香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

〝あなた次第〟という傲慢

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自分は今、自分が創造した夢の中にいるのだ、と

 

真の認識と体感が生まれているボクである。

 

 

「この人、何か苦手だ、嫌だ、ムカつく、怖い」

 

と思っている他者が、実は、外へと追いやった、

 

自分自身の姿だったと心の底から気づけた時、

 

愛を叫びながら他人の振りをして出てきた自分を

 

再度、愛として迎え入れることができると知った。

 

 

僕の場合、身近な人の中ではもう、

 

苦手とか怖いというような人はいなくなったのだが

 

テレビのコメンテーターや事件を起こした人、

 

または、レストランの店員さんなどの中に、

 

他人の振りをして出てきた自分を発見したりする。

 

それを見とめ、聞きとめ、味わい、受け入れて、

 

愛として背後の兄貴へと返してゆく。

 

 

そうやって、あらゆる他者を赦し続けてゆくと、

 

自分の中で愛へと変わった彼らが、大手を振って

 

再度、この夢の現実に会いに来てくれる。

 

そして、彼らが愛として現われているのを見て、

 

ああ全ては神だった、神だけだった、と気づける。

 

 

だから、日常の現実や肉体としての自分は、

 

幻想であり、真実ではなく、よって重要ではない、

 

と、ないがしろにされるようなものでは決してなく、

 

自分が〝無意識下〟で何を信じているかを知り、

 

それを愛に解釈し直す大切な〝場〟なのだ。

 

 

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  モングラスのラベルが一新されたよ

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  これが一本660円だなんて信じられない

  何万円のワインより美味いと感じる

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また、この幻想の現実は、自分が、自我か神か

 

どちらを選択しているかを目撃する場所でもある。

 

奇跡講座の勉強会などでよく、

 

自我か神か、もう一度選択しなおしなさい、

 

と言われたりするが、これを僕の言葉で言うと、

 

自我か神か、もう一度〝感じ〟直しなさいとなる。

 

 

いくら、私は神を選択します、と宣言したところで、

 

神の愛を感じていなければ、何の意味もないし、

 

僕にしてみれば、自我もまた愛を求めて出てきた

 

神の子の一つの側面でしかないので、

 

自我とちゃんと向き合い、感じてやると、

 

それは愛であり、かみだった、と絶対解かる。

 

そういう意味で、自我はないのだ、と言える。

 

 

選択するという行為は、頭でやっているが、

 

感じるという行為はハートで行なっている。

 

じゃあ、

 

神の愛を感じるとはどういうことなのかと言うと、

 

今感じている、怒り、嫉妬、歓び、感謝、不安、を

 

ただ、正直な気持ちでちゃんと感じること、

 

それらを全肯定して、受け入れてやることである。

 

その上で、自分が忌み嫌って恐れていたものが、

 

聖霊兄貴や神と同じものだった、と理解し直せる。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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よくスピのマスターなんかが、

 

眠りと目醒め、自我と神、

 

どちらを選ぶかは〝あなた次第です〟

 

などと言ったりするが、

 

〝あなた次第〟という言葉が好きではない。

 

「私は目醒めを選びますがあなたはどうしますか

 

 それはすべて〝あなた次第です〟」

 

なんて、いくらそうだとはいえ、愛がなさすぎる。

 

それよりも〝自ら力強く決断してください〟

 

の方がしっくりくる。

 

 

どんな苦しい環境に居ようとも、

 

自分はここでやってゆく、と

 

自ら力強く決断していれば、

 

もうそれは神を感じているのである。

 

 

現実は幻想で世界は無い、の真の意味は、

 

それらは全部神の愛だった、の中に在る。