元日に香港へ戻り、3日の午後から上海へ行っていた。
何じゃこりゃ、というくらい仕事がたまっているのに、
出張に出てしまうとデスクワークができない。
ケリーがいた頃はサインだけしていればよかったが、
今は、自分で小切手を発行して、自分でサインをする。
それに、香港も、上海も、小雨がしくしくと降り、寒い。
2週間前に、沖縄で夕陽を見ていたのが嘘みたいだ。
上海では、上海事務所近くの虹橋迎賓館に泊まった。
高い塀と、森に覆われた瀟洒なホテルだ。
レストランのビュッフェもおいしく、ワインも美味い。
ただ、上海の中心部にあるにもかかわらず、
正門から森を抜け、本館に辿り着くまで10分はかかる。
今回の上海滞在時間はきっかり24時間、
銀行→税務局→証券会社→会計院、を一日で回った。
ああ、疲れた!
帰りの機内で、日本滞在中に購入した、
小森圭太著『潜在意識の書きかえ方』という本を読んだ。
引き寄せの法則のコーナーにあった本なのだが、
ぱらぱらっとページをめくってみて、
量子理論を、現実にどう反映させてゆくかについて、
分かり易く解説されていたので興味を持った。
文字も大きくイラストも多いので、一時間で読了できた。
量子は、対象物に意識を向けていなければ波となり、
対象物に意識を向けると粒(物質)となる。
つまり、量子が物質化するには、
人間の意識の介在(観測)が不可欠なのだという。
月を見ていないときは、月は存在しない、というわけだ。
このくだりを読んでいた時、ひょっとして、
聖霊の采配も、同じメカニズムなのではないか、
と直感した。
聖霊が僕たちの問題を解決するには、
量子が波である状態、すなわち、僕たちの意識が、
その問題に向けられていない状態が必要となる。
逆に言えば、僕たちが過去や未来について心配したり、
特定の物に執着していれば、
それらの問題を〝時空に存在させている〟ことになり、
その間、聖霊は僕たちの意識に介入できなくなるのだ。
ある事柄について、聖霊お願いします、と委ねた後も、
「あの問題はどうなったかな、どうしたらいいかな。」
と、終始そのことについて考えているなら、
量子が粒(物質)として顕在化しているため、
結果、聖霊は訂正を行なえないというわけである。
それじゃあ、その問題について何も思考せず、
量子が波に戻っているとはどんな状態の時なのか、
と考えてみたところ、それは恐らく、
眠っている時か、今この瞬間に在る時だ、
と、言うことができるだろう。
眠っていれば思考は(ほとんど)機能できないし、
今、この瞬間だけにフォーカスしていると、
今、見えているこの景色以外は全て波に戻っている。
なので、量子的な観点から見た、
自分では何もしない、というのは、
行動として何もしない、という意味ではなく、
意識がどこへも向けられていない状態を指す。
素粒子は原子の周りを電子が高速でスピンしているし、
地球だって回っている。場は常に動いているのだ。
自分でその動きをコントロールすることは不可能である。
だったら、量子の動きを信じて、ただ今に委ねていた方が
聖霊は僕たちを助けやすくなるのではないか。
だから、
「うわっ、どうしよう!」と思うようなことが起こったら、
量子を波の状態に戻しておくために、
先ずは、いま、ここに現れているものに感謝し、
それでも、びゅんびゅんウジウジ、となるなら、
とりあえず、爆睡するのもアリだ。
とまあ、
ちょっと〝引き寄せチック〟な感じで、
上海から香港へ戻ってきたボクであった。