今日は2週間ぶりに、トレーナーと筋トレをした。
胸の筋肉は、すでにある程度仕上がったので、
これからは、背中を重点的に鍛えていくという。
それで、背中ばかり4種類のマシーンをやった。
ガンガン追い込まれ、もう息も絶え絶えだった。
背筋って地味な筋肉だが、ここを発達させると、
逆三角形の男らしい背中になるらしい。
それに最近少し痩せすぎなので、もうそろそろ、
炭水化物を増やした方がよい、とも言われた。
えっ、痩せすぎ? おお、なんて素敵な言葉!
話は変わって、最近瞑想をしている時だけでなく
一人電車に揺られている時、道を歩いている時、
スーパーでレジ待ちをしている時、カフェにいる時
果ては、仕事中、会議中、入浴中、食事中など、
あらゆるシーンで、背後の神に開いていることを
意識しながら過ごしている。
ヒマさえあれば、背後の無限の全体へと開き、
ハートの愛の歓びに気づきながら生活している。
以前は、意識が前のめりになっていたり、
恐怖や不安を感じたり、瞑想をしている時だけ、
背後に在る無限の存在(神)を想い出していた。
しかし今は、少しでも一人の時間ができると、
即座に背後へと還り、開いたままにしている。
なぜ意識的にこういうことをやるかというと、
やはり、肉体を持って夢の世界に存在していると
すぐに背後を忘れてしまうので、こういう日常の、
コマ切れの時間に〝気づいて戻る〟ことは、
とても大切だ、と思ったのだ。
例えば、スーパーのレジで順番を待ちながら、
ずっと、背後側の神へと〝開いた〟感じでいる。
何かを得ようとか解決しよう、という意図を持たず
ただ、背後に向けて、オープンに広がっている。
そうやって、何度も何度も繰り返しているうちに、
なんか、軽い瞑想状態で日常を送るようになり、
その瞬間、意識は無限へと拡大している。
だが、愛で過ごす時間が多いからと言って、
平安で幸せな出来事しか起こらないのか、
と言えば、決してそうではなく、
腹も立つし、悲しい思いもするし、不安にもなる。
実際、何だオマエ、と言い合いをしたりする。
なんていうか、
こんなこと思っちゃダメ、そんなこと言っちゃダメ、
こんなことになったらどうしよう、
というのも含めて、愛として悦んでいる。
とうわけで、後ろ側 (神側/兄貴側)へ、
開きっぱなしの今日この頃である。