香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

〝彼〟が復活した日

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痛いよおーぅ!

 

今日は朝から全身筋肉痛である。

 

しゃがめない、走れない、階段をのぼれない。

 

歩くだけで大胸筋にズキズキ響いてくる。

 

これまで、筋肉痛は数多く経験してきたが、

 

こんなにすごいのは初めてだ。

 

それでも、

 

二か月ぶりの筋トレで壊れた筋繊維が、

 

急速に修復されてゆく感触がなんとも心地よい。

 

ここまでくるともう、変態、ですな。

 

 

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というわけで、

 

昨夜、部屋で一人瞑想していたときのことだ。

 

全身の力を抜いて、今への抵抗を止め、

 

背後の無限の全体に深く入り込んでいると、

 

ある映像が心のスクリーンに映し出された。

 

 

僕は、見知らぬ街にいる。

 

通りを一人歩いていると、着かず離れず、

 

ずっと僕に寄り添うようについてくる男がいた。

 

色の白い若い男で、アジア人だった。

 

彼はずっと心配そうな表情で僕を見守っている。

 

僕に何かあれば助けねば、とでもいうように、

 

懸命に追いかけてくる。

 

だが、近づいてくる気配はない。

 

通りを少し行くと、路上で何かを売っている

 

露天商の前に大きな人だかりができていた。

 

僕はその露天商が売っている〝なにかよい物〟

 

を買おうと必死になった。

 

そのとき、遠くで僕を見守っていた〝彼〟が、

 

僕の代わりに支払いをしようと、

 

黒革の財布を取り出したのがわかった。

 

瞬間「あっ、僕の兄貴だっ!」と理解した。

 

僕は人だかりを押し分け、彼に近づいて行った。

 

彼の前で、僕は彼をじっと凝視した。

 

彼の表情は慈愛に満ちている。

 

ずっと僕に寄り添い見守ってくれていた、

 

いわば僕の守護神だった。

 

彼は、

 

いつも心配そうな面持ちで僕をみつめていた。

 

僕は、彼に向かって、手を差し出した。

 

彼が僕に革の財布を手渡そうとしたその瞬間、

 

ぞわぞわと全身が震えだしたかと思うと、

 

大きな〝ありがたさ〟が込み上げて来て、

 

放っておいてごめん、ありがとう、大好きだ、

 

と叫びながら、僕は大声で号泣していた。

 

 

何か大きな愛の存在が僕の中に復活し、

 

もう何があっても離れない、絶対についてゆく、

 

と涙を流しながら、実際にそう叫んでいた。

 

 

〝彼〟はまさに僕だった。

 

全てに気づいている僕だった。

 

僕は〝彼〟に導かれ、最後は〝彼〟になる。

 

〝彼〟が一緒なので、もう何も怖くない。

 

もう絶対に〝彼〟しか信じない。

 

〝彼〟が愛そのものであるように、

 

僕もまた愛そのものの存在なのだった。

 

 

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1時間ほど経って、ようやく冷静さを取り戻した。

 

僕はようやく、

 

〝彼〟の方へ自ら駆け寄っていったのだ。

 

〝彼〟はこの瞬間をずっとずっと待っていた。

 

僕が流した涙は〝彼〟の歓びの涙でもあった。

 

 

今に開いて抵抗せず、

 

そのままの自分を許容することは、

 

〝彼〟を受け容れることでもある。

 

逆に、

 

できない自分、欠けている自分を恥じることは

 

〝彼〟を遠くに拒絶しているのと同じである。

 

なので、どんなことがあっても、

 

罪悪感や自分責めで、

 

絶対に自分を痛めつけてはならない。

 

なぜなら、

 

他人を恐れて自分の自尊心を無視することは、

 

〝彼〟を痛めつけているのと同じであるからだ。 

 

 

責める、ないがしろにする、恥じる、怯える、

 

自分自身や、真の自己である〝彼〟に対して、

 

そんなひどい仕打ちをしながら、

 

「聖霊、私を導いてください」とやっている。

 

そんなの絶対におかしいと気づくべきである。

 

それは、いじめっ子が、

 

誰かをガンガンイジメておきながら、

 

大好きだよーっ、と叫んでいるのと同じである。

 

そんなんで、聖霊の導きなど、

 

得られるわけがないではないか。

 

 

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他人を赦すとか、愛で観る、とか、そんな事より、

 

先ずは自分である。

 

自分が腹ペコで餓死しそうなのに、

 

まだ、愛だ、感謝だ、、と人に尽くそうとする。

 

他人が攻撃してくる際に発するその言葉は、

 

これ以上もうイジメないでくれ、お願いだよお、

 

と、自分が自分に発している哀願の言葉だと、

 

気づくべきである。

 

 

だから、〝彼〟を受け容れた時、

 

感謝よりも何よりも、僕から出た言葉は、

 

ごめんなさい、だった。

 

 

なんか、熱く脱線してしまった。

 

それでは、

 

支離滅裂なまま、おやすみなさい。