香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

爆買い以外の自由

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昨日は、香港のデモがすごかった。

 

15年前の国家転覆罪の制定に反対するデモの時より、

 

はるかに人数がおおい。

 

本来なら、こんな日は外出を控えるのだが、あいにく、

 

不動産屋さんと部屋を見に行く約束をしていた。

 

それで、ちょうどデモ隊の波と鉢合わせしてしまった。

 

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長い長い植民地時代を生き抜いてきた香港人は、

 

万一に備えてお金を貯め、ひとたび事が起これば、

 

即座に外国へ逃げるのが定番のスタイルだった。

 

しかし今日、みんな、白いTシャツを着て歩いている。

 

気温は35度、誰だって、せっかくの日曜日の午後に、

 

わざわざ、こんな炎天下を歩きたくなんかない。

 

そのことからも、

 

もう逃げずに、自分たちの香港を守ろうとする、

 

彼らの強い意志が覗える。

 

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前回の国家転覆罪はなんとか制定を回避できたが、

 

今回、この引き渡し条例が可決、制定されれば、

 

香港に居住、または滞在している如何なる者も、

 

中国政府が要請すれば、理由を告げることなく、

 

いつでも、拘束し、中国へ連行してよいことになる。

 

以前から、

 

中共を批判した書籍を扱う書店のオーナーや、

 

記者たちが、こつ然と姿を消したりしていたが、

 

今後は、こういった事が合法化されるのだ。

 

 

香港トップの女性行政長官(日本で言えば総理大臣)は、

 

どんなことがあってもこの法案を通す、と息巻いている。

 

抗議する市民たちに対しては、

 

「いやなら香港から出て行けばいいじゃないの。」

 

と、平然と言ってのけた。

 

だが、香港市民には、

 

共産党から指名を受けた彼女を辞職させる方策がない。

 

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↑ 空港内のホテルにチェックインした夜、

   深圳(シンセン)空港内をぶらぶら散策する 

 

デモの様子を見ながら、これは僕の心の中なんだ、

 

と、自分の内側をじっと注視する。

 

本当は、このことで動揺しているのではない、と解かる。

 

これは、天国からの分離を投影した無数の映像の中の、

 

一つのストーリーに過ぎず、本当は国家も存在しないし

 

問題は、夢を見ている者の方にある。

 

 

聖霊兄貴を思い出す。

 

幻想を、赦す。

 

夢は夢であり、実在しないが故に、赦す。

 

ただ、見つめ、消えてゆく姿として、見送ってゆく。

 

そして、この夢の映像には何の意味も無かったことを

 

ただ観止め、凝視し、想い出してゆく。

 

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↑ だらっだら、な深圳(シンセン)空港の空港警備隊

   ケータイを見てる隊員もいるよ。

 

というわけで、いまは月曜日の夜、

 

深圳空港内のホテル、ハイアットリージェンシーにいる。

 

明日はここから、水墨画で有名な杭州へ飛ぶ。

 

この出張から戻ったあくる日からは、

 

超ハードスケジュールとなり、時間は一気に加速する。

 

中でも、大変なのは、引越しをどうするか、だ。

 

これまで引越しはずっとアート引越センターだった。

 

なので、今回もお願いしようと電話してみたら、

 

アートの香港支社は昨年クローズしていた。

 

で、今回はヤマト運輸香港にお願いしようと思って

 

電話をしてみると、以前アート引越センターにおられた、

 

日本人女性スタッフの方が出てこられた。

 

彼女は、8年前の僕の引っ越しを憶えてくれていた。

 

まだ、奇跡講座も、非二元も、バシャールも、

 

知らなかった時代のことが想い出され、

 

深い感慨に包まれたボクであった。

 

 

国家を赦す日

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ここへ来て、

 

心の中の罪悪感をただ見つめてゆくだけだ、とか、

 

心の中のびゅんびゅんを兄貴に明け渡すのだ、とか、

 

決断の主体へ戻った場所から赦しをするのだ、

 

といった、理論的な赦しから、

 

次々と眼前に立ち顕われてくる、人や物や出来事を、

 

ただ単純に、文字通りに〝赦して〟ゆくという、

 

とてもシンプルな赦しに至った今日この頃である。

 

 

僕たちは24時間、眠っている時でさえ、何かを考え、

 

