香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

よさげで選ぶ

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👆 香港版成城石井であるシティスーパーに

  高知の〝夜須〟が売られていた。

  9000円のスイカなんて誰が買うんだろう?

 

 

いくら、神だ、聖霊だ、と言っても、

 

まだ肉体を持っている僕たちは、やっぱり、悩む。

 

 

この服とあの服、どっちを着ようか、

 

今日の晩御飯、何にしようか、

 

A社とB社、どっちに入社しようか、

 

あらゆることで悩む。

 

 

こんなとき、僕は、

 

同じ悩むなら〝好きで〟悩みたいと思っている。

 

この服も好き、あの服も好き、どっちにしよう、

 

カレーも食べたい、ピザも食べたい、どっちにしよう

 

A社もいいしB社もいい、うう悩むぅ、みたいな…。

 

 

A社は給料がちょっとなあ、でもB社は休みが…、

 

ではなく、

 

どんな選択も、大好き、という観点から選んでみる。

 

それが、ある意味、聖霊の選択、となる。

 

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僕は仕事であれ、プライベートであれ、

 

〝いい感じ〟かどうかで選ぶようにしている。

 

なぜなら、この〝いい感じ〟こそが、

 

ハートの悦(エクスタシー)の感覚に近いからだ。

 

 

例えば、出張するとなったとき、

 

どの航空会社にするかを選択する際、

 

香港航空は安いから、とか、

 

キャセイはフライトの時間がいい、とか、

 

全日空は機内食が充実している、といった、

 

頭の選択〝だけ〟ではなく〝感じの選択〟もする。

 

で、迷ったら〝感じの選択〟を優先させる。

 

 

今回の出張は、全日空の方が安いけど、

 

JALのほうが、なんか〝よさげ〟な感じがする、

 

となったらJALにする。

 

もちろん、その〝よさげ〟に理由なんか無い。

 

それで、

 

実際、JALに乗ってひどい目に遭っても構わない。

 

それが本当に〝ひどい目〟かどうかなんて、

 

意識の僕には知りようもないからだ。

 

本当はJALでひどい目に遭ったことで、

 

仕事がとてもうまくいったのかもしれない。

 

なので、

 

自分の〝いい感じ〟には抵抗しないことにしている。

 

それが、兄貴を信頼することとなっている。

 

 

 ハートのエクスタシーがよく分からないという方は、

 

日々の選択を〝いい感じ〟を軸にして選ぶのも、

 

いい練習になるかもしれない。

 

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香港では、2週間後から、住民全てがPCR検査を

 

受けることになった。

 

その間、完全ロックダウンされるとか…。

 

ひえええー、これってガチなお籠りじゃん。

 

陽性だったらどうしよう、怖いよーっ!(👈ウソ…)

 

 

快感香港

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👆 街中が空き店舗だらけ

 

このコロナ禍は、僕の意識を、

 

ますます内面世界へと推し進めつつある。

 

仕事も、私生活も、制限される中、

 

一日の大半が半瞑想状態で過ぎてゆく。

 

 

沈黙を通して意識の内部へダイブし、

 

これまで自分や他者だと思っていた意識が

 

ただシュワシュワ湧き立つ湯気で、

 

どこにも実態など無かったことに気づき、

 

その事実をじっと静観することで、

 

聖霊兄貴である〝心〟が見えてくる。

 

心が実相(神)を感じた瞬間、自分が、

 

霊(スピリット)だったことが思い出され、

 

自分はここにはいなかった、という、

 

悪夢から覚めた後に感じる

 

深い安堵感が込み上げてくる。

 

 

この境地へ至れたのも、

 

ある程度の社会生活が制限されたことで、

 

意識の活動がスローになり、結果、心に

 

〝内なる平和〟が生まれたからだろう。

 

 

昨日、道を歩いていた時、突然、

 

〝もう、絶対に神しか信じないっ!〟

 

と、確固とした言葉が心の中に響いた。

 

〝何があっても神だけを信じるっ!〟

 

言い聞かせるとか、決意するとか、

 

そういうのではなく心から神だけだ、と、

 

腑に落ちてストンと受け入れられる感じ。

 

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で、今日は、社長との個人目標面談だった。

 

会社が打ち出した目標達成値を基に、

 

個人の目標を設定し、社長に発表する。

 

僕は、財務資料の簡素化なんちゃらとか

 

フィリピン工場の財務指導なんちゃら、

 

といった事項を、シートに沿って発表した。

 

 

ZOOMの画面に映る社長から、

 

いまは、フィリピン工場へ行けないので、

 

僕が主幹となって、先方の財務チームと、

 

毎週ZOOMミーティングを開いてはどうか

 

と提案された。

 

一瞬、メンドクさっ、という想いが、

 

シュワシュワ湧く。

 

 

「ああ、こんなのウソだ。

 

   自分はもう、神以外、何も信じない。」

 

この言葉で、神(実相)を思い出し、

 

〝神だけだった。ああ、よかったあ〟と、

 

僕の中に、深い安堵感が広がった。

 

 

ただ、これは僕だけかもしれないけれど、

 

神しかない、神だけが在る、を体感すると、

 

椅子やテーブルが神になり、

 

上記の社長とのZOOMでのやり取りも、

 

神との対話のように感じられてくる。

 

椅子も幻想、会社も幻想、だから無い、

 

ではなく、全部が神だった、となる。

 

 

まるで認知症患者のように、

 

意識はすぐ、真実を忘れてしまけれど、

 

その都度、神を思い出してゆく。

 

 

神以外は信じない。神だけを信じる。

 

神だけが在る。神以外は実在しない。

 

 

この言葉の本質を、

 

実際に〝体感〟できていることが、

 

とてもとても、うれしい。

 

沈黙平安

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兄弟平安、シュワシュワ平安、ハート平安、

 

スマホ平安、ワイン平安、トイレ平安、生ごみ平安、

 

と、先日の記事で書いた、あの『平安経』が、いま、

 

自分の中で一大マイブームを起こしている。

 

今日もエドワードが、通勤交通費をはやくくれ、

 

と言ってきたので、静かに両手を合わせ、

 

通勤交通費平安、と言ったら、めちゃウケた!

 

そして、もう一人の日本人に、ビール腹平安、

 

と言ったら、うるさい、と言われた。

 

 

ひょっとしたら、これ、すごいかも…。

 

五味先生の世界平和の祈り以上かもしれない。

 

単語の後ろに平安をつけて唱えるだけで、なんか、

 

すっと心が落ち着き、赦せた気がしてくる。

 

 

そして、どうしてもこの『平安経』が欲しくなった僕は

 

中国国内の友人や陳弁護士にまでチャットをし、

 

入手をお願いしまくった次第である。

 

 

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というわけで、沈黙平安、神平安、と、

 

ガンガンにやりまくっていたら、いつの間にか、

 

愛の気持ちが、ぞぞぞぞーっ、と上がってきて、

 

どうしていいかわからないので、とりあえず、

 

その愛の気持ちを周囲に放っているボクである。

 

 

認める 👉 沈黙 👉 観る 👉 愛 👉 放つ

 

という感じで、最後はもう、電気クラゲのように、

 

放ちながらゆらゆら道を歩いている。

 

 

そうなのだ。

 

ここにいて、愛だけを放っているだけでいいのだ。

 

何かをやろうとする必要もなく、語る必要もない。

 

ただ、黙って兄弟を見つめ、愛だけをシュワシュワ

 

湧かせている存在となる。