香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

スモールモヤモヤ

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〝二時間並んで買えたマスクがたったの7枚!〟

 

〝彼女がウラで、私の事をあんな風に言ってたなんて〟

 

〝今日着て来たこの服、ちょっと失敗だったかも…〟

 

〝この事をあの人に知られたら、またなんか言われる〟

 

〝今月の支払いどうしよう。第一私の給料は安すぎる〟

 

 

僕たちは、

 

何かしら〝モヤモヤ〟しながら毎日を生きている。

 

これが自分の人生を一変させるような一大事だったら、

 

何はともあれ、腰を据えて赦そう(解決しよう)とするが、

 

上に書いたような不快感は、もう普通になりすぎて、

 

「ま、そのうち…」と普通にスルーしてしまいがちだ。

 

しかし、こういった〝スモールモヤモヤ〟こそが、

 

僕達がいかに狂っているかを知るためのカギとなる。

 

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前回の記事で、あるドキュメンタリー映像を紹介した。

 

87歳で認知症のママリンは、自分が囚人だと思っており

 

一体自分は刑務所に入るようなどんな罪を犯したのか、

 

と、何度も何度も自分の娘に問い続ける。

 

その都度、娘が、ここは刑務所ではなく、自分の家で、

 

ママは囚人でもなんでもない、と根気よく教える。

 

しかし、娘が質問にひとつ答えるたびに、

 

「ここはどこ?あんた、だれ?」とママリンは聞き返す。

 

そのたびに娘は 「あなたの娘の章子です。」 と答える。

 

 

さっき、ご飯を食べたばかりなのに、まだ食べてない、

 

と駄々をこねる認知症の老人を見て、

 

もうちゃんと食べましたよ、と微笑みながら言えるのは、

 

僕たちが、それは真実ではないことを知っているからだ。

 

これと同じで、大嫌いなあの人が私を攻撃してくるーっ、

 

と苦しむ僕たちを見て、それは起きていないよ、と、

 

微笑みながら平然と聖霊兄貴が言えるのは、

 

認知症の老人に対する僕たちのスタンスと同様、

 

本当に起きていないと分かっているからなのだ。

 

 

要するに、

 

「また、あの人から、嫌なことを言われた。」

 

と、日常生活の中で僕たちがモヤモヤするのと、

 

「自分は刑務所に入るようなどんな悪いことをしたのか。」

 

とママリンが思うのは、

 

全く同じレベルのことを言っており、

 

どちらもただの思い込み(認知機能障害)である。

 

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「あなたの考えることは何から何まで間違っていて、

 

 全部ズレまくっているので、もう、一切、金輪際、

 

 考えていることを本当だと思うことをやめなさい。」

 

と、聖霊兄貴から警告が入る。

 

考えることを止める、のではなく、

 

考えていることが本当だと思い込むことを止める、

 

というのがミソで、考えを止めようとすることよりも、

 

考えていることは、認知症の症状が出ているのだ、と、

 

見破ることが先決なのだ。

 

 

僕が軽度の認知症である父と話しているとき、

 

父が、頭の中で思い込んでいる妄想の方ではなく、

 

僕が言っていることを信じてくれたら、

 

父はどんなに楽で平安だろうか、と思うのだ。

 

これと同じことを兄貴も思っている。

 

〝あなたが考えていることは何から何まで全部、

 

 トンチンカンでズレているのだから、

 

 それに気づいた時点で、こちらに一切任せなさい〟

 

と…。

 

 

イラっとする上司にイラっときたとき、

 

忙しすぎて頭がくらくらするようなとき、

 

子供の生意気な態度にカッチーンッときたとき、

 

こんな自分はダメダメダメ、とヘコみそうになったとき、

 

あ、これって、認知症の症状が出ているんだな、

 

と〝認知〟してゆくのだ。

 

正気への第一歩は〝認知すること〟から始まる。

 

 

 

 

僕の専属認知症専門医

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👆 〝大押〟は質屋さんと言う意味

 

連日小雨が降り続き、少々肌寒い香港である。

 

そういえば、SARSがピークに達した2003年の4月も、

 

じめっと暗い天気が続き、気が滅入ったのを覚えている。

 

 

東京都の小池知事が発した自粛要請を受け、

 

うちの会社も、東京支社が一斉自宅待機を開始した。

 

日本では、先日の三連休やK-1で感染した人たちが、

 

来週月曜日辺りに、クラスターを起こすとの見方もあり、

 

予断を許さない状況だと元コンババ部長が言っていた。

 

5月まで全校の一斉休校が決定している香港だが、

 

日本の若い人たちのように、

 

学校が休校になったから街に遊びに出るなんて、

 

香港ではあり得ない。第一、絶対に親が許さない。

 

皆SARSを経験してウィルスの怖さを知っているのだ。

 

 

心のレベルと夢のレベルがあり、

 

夢のレベルを奇跡講座的に変えようとする必要はない。

 

心のレベルで肉体を見すごし、兄貴に一日を任せたら、

 

夢のレベルでは普通にしていなさい、ということである。

 

普通にマスクをし、普通に手洗いをし、外出を控える。

 

いま、この瞬間に在る神に抵抗するのを止めるのだ。

 

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👆 ここはタバコ屋さん 

 

とまあ、そんな感じで、

 

ボク専属の認知症専門医である聖霊兄貴の指導の下、

 

加速的に正気に戻りつつある今日この頃である。

 

 

