とうとう、事務所に僕、独りぼっちになっちゃった。
先日まで、あーでもない、こーでもない、と、
仕事上のやり取りをしていたのに、
いざ、ひとり取り残されると、何とも寂しい。
清掃のおばさんが来ただけで、
テンションが上がったりする。(笑)
エドワードのデスクに残っているインボイス類、
日本人同僚の机の上にある商材の数々、など、
先日まで彼らにとって、とても重要だったものが、
こうしていまは廃棄されるのを待っている。
思えば、工場やオフィスに人がたくさんいた頃は
ウザい、ムカつく、コノヤロー、嫌い、使えない、
など、きいぃーっ、となる瞬間もしばしばだったが
そんな彼らが居なくなったら居なくなったで、
何とも言えない寂寥感が込み上げてくる。
廃墟マニアの人って、
こういう部分にエクスタシーを感じたりするのかな
と、ふと思った。
こうしてしばし、中国の工場や香港事務所で、
すったもんだやっていた頃の記事を読み返し、
ノスタルジーに浸っていた時、
僕の周囲から人影が消えてしまったのは、
僕が赦しを実践してきた結果なのではないか、
ということにハタと気づいた。
ある意味、僕が彼らを消したのだ。
過去の記事を見返してみると、
自分に気づき、愛に気づき、神に気づき、
兄弟全てが愛の化身だった、と理解するにつれ、
いままで、赦しどころだった兄弟たちが、
一人消え、二人消え、
次々と全体に統合されてゆく様子がうかがえる。
これまでは、自我の投影として、
同僚や友人の姿で映し出していた兄弟たちが、
今度は愛を反映させた存在となり、
別の兄弟に姿を変えて、再度僕に会いに来る。
これから出会う彼らは、
姿を変えた同じひとつの〝神〟なのだ。
こうして、いつかは僕も、他の兄弟と同様、
この幻想の世界から永遠に去る時が来る。
その直前に見ている夢はきっと、
至福な歓びに満ちた平安な夢であるはずだ。
👇 人が消えてゆくシリーズ
というわけで、
トレーナーとの筋トレも今月一杯で終了するし、
僕のこの会社での生活も5月28日で終わる。
そして、全てが一旦終了するこのタイミングで、
このブログも閉鎖することにした。
よって、記事の更新は5月末までとし、
6月からは完全休止して、
以後、頃合いを見計らい、
正式にクローズしようと考えている。
6月からは、小説の創作に全精力を注ぎ、
作品の完成と共に香港から去って、
台湾へと旅立つつもりだ。
それでは、残り少ない期間ではありますが、
よろしくお願いいたします。
👇 更新しました!