香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ふたつの世界

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光の磁場(高速回転する粒子の層)の拡がりが

 

実際に見えている、と豪語して憚らない僕だが、

 

一日中この光の磁場の上で生活するにつれ、

 

幻想である現実世界(見えている世界)と、

 

本質側の世界(磁場側の世界)が、

 

ますます乖離してゆき、それと同時に、

 

肉体の自分と、無限の自己である自分が、

 

二人存在しているような感覚に陥っている。

 

 

どういうことかというと、本質としての自分は、

 

無限の磁場の上で神を感じていながら、

 

肉体としての自分は普通に現実で生活している。

 

まるで自分が二人いて、其々が別々の世界から

 

互いを観察しているような感覚なのである。

 

 

もっと日常レベルで説明すれば、

 

肉体を持った自分は、足に怪我をしたり、

 

路面電車の中に財布を置き忘れたりして、

 

病院へ行ったり、置き忘れた財布が見つかって

 

ほっと胸をなでおろしたりしているが、その間も、

 

全てを智っている本質の自分は肉体の背後で、

 

その様子を全肯定で観察している。

 

そして、どっちも自分、みたいな…。

 

 

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磁場の上にいて、本質の自分の意識でいると、

 

現実のスクリーンが透けたように見え、しだいに、

 

本質の自分が主体となって、

 

肉体の自分を通して世界を見ている感覚になる。

 

 

そして、本質の自分とは、兄貴のことだ。

 

兄貴とは、気づいている本質の自分であり、

 

それが、肉体の自分と同化し始めている。

 

 

だから、

 

肉体の自分はない、とか、肉体の自分が消える、

 

ということではなく、もともと肉体としての自分も、

 

全体の中の一つの側面であり、神であった、

 

という事実に気づけば、肉体の自分も含め、

 

自分が無くなることなどないことが分かる。

 

なので、今の僕の中では、

 

全部神だったという意味で肉体の自分はない、

 

というふうに理解できている。

 

 

〝あなた次第〟という傲慢

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自分は今、自分が創造した夢の中にいるのだ、と

 

真の認識と体感が生まれているボクである。

 

 

「この人、何か苦手だ、嫌だ、ムカつく、怖い」

 

と思っている他者が、実は、外へと追いやった、

 

自分自身の姿だったと心の底から気づけた時、

 

愛を叫びながら他人の振りをして出てきた自分を

 

再度、愛として迎え入れることができると知った。

 

 

僕の場合、身近な人の中ではもう、

 

苦手とか怖いというような人はいなくなったのだが

 

テレビのコメンテーターや事件を起こした人、

 

または、レストランの店員さんなどの中に、

 

他人の振りをして出てきた自分を発見したりする。

 

それを見とめ、聞きとめ、味わい、受け入れて、

 

愛として背後の兄貴へと返してゆく。

 

 

そうやって、あらゆる他者を赦し続けてゆくと、

 

自分の中で愛へと変わった彼らが、大手を振って

 

再度、この夢の現実に会いに来てくれる。

 

そして、彼らが愛として現われているのを見て、

 

ああ全ては神だった、神だけだった、と気づける。

 

 

だから、日常の現実や肉体としての自分は、

 

幻想であり、真実ではなく、よって重要ではない、

 

と、ないがしろにされるようなものでは決してなく、

 

自分が〝無意識下〟で何を信じているかを知り、

 

それを愛に解釈し直す大切な〝場〟なのだ。

 

 

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👆 僕のお気に入りのチリの赤ワイン

  モングラスのラベルが一新されたよ

  黒ワインと言われる濃厚なカルメネール

  これが一本660円だなんて信じられない

  何万円のワインより美味いと感じる

  日本でも売っていることを祈るよ!

