ということで、行ってまいりましたヴィパッサナー瞑想。
本当にこの十日間は、修行、修行の連続だった。
一日12時間くらい瞑想をした。ただ、瞑想と言っても、
お花畑にいるような、光と愛に満たされるような、
気持ちのいい瞑想ではなく、正に修行そのもので、
表面では静かに座っていながらも、内面では、
細胞の隙間から絶え間なく上がってくる
様々な穢れと猛烈に格闘する毎日だった。
こんなこと比べても意味のないことなのだけれど、
ヴィパッサナ―が奇跡講座と大きく違う点は、
帰還先の違いと聖霊の不在だ。
正確な意味で、純粋非二元でもない。
奇跡講座の到達点が神への帰還だとすると、
ヴィパッサナーの到達点は解脱(一者の意識)であり、
聖霊の代わりに、忍耐強く懸命な修行が必要となる。
そうやって、行に入った最初の数日間は、
自分がこれまで信じてきた信条や教理と比較し、
あそこは同じ、あそこは違う、と、あれこれ挙げ連ねる
ことを繰り返していたのだが、そのうち、そんなことは
どうでもよくなってしまった。意味がないからだ。
結果、神の子を赦し、エゴを愛で癒すという
経験を通して、決断の主体と聖霊、ハートと神が、
縦に直列で繋がった瞬間、聖霊の声を直接聞いた。
やり終わった感想としては、この瞑想法だけで、
人生が変わったり、悩みが解消したり、
病気が治ったり、ということは決してないが、
自分が信じている宗教的教理や、
スピリチュアル的信条を実践していくうえで、
それを強化し、微調整をしてくれる役割は大きい。
また、スピ本を何冊も読み、誰々はああ言っている、
あそこにはこう書いてある、ということに長け、
自分が感じている感覚から逃避している人にも、
大きな効果があると思う。
ということで、ヴィパッサナー瞑想初日である。
まず、京都から電車とバスを乗り継ぎ、そこから、
迎えの車に乗って、目的地の瞑想センターへ…。
周囲に民家もなく、車も滅多に通らない山中に、
その瞑想センターの建物はあった。
センターに到着し、男女別々の食堂で、
部屋の割り当てを受ける。
他の人は床に布団を敷いて寝る8人部屋だが、
僕は運よく外国人用のベッドの部屋に入れた。
ここなら自分のスペースも確保でき、
布団も敷きっぱなしでOK!
ベッドの下に荷物も収納できる。
ルームメイトは、ベッカム似の西洋人と、
バングラディッシュから来た小柄なおじさん、
それから身長が2メートル近くある香港人と、
ハレ師匠タイプの丸刈り出家型日本人が二人だ。
とりわけ、この香港人は個性的で、長身な上に
痩せていて、髪をお尻くらいまで伸ばしているので、
後ろからだと、どう見ても仲間由起恵にしか見えない。
こういう個性的な面々だが、会話を交わすことも、
目を合わせることも禁じられている中で、
彼らの行動もかなり個性的で面白かった。
夜、食堂に集められ、戒律に関する説明を受けた。
聖なる沈黙、男女の分離、身体の接触をしない、
殺生をしない、盗まない、期間中は敷地内に留まる、
など、全ての戒律に同意させられた。
その後、瞑想ホールで最初の瞑想を習った。
瞑想ホールでの座り位置も厳格に決められていて、
ここでも僕は運よく一番後ろの壁際の席になった。
お蔭で、壁に凭れながら瞑想することができ、
これにより、肉体的負担をかなり軽減できた。
生徒は、男性30人、女性35人(数えた)で、
最後尾から男性だけをみると、外人7人、
丸刈り悟り系8人、ロン毛インドさすらい系7人、
あとは20代から30代の若い子ら、というところか。
中央の玉座に、80歳前後の小柄な女性指導者が、
薄い布を巻きつけたような衣を着て座している。
講義は全て創設者ゴエンカ氏のテープを使って
行なわれ、その指導者はテープの出し入れを行う
のみで言葉は一切発しないのだが、後になって、
とてつもない愛と慈しみで僕たちの成長をサポート
し続けてくれていたことを知り、ものすごく感動した。
彼女は、まったく、だれかから称賛されたり、
すごいと言われたり、感謝されることなど、
まったく望んでいなかったのだ。
部屋に戻ると、ベッカムが熱を出して唸っていた。
なぜか彼はセクシーなパンツ一丁で寝ていて、
男性生徒の統括マネージャー(この人とだけは会話
をしてもよい)から薬をもらっていた。
ベッドに横になると窓から満天の星空が見えた。
宿舎にも、瞑想ホールにも、トイレやふろ場にも、
ガスファンヒーターが入っていて暖かい。
瞑想中は暑くてTシャツになるほどだった。
こんな風にして、
怒涛の瞑想初日が終わったのであった。