香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

大好きを拒否って…

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というわけで、今日は日曜日。

 

家トレをしたり、テレビを見たり、

 

小説のプロットを整えたりして過ごした。

 

夕方、いつも行く階下のカフェで、

 

白ワインを飲みながらアニタの本を読んだり

 

広東語の発音練習をしたりした。

 

と、突然、無性にカレーが食べたくなり、

 

食べに行った。

 

こういう、思いついたことを、うだうだーっ、

 

とやるのって、なんか心地いい。

 

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他の人はどうか分からないのだが、

 

僕にとっての〝何もしない〟は、

 

〝抵抗しない〟を意味しており、

 

内側(背後)の世界のみのことを言っている。

 

 

実際、肉体レベルや行動レベルで、

 

判断しない、解釈しない、何もしない、

 

となると、歯も磨けないし、仕事もできない。

 

だから、肉体としては、ちゃんと頭で考え、

 

どうすればいいかを判断しながら行動する。

 

ただ、その肉体レベルで行動した結果、

 

どんな感情が生まれて来たとしても、

 

背後の世界では一切〝何もしない〟のだ。

 

 

明日の会議怖いよー、心臓びゅんびゅん、

 

何を言われるかな、みぞおちバクバク、

 

アイツの言い方腹立つーっ、胸がムカムカ、

 

(音無可憐風で…、今再放送中、なのだ!)

 

こんなとき、このびゅんびゅん、バクバク、

 

ムカムカに対して一切何もしない。

 

今、この瞬間に在る神に一切抵抗せず、

 

この胸糞悪い感情を背後へ送り続けると、

 

背後の〝全一〟によって愛に昇華される。

 

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これはあくまでも僕の場合だが、

 

そういった、バクバクやムカムカは、

 

なんていうか、片思いの人に対して抱く、

 

恥じらいというか、好きの裏返しというか、

 

キュンキュンやドキドキとして捉えられる。

 

本当は好きで好きでたまらないくせに、

 

いざ、相手がこっちへやってくると、

 

怖すぎてパニックになる感じになる。

 

大好きな安室ちゃんが突然、こんにちは、と

 

家へやってきたら、ぎゃーっと怖くなって、

 

ドアを閉めてしまった、みたいな…。

 

 

僕たちはいきなり神に出会うと、

 

怖くなって反射的に拒絶してしまう。

 

だから、

 

何もしない=抵抗しない。

 

 

にっちも、さっちも…

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 👆 いま柿の種ならぬ山椒の種にハマっている

    コーヒーやハイボールに合いまくり!

 

香港はここ数日、暑さも和らぎ、

 

ほんの少し、秋の気配が漂い始めている。

 

秋と言えば、

 

リーマンショックが始まった2008年当時、

 

僕は5年に及ぶ香港大学の講師の職を辞し

 

元来のキャリアだった管理職へ復帰する為

 

色々な日系企業の面接を受けていた。

 

しかし、夏のお盆を過ぎた頃、突如、

 

世界中に不景気の嵐が吹き荒れ、

 

応募できる企業すらない状態となった。

 

それでも、夏の時期はまだよかったのだが、

 

日に日に秋の色が濃くなるにつれ、

 

全く職が見つからない焦りと不安の中、

 

物悲しい秋独特の寂寥感と相まって、

 

胸がぎゅっと締め付けられるような、

 

軽い絶望感に日々見舞われていた。

 

 

しかし、今思い返せば、何の拠り所も無く、

 

完全フリーになった途端、

 

台湾の出版社から小説出版の話が来たり、

 

広東語の教本を出すことになったり、と、

 

これまで実現させたいと思っていた、

 

様々な夢の〝種〟が芽を出し始めたのも

 

まさに、この〝恐慌時代〟だった。

 

 

安定した仕事を持っていた時には、

 

いくら頑張っても叶わなかった夢が、

 

安定と入れ替わるようにやってきたのだ。

 

 

それでもなお、安定が欲しかった僕は、

 

根性で就活を続け、最終的に就職をした。

 

しかし、今でも、思うことがある。

 

あのまま小説の道を突き進んでいれば、

 

今頃どうなってたかな、と…。

 

 

まあ、あの当時の僕は、アンフィニにも、

 

奇跡講座にも、他のスピ仲間たちにも、

 

まだ出会っていなかった。

 

だから、ワクワクで動けなんて無理な話だし

 

それどころか、就職できなければ死ぬ、

 

くらいに思っていた。

 

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 👆 ある日のお昼のお弁当

 

だが、今の自分が、

 

あの時代を振り返って思うことは、

 

ひとつの信念を握りしめたまま、

 

別の全く異なる信念を持つことはできない、

 

ということである。

 

 

当時の僕が望んでいたシナリオは、

 

安定した職を持ちつつ、作家デビューし、

 

やがて書いた本がベストセラーになって、

 

よし、これなら大丈夫、と思えた時点で、

 

安定した職を手放す、というものだった。

 

 

しかし、大抵そうはならない。

 

なぜなら、安定した職を、

 

〝お守り〟として握っている時点で、

 

作家としての自分を信じていないからだ。

 

 

当時、一瞬ではあったが、

 

リーマンショックによって、

 

