香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

赦せない想い

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数年前の僕は、

 

起きてくる事象に対して、何らかの思い、例えば、

 

恐怖や、憎悪や、緊張、といった思いが湧いたら、

 

ソッコーで、起こってない、世界は無い、罪悪もない、

 

と、自分に言い聞かせ感満載な赦しをしていた。

 

まあ、そういう時期も、今になって思えば、

 

必要だったのかもしれないが、

 

今は、あんまりやらない。

 

 

なぜなら、

 

ある出来事を見て、様々な思いが錯綜するのは、

 

心の中にそれなりの〝赦せない思い〟があるからで、

 

その〝赦せない思い〟を無視してバンッと否定したり、

 

逆に、神しかない、といきなり究極へ舵を切っても、

 

赦しは起きないことを身に染みて感じているからだ。

 

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神だけが在る、神が全て、というのは真実だが、

 

例えば、本人は安や緊張の真っ最中にあるのに、

 

それでも根性で、神だけがあるーっ、とやって、

 

不安や緊張が、さっ、と神だけに変わるのであれば、

 

今頃、全員父が待つ故郷へ帰還済みのはずである。

 

また、すでにその段階にいる人なら、もう最初から、

 

神の想いを不安や緊張に歪めて感じる、

 

なんていう回りくどいことはしないと思うのだ。

 

 

なので、僕の場合、

 

まずはその〝赦せない思い〟をちゃんと観てやる。

 

誰かから攻撃をされたように感じて怖いのであれば、

 

過去(または前世)のどんな自分が、

 

他者となって自分に会いに来ているのか、を観る。

 

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そしてまた、これが不思議なのだが、そうやって、

 

今、この瞬間に在りながら、本音で自分に語りかけるうち

 

色々な答えや気づきが、ぽっ、ぽっ、と上がってくる。

 

やがて、その答えや気づきは、聖霊兄貴から来ている

 

と感じられてくる。

 

すると今度は、聖霊へ直接語り掛けるようになり、

 

「ああ、聖霊に教えてもらうとはこういうことだったのか」

 

と、直接的な理解が起こるようになるのだ。

 

それで、最後には、

 

ああ、自分は愛を求めていたんだ、愛されたかったんだ、

 

と、この恐怖も、神の愛だったことが理解できたとき、

 

聖霊による、ある種の癒し(赦し)が起こる。

 

 

僕の場合、そうなった瞬間に初めて、

 

起こってない、世界は無い、罪悪もない、が受け入れられ

 

神だけが在る、という言葉が真実として入ってくる。

 

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今日は、昼一番から〝元〟恐怖の部門長会議だった。

 

今ではもう、恐怖は感じないが、緊張はする。

 

しかし、

 

この緊張感は〝神の想い〟として感じられているので、

 

それはもう神であり、緊張感ではなくなっている。

 

妻も、夫も、子供も、上司も、友人も、神だった、

 

となった時点で、

 

彼らは神という〝ひとつ〟に集約され、

 

すでに神という一つの解釈となっている。

 

世界は無い、自我は無い、とは単なる否定ではなく、

 

解釈の入れ替え、の結果なのだと思う。

 

 

これまで、どんな時も、

 

僕たちは神しか感じてこなかったのだ。

 

 

神時間

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香港政府からマスクが送られてきた。

 

何回でも洗って使え、布の間に銅のシートが入っている。

 

着用してみると、使い捨てマスク特有のチクチク感がなく

 

デザインもいいし、立体構造なので息苦しさも感じない。

 

今後はこのマスクを使おうと思っている。

 

 

で、エドワードに「このマスクいいよね」と言ったら、

 

「オレは申請してない」という返事が返ってきた。

 

訊けば、コロナが収まりつつある香港では、

 

政府が中国国歌侮辱罪を成立させようとしていて

 

それに反発する若者の抗議活動が活発化している。

 

国歌を変え歌で歌ったり、斉唱の時に起立しなかったり

 

しただけで、逮捕され、罰せられるのだという。

 

それで、普段から政治意識の高いエドワードは、

 

抗議の意味を込め、政府配布のマスクはしないらしい。

 

 

じゃあ、

 

政府から支給される14万円も貰わないのかな?