何かを行ない、何かを見たり聴いたりしているわけだが、

 

その全ての時間に於いて、赦すことを忘れていないこと、

 

それが聖霊を想い出していることとなる。

 

 

赦しに難しい解釈など要らなかった。

 

兄弟がしているように見えることから感じる動揺を、

 

それは自分の心の中そのものだった、として赦す。

 

ただのでっち上げであり、起こっていないが故に赦す。

 

 

もうまさに、

 

赦す、という言葉の意味の通りに、ただ赦せばよかった。

 

赦しは、本来、言葉では説明できないものであり、

 

それは、ある種の〝感じ〟あるいは〝感覚〟でもある。

 

 

なぜなら、赦そうとした時の、どこか愛おしいような感覚、

 

赦している最中に感じる、全てを肯定するような感覚、

 

そして、赦した後の自分が癒されてゆく感覚は、

 

実践を通して体験し、深まってゆくものだと思うから…。

 

 

ただ、皮肉なことに、この単純な赦しに至るまでに、

 

心の中の罪悪感をただ見つめてゆくだけだ、とか、

 

心の中のびゅんびゅんを兄貴に明け渡すのだ、とか、

 

決断の主体へ戻った場所から赦しをするのだ、

 

という過程を経る必要がある。

 

 

そして、

 

前回の記事で書いたような赦しの後に訪れるのは、

 

相手を赦せば、自分の心の中が赦され、癒される、

 

という事実だ。

 

 

そこが腑に落ちると、あとは実践をしていくだけである。

 

これも、それも、あれも赦すのみ。

 

夢の世界で、良いとされる事も、悪とされる事も、赦す。

 

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というわけで、

 

明日(日曜)は、香港で大規模なデモが行われる。

 

 

もともとは、中国と香港の間で、殺人や詐欺など、

 

凶悪な犯罪を犯した者が相手国へ逃亡した際、

 

互いに犯罪者を引き渡しましょう、という、

 

〝犯罪者引き渡し条例〟の制定を検討していたのだが、

 

あるとき、そこへ、

 

〝香港内に滞在する者は、国籍にかかわらず、

 

 中国政府が要請すれば、いつでも中国国内に連行し、

 

 取り調べを受けさせることができる。〟

 

という一文が加えられた。

 

この条例が立法局を通過すると、香港にいるだけで、

 

理由の如何に関わらず、中国政府が連行すると言えば

 

いつでも連れて行かれることになる。

 

また、財産も、没収される可能性があるというのだ。

 

 

日本で、安倍総理を批判しても逮捕されることはないが、

 

今後、香港で中国政府を批判すれば投獄される。

 

 

その条例に対する抗議デモが、明日、香港で開かれる。

 

しかし、今の香港は、たとえ選挙に通ったとしても、

 

中国共産党が認めた人しか議員になれないので、

 

現職議員はみな共産党の言いなりであり、

 

今回の条例も、すんなり可決されるとみられる。

 

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国家を赦す。

 

自分の心が作り上げた、幻想の国家を赦す。

 

ただ〝赦す〟という文字の通りに赦す。

 

それだけ…。

 

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自意識過剰物語

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今週水曜日だったか、会社のトイレで用を足している時、

 

さっき、本社の管理部へメールで送った資料に、

 

不備があったことを〝ふっ〟と、想い出した。

 

それで、トイレから出たあと、すぐさま資料をリバイスし、

 

どこをどのように変えたかを書いて再度メールをした。

 

すると、しばらくして、管理部のある担当者から、

 

さっき送ったメールに対する返信がきた。

 

「書いてある意味が全く分かりません。

 

 忙しいのは分かりますが、もっと丁寧に書いて下さい。」

 

という内容だった。

 

自分が送ったメールを再度読み直してみると、やはり、

 

文章がおかしく、変換ミスもあり、どう見ても意味不明だ。

 

すぐに、お詫びの返信メールを入れたのだが、それから、

 

びゅんびゅんびゅんびゅん、出てくる、出てくる、

 

僕の心の中で、赦しの真骨頂が始まった。

 

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僕が普段、業務で使っている言語は、

 

日本語、広東語、北京語、英語、ベトナム語、なのだが、

 

例えば、

 

広東語で長時間話をしたり、漢文の長い文章を書いた後

 