 

 

また、この幻想の現実は、自分が、自我か神か

 

どちらを選択しているかを目撃する場所でもある。

 

奇跡講座の勉強会などでよく、

 

自我か神か、もう一度選択しなおしなさい、

 

と言われたりするが、これを僕の言葉で言うと、

 

自我か神か、もう一度〝感じ〟直しなさいとなる。

 

 

いくら、私は神を選択します、と宣言したところで、

 

神の愛を感じていなければ、何の意味もないし、

 

僕にしてみれば、自我もまた愛を求めて出てきた

 

神の子の一つの側面でしかないので、

 

自我とちゃんと向き合い、感じてやると、

 

それは愛であり、かみだった、と絶対解かる。

 

そういう意味で、自我はないのだ、と言える。

 

 

選択するという行為は、頭でやっているが、

 

感じるという行為はハートで行なっている。

 

じゃあ、

 

神の愛を感じるとはどういうことなのかと言うと、

 

今感じている、怒り、嫉妬、歓び、感謝、不安、を

 

ただ、正直な気持ちでちゃんと感じること、

 

それらを全肯定して、受け入れてやることである。

 

その上で、自分が忌み嫌って恐れていたものが、

 

聖霊兄貴や神と同じものだった、と理解し直せる。

 

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よくスピのマスターなんかが、

 

眠りと目醒め、自我と神、

 

どちらを選ぶかは〝あなた次第です〟

 

などと言ったりするが、

 

〝あなた次第〟という言葉が好きではない。

 

「私は目醒めを選びますがあなたはどうしますか

 

 それはすべて〝あなた次第です〟」

 

なんて、いくらそうだとはいえ、愛がなさすぎる。

 

それよりも〝自ら力強く決断してください〟

 

の方がしっくりくる。

 

 

どんな苦しい環境に居ようとも、

 

自分はここでやってゆく、と

 

自ら力強く決断していれば、

 

もうそれは神を感じているのである。

 

 

現実は幻想で世界は無い、の真の意味は、

 

それらは全部神の愛だった、の中に在る。

 

 

自分に気づいている

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ずっと狭い都心にいると息が詰まる、ということで

 

旅行気分を味わおうと、東涌シェラトンホテルの

 

19階にあるサンセットグリルへ行ってきた。

 

このレストランは大仏で有名な大嶼山近くにあり

 

都心からは電車を乗り継いで1時間少々かかる。

 

テラス席からは海と啓徳空港が一望でき、

 

離発着する飛行機を眺めながらワインが飲める。

 

僕たちは5時前くらいにレストランに到着し、

 

日が暮れるまでテラス席で外飲みした。

 

その後、屋内でステーキディナーをいただいた。

 

この日の香港の気温は13℃ほどだったが、

 

屋外用ストーブが焚かれたテラス席は、

 

シャツ一枚で十分過ごせるほど暖かかった。

 

 

ここはステーキが評判だということで、

 

いろいろ注文してみたが、中でも、

 

粗塩で食べるポークチョップは絶品だった。

 

店員さんのサービスも素晴らしく、

 

お客を差別せず、どの客にも優しく親切だった。

 

 

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👆 飛び去る飛行機は30分に一本程度

  入境を厳しく制限しているせいか、

  やってくる飛行機は一台も見なかった

  

静かで優雅な〝自分に気づいている時間〟

 

を過ごせて本当に幸せ!

 

自分に気づいているとは、

 

今、幸せを感じている自分に気づいていることだ

 

と分かる。

 

 

潮の香り、海を照らす青い月、夜の空気、

 

美味しい料理、人々の話し声、ストーブの炎、

 

自分が何を感じているかに気づいている意識。

 

それがたとえ、不安や恐怖であったとしても、

 

それもまた愛の想いであることに気づいている。

 

そしてこれこそが、

 

〝赦せている状態〟なのだと…。

 

 

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レストランからインスタライブで配信をした。

 

僕にとってインスタライブは、

 

もうなんか、人に見てもらおうというより、

 

今、この瞬間の自分の感情の動きを捉え、

 

記録しておくためのものになりつつある。

 

ブログだと、あとで思い返して書くことになるので

 

〝その時の今〟に感じていた事との間に、

 

どうしてもギャップが生じてしまうのだ。

 

 

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というわけで、明日の夜(木曜の夜)は、

 

インスタ配信で、講義をしようかなと思っている。

 

講義と言ってもそんなタイソーなものではなく、

 

ハートと神について15分ほど語ろうと思う。

 

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とまあ、こんな感じで、

 

やりたいことと、やっていること、

 

思っていることと、やっていることが、

 

一致し始めている今日この頃の僕である。

 

(インスタ:@hoshitani)