 

こんど訊いてみようっと…。(笑)

 

(👆やめなさいっ。お前はいつも一言多いんだから!)

 

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話は変わって、毎朝、電車で通勤する15分ほどの間、

 

ずっと、今や神や自分を全肯定しながら過ごしている。

 

電車は始発のホンハム駅から乗るため必ず座れるので、

 

僕はこの15分間を〝神時間〟と名付けて楽しんでいる。

 

 

今、この瞬間、どんな思いが湧き上がってきたとしても、

 

オーケーオーケー、赦す赦す、それでいい、大丈夫、と、

 

ただただ自分を全肯定し続けてやるだけなのだが、

 

そうやって〝自分〟にオーケーを出し続けていると、

 

心がとても安心して、ハートがわわわと上がってくる。

 

やがて、自分を通じて神を肯定していたことに気づく。

 

 

なんていうか、

 

〝今〟がただ流れて行っている感じ…。

 

〝今〟を引き止めず、流れるに任せている。

 

〝今〟に在る神を抵抗せずにただ見ていることで

 

〝今〟が肯定され、結果、神以外が流れ去ってゆく。

 

 

下車する駅に着き、席を立つと、乗客たちがみな、

 

神の子の実在に輝いて見える。

 

もう、みんなどこか、光っていてカッコいいのだ。

 

これは比喩ではない。本当にそう見える。

 

 

というわけで、今後どう変化していくかは分からないが、

 

〝自分〟〝今〟〝神〟を全肯定することが、

 

今の僕の、赦しの基本姿勢となっている。

  

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ハートの涙

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リビングのエアコンから水漏れがしているのだ。

 

ずっとではなく、忘れた頃にボタボタッ、と来る。

 

これが、詩人の伊藤整とかの手にかかると、

 

〝僕のエアコンが、悲しみの涙を流している…〟

 

みたいになるのだろうが、泣きたいのはこっちである。

 

 

二週間ほど前にも、同じような水漏れが発生し、

 

その時は、チョイ姐がいる間に修理屋の親方が来て、

 

入念にエアコンの中を洗ってくれた。

 

にもかかわらず、

 

また水が漏れ、今度はソファがびしょ濡れになった。

 

即行大家さんに電話をし、再度修理を手配してもらった。

 

クーラー等の設備は大家さんの所有となるため、

 

修理も全て大家さん持ちなのだ。

 

で、今日午後から修理屋さんが来るというので、

 

仕方なく、昼から有休を取り、大急ぎで家へ戻った。

 

 

修理屋さんが言うには、エアコン自体は正常で、

 

排水パイプのつまりもないとのこと。

 

前回水洗いした時の水がまだ残っていたらしく、

 

その水を抜く作業をしてもらった。

 

「本当の水漏れはこんなもんじゃないからね。

 

 詰まってたら、もうダダ漏れなはずなんだよ。」

 

と、なぜか親方は人差し指を立て、自慢げに言った。

 

それだったら、前回、ちゃんと水を抜いといてくれよ!

 

ま、これで、まだ水漏れするようなら、もう抵抗はやめ、

 

扇風機で香港のあっつ―い夏を乗り切る覚悟である。

 

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エアコンの修理が15分で済んでしまったので、

 

それから書斎にこもり、執筆をしたり、色々して過ごした。

 

なんか、だいぶ〝今に在る〟ことに慣れてきた。

 

神も、兄貴も、ハートも、天国も、平安も、愛も、

 

他のパラレルにも〝いま、この場所〟から入ってゆく。

 

僕の場合は、

 

〝自我も無い、世界も無い、罪も無い〟ってやるより、

 

〝神も、霊も、ハートも、愛も、全部ここにあった、

 

 そして自分もまた、全部そのものだった!〟

 

ことに気づくことで、本当に無かったという理解が起こる。

 

うまく言えないけど…。

 

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