急に日本語を使おうとすると、言語モードが切り替わらず

 

日本語の表現がヘンになってしまったりする。

 

で、今回も、この問題メールを送る前に、

 

中文の契約書を作成していたのが原因で、

 

日本語の文章がおかしくなってしまったのだ。

 

もちろん、本人はそのことに全く気づいていない。

 

 

まあ、表面的な原因を説明すればこんな感じなのだが、

 

心に戻って見てみると、真の原因はそこではない。

 

 

というのも、このメールは、

 

他の関係者にもCCが入っていたため、

 

複数の人が「意味不明だ」という僕に対する

 

批判的な管理本部担当者の文章を読んだことになる。

 

 

〝みんなの前で攻撃された!恥をかかされた!〟

 

〝みんなからダメなやつと思われたのではないか〟

 

〝人前で僕のプライドを傷つけたアイツは死刑だ!〟

 

 

自分を攻撃してきた相手への怒りや恐怖、そして何より、

 

周囲の人から同情され、憐れまれている惨めな自分、

 

というヘドロのような想いが、沸々とこみ上げてきた。

 

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昼休み、応接室のソファに胡坐をかき、

 

ブランケットにくるまって、自分の心の中と向き合った。

 

込み上げる毒素のような感情を見つめ、

 

〝神から攻撃された。〟〝神から疎まれている。〟

 

〝父からダメなやつだと烙印を押された。〟

 

〝なんで父は僕にこんな仕打ちをするのか。〟

 

といった、神への間違った信念を注視してゆく。

 

そこから見えてきたのは、神から攻撃されるくらいなら

 

同僚から攻撃された方がまだマシだ、という想いだ。

 

そう。

 

〝まだマシ〟な方を選んだのは自分だったのである。

 

 

「これは全部、君の妄想なんだよ。」

 

「これは君の勘違いで、ただの間違いに過ぎない。」

 

「直視して、それが本当ではないと見抜きなさい。」

 

「これはみんな、君の心の中だけで起きている。」

 

J兄貴の声なき声に耳を傾ける。

 

 

おそらく、現実レベルの事で言えば、

 

今回の出来事は回避不能だったと思う。

 

僕はただトイレで〝ふっ〟と資料の不備に気づき、

 

〝ふっ〟と資料をリバイスしてメールを送り、その結果、

 

〝ふっ〟と思いもかけない動揺に遭遇してしまった。

  

なので、なんであんなメールを送ってしまったのか、

 

と、自分を責めるのではなく、

 

ただ赦すためだけに状況を使う。

 

だって、出てこないと赦せないから…。

 

 

このようにして、起こった出来事に対してではなく、

 

自分の心の中だけに焦点を合わせ、赦してゆくと、

 

〝メールで攻撃され、プライドを傷つけられました事件〟

 

は、単なる笑い話、つまり、ジョークとなってゆく。

 

まあ、僕が送ったメールに関して、実際のところ、

 

誰も何も思ってはいないし、

 

それほど人は、僕に対して関心など持ってはいない。

 

全ては僕の心の中の自意識過剰劇場にすぎないのだ。

 

 

そもそも罪悪感とは〝罪悪を持っている感じ〟

 

という意味であり、罪悪そのものではない。

 

ただ自分がそう感じているだけの話である。

 

その〝感じ〟を見つめ、ウソだと看破してゆくことで、

 

自分の勘違いを認識し、正気へと戻ってゆくのだ。

 

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そして今回、改めて自覚したのが、

 

眼前に顕われる他者こそが自分である、という事実だ。

 

もし、誰かに対して、

 

「こいつ、ウザい、ムカつく。」「この人馬鹿じゃないの?」

 

「死ね。」「何もそんな言い方することないじゃん!」 

 

と思ったなら、ウザくて、馬鹿で、死ぬのは自分であり、

 

そう自分で自分に宣言していることになる。

 

故に、今回の一件で、目の前にいる兄弟を赦すことは

 

自分が赦されることなのだ、と改めて思い知った。

 

 

そうやって昼休みを終え、午後の業務に復帰した頃には

 

罪悪感からくる怒りはただの〝てへっ〟に変わっていた。

 

以前も書いたが、ほんと、

 

赦しを実践するために働いているボクである。