居たいと思っていない場所に無理に居続けるのは、
神の子である自分の聖性を否定することになる、
と、ここへきてようやく理解が起きている。
というのも、ハートを感じ、神の想いに気づいて、
愛が循環しまくっているにもかかわらず、時折、
思い出したように、ちょとした事をきっかけにして、
不安感や恐怖感に襲われるのはなぜだろう、
と、ずっと不思議に思っていた。
普段、僕が感じる不安や恐怖というのは、主に、
職場(仕事)を通してもたらされるのだが、
日々の業務の中で、何かの問題に直面すると、
〝何て言われるかな、できるかな、やりたくないな〟
という想いが、シュワシュワと立ち上がり、そこから、
みぞおちが〝びゅんびゅん〟鳴り始めるのだ。
プライベートであれば、会いたい人、行きたい場所、
やりたくないことを自分でコントロールできるが、
これが、会社だと、そうはいかない。
苦手な人が一日中自分の前に座っていたり、
やりたくないことも期日までに終わらせねばならず、
逃げることができない。
それでも、ここのところは、ずっと愛の中にいて、
誰に会っても愛としてしか見れなくなっていたので、
余計に、この周期的にやって来る恐怖や不安感、
といった感情が、際立って感じられるようになった。
それで、解かった。
違和感を感じるのは、好きではない場所で、
好きではない事をしているからなんだ、と…。
自分の〝本質〟と合わない場所で、
自分の〝本質〟にそぐわない事をしているせいだ。
いや、これまで、僕にとっての職場は、
好きではないが、特別嫌悪する場所ではなかった。
香港で仕事をするのはそれなりに楽しいし、
組織という形態に慣れ親しんでもいて、
何をどうやればいいかも心得ている。
それにうちの会社の環境は決して劣悪ではない。
定年までやろうと思えば、たぶんやれると思う。
それに、どんな仕事にも問題は付きものだ。
しかし、神に気づき、心が癒されてくると、
これまで、普通に安定していられた場所が、
なんか、居心地の悪い場所に感じられてくる。
本当の自分は意識ではなく神と同じ霊であった、
という自覚が深くなればなるほど、
まったく場違いな場所に居るような気がして、
強烈な違和感というか、不一致感を覚えるのだ。
〝本心では、ここに居る自分を憎んでいる〟
〝本心では、ここに居たくないと思っている〟
〝本心では、この人達とは合わないと知っている〟
それでも、
「いや、ここがすでに天国なんだ」とか、
「自分が天国にいることを思い出すだけでいい」
といった、無意識的な〝言い聞かせ〟のもと、
今自分のいる場所が変わることを望んでいた。
しかし、神が常にここに在ることを感じているいま、
もう、怖いものなど何ひとつない。
そうなると、不安を誘発するような出来事も、
ほら、もっと君にふさわしい場所へ行けよ、と、
兄弟が愛で後押ししてくれているように感じられる。
この夢の世界に、
真の居場所など無いのかもしれない。
それに、本当の自分はここにはいない。
そんなこと、知ってる。わかってる。
だからこそ、自分の中の内なる神の感覚に従い、
真の自分が反映された場所にいることが、
とても重要だと思うのだ。
というわけで、コロナ禍が落ち着いたら、
僕はもう組織の人間ではなくなっているだろう。
この年齢になってようやく自分に、
あるがままで24時間生きる許可を出せたのだ。
なぜなら、今回の〝移行〟は、
今いる場所よりもっとより良い場所へ…、とか、
逆に、変化するのが怖いから動きたくない、
といった、今を嫌悪したり、
未来への不安からのものではなく、
愛と感謝と深い安心感に基づいたものだから…。
なので、今後のコロナが収束するまでの期間は、
新たな場面転換への準備を進めていくことになる。
その手始めとして、先ず、することは、
無駄遣いを止め、貯金をしまくることっ!
(👆 たぶん無理 by 兄貴)