできず、鰻だけを食べた。

 

 

 

 

その後、阿蘇へ向かったが、ここも濃い霧が出ていて

 

雄大な阿蘇の景色は見れなかったが、

 

霧に煙る高原もまた、神秘的で美しかった。

 

そして、菊池渓谷をめぐり、夜7時ごろ、

 

阿蘇温泉郷にあるホテルにチェックインした。

 

 

 

 

夕食は ①座敷で懐石 ②レストランでバイキング

 

の二択だったが、僕らは迷わずバイキングにした。

 

(なぜなら、いろんなお酒飲み放題だったから…)

 

この日、宿泊客の8割が外国人だということで、

 

レストランにはさまざまな言語が飛び交っていた。

 

母は、韓国から来た、田舎のおばちゃん軍団から、

 

韓国語でずっと、なんやかや話しかけられていたが、

 

意味がわからないなりに、すごく楽しそうにしていた。

 

そして、母が温泉に入っていた時も、

 

その韓国人おばちゃん軍団と一緒になり、

 

「露天風呂気持ちいいわよ。一緒に入りましょ!」

 

「そこ、段差があるから気をつけなさい」

 

「トイレは、あそこよ!今、誰もいないから行きなさい」

 

と、いろいろ世話を焼いてくれたのだという。

 

(聞き取れなくても、大体の意味は分かったらしい)

 

 

 

 

そういえば僕も、当日の朝、早く新大阪に着いたので、

 

集合場所近くのスタバでコーヒーを飲んでいたのだが

 

スタバを出る際、小さな手提げかばんを置き忘れ、

 

旅行ケースだけを持って出てきてしまった。

 

すると 「おにいちゃん、これ、忘れてんでー!」と、

 

隣に座ってたおっちゃんが、僕のかばんを持って、

 

店の外まで、わざわざ追いかけて来てくれたのだ。

 

僕は丁寧にお礼を言い、集合場所へと向かった。

 

そのあと、添乗員さんの後に付いて、

 

再度、そのスタバの前を通った際、ガラス越しに、

 

さっきのおっちゃんと目が合い、その時おっちゃんが、

 

忘れものに気をつけろよ、と言うように、

 

僕の鞄を笑顔で指さしながら手を振り、

 

僕も笑顔でお辞儀をしつつ、お別れをしたのだった。

 

👆 由布院の〝湯の花〟を作る家

    湯の花は湿疹やかぶれに効果抜群らしい

 

 

旅の中の、後々まで印象に残っていることというのは、

 

母にとっては、韓国おばちゃん軍団のことだったり、

 

僕にとっては、スタバのおっちゃんとのことだったりと、

 

意外にもこういう、一瞬すれ違っては通り過ぎてゆく、

 

刹那的な交わりの中にあったりする。

 

 

僕は、スタバのおじさんの名前も知らず、

 

今後、もう二度と会うこともないのだろうけれど、

 

僕のカバンを持って走ってきてくれたその瞬間の、

 

優しく温かい感覚は、おっちゃんの笑顔と共に、

 

永遠に記憶として定着するのだろう。

 

 

そしてこれは、人生という旅においても、

 

同じ事が言えるのではないかと思うのだ。

 

今この瞬間だけの〝ふれあい〟の中に、

 

一瞬、放たれる愛の輝きを、

 

見とめ、聞きとめ、味わってゆくのだ。

 

 

なぜなら、それが、

 

神が放つ〝愛の想い〟に気づくことであり、

 

意味づけをする前の、

 

やさしいなあ、うれしいなあ、

 

に留まることになる、と思うから。

 

 

👇 前回の九州旅行は7年前だった!

   と思ったら、2年前だった。

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天国に一番近い人

 

 

 

今、街録ch~あなたの人生、教えてください~

 

というYOUTUBEチャンネルにハマっている。

 

かなりハードでアウトな人生を歩んできた人たちが、

 

街角の公園や公共スペースにふらりとやってきて、

 

自分が歩んできた人生を語り、ふらりと帰ってゆく。

 

刑務所を脱走して、数十日間逃亡していた服役囚が、

 

幼少期からの壮絶な家族からの虐待や、

 

鑑別所内でのすさまじい体験を赤裸々に語ったり、

 

遠野なぎこ、米良美一、オリラジ中田、杉本彩、

 

といったヤバ系芸能人も多数出てきて、

 

それはもう、信じられない人生を顔出しで語るのだ。

 

また、インタビューする側も、ピンポイントな質問を、

 

容赦なくぶつけまくるので、ここをもっと聞けよ、

 

というようなストレスを見ている側に感じさせない。

 

 

 

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これら、壮絶な人生を語る人たちを見ていて思うのは、

 

彼らの表情に一種の〝明るさ〟が漂っていることだ。

 

よくそれで死なずに生きてこられたなあ、というような、

 

