最新のバーチャルリアリティ(VR)を紹介していた。
30分の短い番組だったが、すごく興味深い内容だった。
テーマはズバリ〝究極の没入感〟だ。
どれだけバーチャルの世界に没入できるか、について、
最新技術を、あの手この手で解説していた。
まず、ヘッドマウントディスプレイと呼ばれる
目全体を覆う投影ゴーグルを装着する。
これまでの投影ゴーグルは、決められた映像しか
映し出すことができなかったが、今では、
バーチャル空間に自由に絵が描けるコンテンツや、
VRの中で自由にプレイできるスポーツゲーム、又は
小さいころに住んでいた街並みを再現できるVRなど、
より没入感満載なVRが開発されている。
例えば、
揺れを感知するセンサーの精度を高め、
追従誤差をゼロにすることで、身体の動きに合わせて
映像が誤差なくついてくるようになったり、
視野角も現在の人間が見ている空間視野と同じ、
120度くらいまで広げられるようになったことで、
没入感を限りなく高めることができるのだという。
また、こんなにもVRが進化した背景には、
スマホやゲームの技術をVRゴーグルに応用することで、
安価にVR空間を作れるようになった、
という要因が大きいらしい。
しかし、現在のVRはさらに進化しており、
視野だけではなく、音やにおい、触覚までもが、
リアルに体験できるようになってきている。
番組では、サンドバッグをリアルに感じながら叩く
というVRが紹介されたていたが、これは、
繰り出す力と速さによる感じ方の強さを、
綿密にプログラムして、表現されているのだという。
そして、VRの研究はさらに進み、
実際には直線の円柱を触っているのに、
画面に映る卵をバーチャルに触らせることによって、
触角の感じ方までもを変化させられるという、
疑似触角まで作ってしまった。
この技術により、
実際にはぶよぶよのゴムを触っているだけなのに、
ボールの映像と組み合わせることで、それが、
ボールの触覚になる、という具合だ。
究極なのが、360度見渡せる全周天カメラを使い、
イラストやVRではなく、360度の実写された映像で、
VRを再現できるようになってきていることだ。
実際に、雪山に行き、吹雪を体験したり、
ものすごい美男美女になって、擬似恋愛をすることも、
近い将来には可能になるだろうと述べていた。
いやあ。ここまでくるともう、こっちも立派な現実だよ。
もっと仮想現実を利用して大いに楽しもう、
みたいな趣旨で番組は進行していたが、
僕は全く逆の意味を感じてしまった。
だってこの現実がすでに幻想の仮想空間(VR)なのに、
また、その中にもうひとつのVRを創って入り込み、
新たに別の夢を見るなんて、僕には絶対あり得ない。
まさに、〝実相〟へと向かう方向とま逆をいっている。
僕たちはいつしか、普段生活しているこの現実世界が、
VRだということを忘れ、毎日どっぷりと、
恐怖や憎悪や分離を疑似体験をしながら過ごしている。
その世界からの逃避としてエゴは,
VRというもうひとつの空間を用意し始めたのだ。
一体いつまで天国から逃げ続けるつもりなのか、
と、ホトホト感心してしまう。
この番組は、ある意味、
いま自分がリアルだと思っているこの現実空間も、
これと同じ仕組みで創られているVRなのだ、
ということに気づかせてくれる反面教材だと言える。
きっと、聖霊兄貴から見た僕たちは、
天国の光の中にありながら、奇妙なゴーグルを装着し、
手足をバタバタさせ、狂ったようにギャーギャーと
逃げ惑っているようにしか見えてないのかもしれない。
最近、中国では歩きスマホによる事故が多発している。
スマホをしながら台所を歩いていて、
プロパンガスにつまづき、爆発して大やけどをしたり、
列車とホームの間に落ちたり、車に轢かれたりと、
これまでは、歩きスマホをしながらも、
まだ目の片隅で現実空間を追いながら歩いていたのが、
今は、画面の中に完全没入してしまう人が増えている。
前回僕が日本へ帰国した際にも、
一緒にいた女の友人が、歩きスマホに没入するあまり、
空港で一瞬迷子になり、僕たちとはぐれてしまった。
バーチャルの中のバーチャル。
天国の光が近づくと、エゴは新兵器を次々と繰り出し、
よいこの僕たちを誘い込む。
よい子の僕たちは何の躊躇もなくそれに飛びつき、
新たなVRを本物と思い込み始める。
スマホの画面の中に真の光はない。
投影ゴーグルの中に真の幸福はない。
僕たちは虚像の灯りに飛び込む蛾ではない。
僕たち自身がすでに光であることを思い出すのだ。