↑見つめ合い…
昨日会社で、違う階にあるトイレに行った帰りに
エレベーターを待っていると、
窓の外で愛し合う二羽のハトに出会った。
普通、ハトに限らず、鳥類の交尾と言えば、
羽をばたつかせて逃げるメスをオスが追いかけ回す、
という形態がオーソドックスであるが、
この二羽は、もう交尾というより、
本当に愛し合っている、という感じで、
オスの胸に顔を埋めたり、何度もキスを交わしたり、
見つめ合ったりしながら、最後はメスの方から、
全てを受け入れるように身体をオスに差し出す。
その姿はとても美しく、感動すら覚えるほどで、
それをこそこそ写真に収めているセコイ自分を、
恥ずかしく思うほどであった。
自分の会社だけでなく、得意先や業者さんの人からも、
〝退職のご挨拶〟を頻繁に受け取るようになり、
ここへきて、本当に周囲が慌ただしく変化し
始めているのを感じている。
彼らの退職の理由は、単なる転職や家庭の事情の他に、
人生をリセットしたい、身体を鍛えたい、農業したい、
放浪の旅に出て自分を見つめなおしたい、など、
一昔前だと、会社のおっさん上司らが、はあ?、と、
首をかしげるような理由で会社を去る人が多い。
それも、家庭や役職もある40代、50代の人が、
そう言った理由で辞めてゆく。
むしろ、20代、30代のゆとりたちの方が、
就活に苦労している分、堅実である。
〝本当に会社でしか生きていけないのだろうか。〟
〝これまで何の疑問も持たずにやって来たけれど、
俺の人生、なあんかヘンな気がする。〟
〝子供?養育?妻の反対?家のローン?
もうどうなってもいいや、やりたいようにやろう。〟
これって、幻想レベルではあれ、
一種の明け渡し状態にあるのだと思う。
例えば、
勤続8年の人がその会社を去るとする。
すると、その8年の間に起こった出来事の数々、
事あるごとに嫌味を言われたあの得意先の人、
自分をいじめて仲間外れにしたあの先輩同僚、
大っ嫌いなあの上司とのバトルの数々、など、
辞表を提出した途端、これらの出来事は意味を失い、
別に起こらなくても何ら問題のなかったこととなる。
だって、今後、この物事の関係性や継続性は、
出社最終日と共に終わりを迎え、リセットされるからだ。
つまり、起こって無かったことと同じになるのだ。
言い換えれば、人の一生と同じだ。
生まれてから死ぬまでの〝消えてゆく姿〟を、
入社から退職までという短いスパンで
見せられているという感じ。
そして、次の転生(次の職場?)にて、
〝未削除分-配役入れ替わりバージョン〟パート2
が始まる。
だったら、それが投影されている今、
心の中の分離の想いを、消えてゆく姿として捉え、
委ね、明け渡し、削除していったほうがおトクだ、
と考えるのは、僕だけだろうか。
ただし、委ねるのは投影されている出来事ではない。
その原因となる心の中の〝分離の想い〟の方だ。
だから、この現実の中で、
会社を辞めようが、居続けようが、どちらでもいい。
別れようが、一緒にいようが、それもどちらでもいい。
それは起きてはいない。
まあ、この大量流出は、
僕の周囲だけで起きている現象なのかもしれないが、
長年、日本経済を支え続け、言わば、
エゴの社会規範の先頭で旗を振っていた人たちが、
こんなのもういいわあ〜、と降参をはじめる。
そして、最終的には、会社も兄弟も存在せず、
世界は起こってすらいなかった、
ということに真に気づいていく。