凄まじい体験を〝まあ、ちょっと大変でしたけどね〟

 

くらいの口調で淡々と語る彼らの達観した在りように、

 

一種の解脱しきったいさぎよさを感じるのだ。

 

 

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これはあくまで僕の推測に過ぎないのだが、

 

彼らは、幼少期から、虐待や暴力や病気など、

 

過酷すぎる状況が常態化した中で育ったため、

 

この状況を受け入れて生きざるを得なかったので、

 

凄惨な境遇に慣れきってしまっている。

 

いくら自分が抵抗しても、誰も助けてはくれないし、

 

自分で状況をコントロールすることなどできない、と、

 

人生の早い段階で〝悟って〟しまっているのだ。

 

なので、彼らの表情から放たれる淡々とした明るさは、

 

人生を完全に受け入れるしかなかったことからくる、

 

ある種の悟りのような明るさなのではないか、と思った。

 

 

 

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また、彼らは過去に体験した〝記憶〟を語っている。

 

そして、

 

記憶に付随して湧き出る様々な憎悪や罪悪の想いを、

 

ただ、消えてゆく姿として眺めることができた時、

 

記憶は、自分の頭の中にしか存在しない、

 

単なる夢の映像であり、何の力もないことが分かる。

 

 

そういう意味で、

 

何も考えられないくらい過酷な人生に身を置いた人は、

 

最も天国の近くにいる人たちなのかもしれない。

 

 

秘めたるが花

 

 

昔、

 

♬~男と女の間には、深くて暗い川がある~♪♩

 

という歌があったが(つくしさんは知ってる…くっ…)

 

突然、男女の性の方向性について書いてみたくなった。

 

まあ、独断と偏見に満ちているので、

 

こいつはホンマに、男女の事は何にも分ってないな、

 

という態で、読んでいただければ幸いである。

 

 

 

 

 

女性は、1人の男の中に1なる男性性を見るのに対し

 

男性は、無数の女性の中に、一つの女性性を見る。

 

 

全ての女性読者からの総スカンを覚悟で述べるなら、

 

男性の浮気は、厳密にいえば浮気ではなく、

 

複数の女性の肉体を同時に愛しながら、

 

その奥に在る、同じひとつの女性性を愛している。

 

一方、女性は、基本的に(あくまで一般論として)

 

一人の男性の中に一なる男性性を見てそれを愛する。

 

(※もちろん、そうでない男性や女性もいる)

 

 

 

 

 

女性性は、

 

一人の中に〝ひとつの神〟を見出すのに対し、

 

男性性は、

 

無数の中に〝ひとつの神〟を見出そうとするので、

 

たとえ、その女性との肉体の営みが、その時だけの、

 

たった一回こっきりの行きずりの行為であっても、

 

その行為の最中の今この瞬間は、真剣に愛しており、

 

純粋な愛(ハート)につながって、神を感じている。

 

(※どんな男性の行為もそうだとは言えないけれど…)

 

ただ男性の場合、

 

その一回一回で愛が完結してしまうので、

 

同時に複数の肉体を愛しても、何ら矛盾を感じない。

 

なぜなら、A子さんとB子さんの中に、

 

同じ〝ひとつのもの〟を見い出しているので、

 

そこに〝差〟を見ることがないからである。

 

 

 

 

 

一方、

 

女性の愛はどこまでも一なるものへと収斂してゆく。

 

一人の男性の中に在る一なる男性性(神)と繋がり、

 

その中で永遠の愛を感じていたいと願う。

 

それにはずっと〝一人〟を愛し続ける必要があり、

 

ある意味、結婚は、女性のための制度だといえる。

 

なぜなら、この制度がなければ、一人の男性を、

 

一生一人の女性のもとに引き留めておくことなど

 

到底不可能だからだ。

 

 

 

 

 

女性の愛はどこまでも深く探り、

 

相手の男性の全てを極め、知り尽くしたいと思う。

 

一方男性の愛は、相手を理解すれば理解するほど、

 

対象物に対する性的エクスタシーを失うのだ。

 

男性は、さらけ出されたものに興味を示さない。

 

何度も一人の女性だけとセックスをしていると、

 

性的興奮やエクスタシーを覚えなくなるのだが、

 

女性は、どうしてもこの点が理解できない。

 

 

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秘めたるが花、という言葉があるが、もし、女性が、

 

一人の男性の愛をつなぎ留めたい、と思うのなら、

 

絶対に男性の前で、全てをさらけ出してはだめだ。

 

もっとこうして、ああして、もっと私を見て、私を知って、

 

何でわかってくれないの、とやった時点で、

 

その女性はもう、彼にとって特別な存在でなくなる。

 

なぜなら男は、隠され、秘められたものに、

 

強烈に惹きつけられる生き物だからだ。

 

 

というわけで、ご精読、ありがとうございました。