僕の夢を封印していた〝お札〟が解かれ、

 

中から、本質の自分が、それ行け、

 

とばかりに飛び出してきたのだろう。

 

 

にっちもさっちも身動きが取れなくなり、

 

封印していた扉に貼ってあったお札が、

 

ビローンと剥がされた時の怖さには、

 

たまらないものがあるが、

 

その恐怖って、実は愛だったりする。

 

その奥から、

 

神がひょっこり顔を出してたりするからだ。

 

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今の僕は、当時と違う選択ができる。

 

恐怖の正体が何なのかも知っている。

 

今、この瞬間に出てくる想いに抵抗しない。

 

今、この瞬間に在る神に抵抗しない。

 

そんな、秋の気配を感じる土曜の夜である。

 

 

鳩の群れからの脱出

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居たいと思っていない場所に無理に居続けるのは、

 

神の子である自分の聖性を否定することになる、

 

と、ここへきてようやく理解が起きている。

 

 

というのも、ハートを感じ、神の想いに気づいて、

 

愛が循環しまくっているにもかかわらず、時折、

 

思い出したように、ちょとした事をきっかけにして、

 

不安感や恐怖感に襲われるのはなぜだろう、

 

と、ずっと不思議に思っていた。

 

 

普段、僕が感じる不安や恐怖というのは、主に、

 

職場(仕事)を通してもたらされるのだが、

 

日々の業務の中で、何かの問題に直面すると、

 

〝何て言われるかな、できるかな、やりたくないな〟

 

という想いが、シュワシュワと立ち上がり、そこから、

 

みぞおちが〝びゅんびゅん〟鳴り始めるのだ。

 

 

プライベートであれば、会いたい人、行きたい場所、

 

やりたくないことを自分でコントロールできるが、

 

これが、会社だと、そうはいかない。

 

苦手な人が一日中自分の前に座っていたり、

 

やりたくないことも期日までに終わらせねばならず、

 

逃げることができない。

 

 

それでも、ここのところは、ずっと愛の中にいて、

 

誰に会っても愛としてしか見れなくなっていたので、

 

余計に、この周期的にやって来る恐怖や不安感、

 

といった感情が、際立って感じられるようになった。

 

 

それで、解かった。

 

違和感を感じるのは、好きではない場所で、

 

好きではない事をしているからなんだ、と…。

 

自分の〝本質〟と合わない場所で、

 

自分の〝本質〟にそぐわない事をしているせいだ。

 

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いや、これまで、僕にとっての職場は、

 

好きではないが、特別嫌悪する場所ではなかった。

 

香港で仕事をするのはそれなりに楽しいし、

 

組織という形態に慣れ親しんでもいて、

 

何をどうやればいいかも心得ている。

 

それにうちの会社の環境は決して劣悪ではない。

 

定年までやろうと思えば、たぶんやれると思う。

 

それに、どんな仕事にも問題は付きものだ。

 

 

しかし、神に気づき、心が癒されてくると、

 

これまで、普通に安定していられた場所が、

 

なんか、居心地の悪い場所に感じられてくる。

 

本当の自分は意識ではなく神と同じ霊であった、

 

という自覚が深くなればなるほど、

 

まったく場違いな場所に居るような気がして、

 

強烈な違和感というか、不一致感を覚えるのだ。

 

 

 

〝本心では、ここに居る自分を憎んでいる〟

 

〝本心では、ここに居たくないと思っている〟

 

〝本心では、この人達とは合わないと知っている〟

 

 

それでも、

 

「いや、ここがすでに天国なんだ」とか、

 

「自分が天国にいることを思い出すだけでいい」

 

といった、無意識的な〝言い聞かせ〟のもと、

 

今自分のいる場所が変わることを望んでいた。

 

 

しかし、神が常にここに在ることを感じているいま、

 

もう、怖いものなど何ひとつない。

 

そうなると、不安を誘発するような出来事も、

 

ほら、もっと君にふさわしい場所へ行けよ、と、

 

兄弟が愛で後押ししてくれているように感じられる。

 

 

 

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 この夢の世界に、

 

真の居場所など無いのかもしれない。

 

それに、本当の自分はここにはいない。

 

そんなこと、知ってる。わかってる。

 

だからこそ、自分の中の内なる神の感覚に従い、

 

真の自分が反映された場所にいることが、

 

とても重要だと思うのだ。

 

 

というわけで、コロナ禍が落ち着いたら、

 

僕はもう組織の人間ではなくなっているだろう。

 

この年齢になってようやく自分に、

 

あるがままで24時間生きる許可を出せたのだ。

 

 

なぜなら、今回の〝移行〟は、

 

今いる場所よりもっとより良い場所へ…、とか、

 

逆に、変化するのが怖いから動きたくない、

 

といった、今を嫌悪したり、

 

未来への不安からのものではなく、

 

愛と感謝と深い安心感に基づいたものだから…。

 

 

なので、今後のコロナが収束するまでの期間は、

 

新たな場面転換への準備を進めていくことになる。

 

 

その手始めとして、先ず、することは、

 

無駄遣いを止め、貯金をしまくることっ!

 

(👆 たぶん無理 by 兄貴)