先ず、治療の第一段階である、

 

〝自分は今、神の内なる我が家(天国)にいながら、

 

 そこから追放された夢を見ている。〟

 

という自覚の回復が起きた。

 

それから、次のステップである、

 

〝神の存在、愛の存在はすでにここに在った〟

 

ということに気づいた。

 

そしていま、僕の優秀な主治医は更に、

 

僕が神と同じもの、すなわち霊(スピリット)そのものだった

 

ことを〝真に〟思い出させようとしている。

 

 

神の国は、いま、この瞬間に在る神に抵抗しないこと、

 

夢の世界に反応しないことによって思い出される。

 

要は、自分で考えるのを止めるということだ。

 

👇 ママリンフルバージョン。3分半から始まるよ。

  これが聖霊から見た〝あなた〟そのものだ! 

 www.youtube.com

 

例えば、

 

こんな体になりたい、とトレーナーにオーダーすれば、

 

トレーナーが組んだメニュー通りに筋トレをし、

 

トレーナーの指示通りの食事をしなければならない。

 

これと同じで、完治したければ、勝手にうろうろ徘徊せず

 

主治医に耳を傾け、身を任せることが絶対的に必要だ。

 

 

で、主治医に身を任せるとはどういうことかと言うと、

 

いま、目の前で起こっていることに抵抗しないこと、

 

いま、目の前に現れた兄弟に反応しないこと、

 

いま、目の前に湧き出す想いを見過ごすこと、である。

 

 

ああ、明日一日頑張れば、来週から5月にかけ、

 

清明節、受難節、復活節、釈迦の誕生日、労働節、と、

 

香港は怒涛の祝日攻めとなる。

 

明日も、がんばろうーっ!

 

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自分イジメ

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👆 重曹は中国語で〝蘇打粉〟(ソーダ粉)という

 

最近、コロナの影響で出張も残業もないのをいいことに、

 

毎日、いろいろと謎なことをして遊んでいる僕であるが、

 

昨日はなぜか突然、そんなことなどしなくてもいいのに、

 

「香港特製ロイヤルミルクティーを作ってみよーう!」

 

と思い立ち、ミルク鍋で牛乳を温めたら、

 

どわーっと沸騰して、鍋の底が真っ黒になってしまった。

 

 

焦げた鍋底には重曹がいい、とネットに出ていたので、

 

早速、階下の薬局で重曹を買ってきて試してみた。

 

鍋に水と重曹を入れ、少し沸騰させてから放置する。

 

うーん、全然落ちない。で、チョイ姐にLINEをしてみた。

 

漂白剤を入れた水で試してみろ、と返信が来た。

 

やってみたら、本当に一発で真っ白になった。

 

さっすが、プロ、と感心しながらも、

 

部屋は焦げ臭いし、コンロは牛乳だらけだ、と告げると、

 

「明日私が来てやるから、もう全部置いといて!」

 

と、あきれ気味に言われた。 

 

ぎょ、御意っ! 

 

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他者から、何か気になるようなことを言われた時、

 

同じようなことを、自分が自分に対して言っていないか、

 

自分の心の中をチェックするようにしている。

 

 

例えば

 

友人と話していて、突然「太った?」と言われたら、

 

普段から、太らないようにしよう、太らないようにしよう、

 

と、自分で自分をバシバシやっていたことに気づく。

 

また、ちょっとした仕事のミスを指摘されモヤモヤしたら、

 

日頃から、ミスをするかもしれない自分に恐怖し、

 

ダメだ、ダメだ、をやっていないかを見てゆく。

 

 

別に、太らないために食事や運動に気をつけたり、

 

ミスをしないよう、緊張感を持って仕事をすることが

 

悪いと言っているのではなく、

 

あくまでも目的は心の裏側の罪悪感に気づくことにある。

 

そして、

 

この罪悪感が唯一にして最大の問題となっている。

 

 

〝太る〟という事がらに罪悪感を投影し、

 

〝太ったらだめだ〟と、自分で自分を攻めることで、

 

それを強化するような現実が外界に映し出される。

 

〝お金〟というに事がらに罪悪感を投影し、

 

〝もしもお金が無くなったらどうしよう〟と、

 

自分で自分を恐れさせることで、

 

それを強化するような欠乏の現実を映し出す。

 

要は、まるでヤクザの恐喝のように、

 

自分で自分を怯えさせ、痛めつけている。

 

そして、その恐怖を強化するために、

 

「ちゃんとせんかい。おんどりゃ、こんどりゃ。」

 

と、自分に言ったのと同じことを兄弟に言わせている。

 

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👆 新しいコーヒーカップと抹茶あんぱん

 

以前、

 

声が気持ち悪い、と言われてヘコんだことがあったが、

 

これも普段から、お前の声は気持ち悪いから注意しろと

 

自分が自分に発していた言葉を他者に言わせることで、

 

本当に自分の声は気持ち悪いんだと信じ込ませる。

 

 

そういう意味で、

 

他者から発せられる〝自分が言われたくない〟一言は、

 

もうやめてくれ、これ以上イジメないでくれ、という、

 

もう一人の自分から発せられたメッセージなのだ。

 

 

当然だが、他人の言動から、

 

心の中で自分が自分にやっていることに気づいて、

 

それを赦してゆくと、他者からの攻撃は止まる。

 

 

というわけで、

 

他人を赦すことで自分を赦すとはこういうことだったのか

 

と、感慨を新たにする今日この頃である。

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