⇑ 10月1日撮影
昨日は中国の国慶節で香港も祝日だった。
中国国家創立70周年と言うことで、
北京では大々的な記念式典が挙行されたが、香港では、
かつてないほどの大規模なデモが各地で行われた。
⇑ 加油(ガーヤウ)は〝頑張れ〟という意味
僕が住んでいるコーズウェイベイ界隈も、朝から、
黒服を着た中共に反対する人たちで埋め尽くされ、
僕が香港へ戻ってきた29日の時点ではまだ、
近くのオシャレバーや、ジムも開いていたのだが、
今日は、一斉にシャッターを下ろしている。
11時には地下鉄も運行を停止してしまった。
⇑ この日の、りんご日報見出しは、
『狂った警察の暴力で迎える国慶節』
こうして、家から一歩も出られなくなった僕は、
今日一日、ゆっくり、家で赦しをして過ごそうと決めた。
というのも、普段は出張で移動していることが多く、
最近も、一時帰国であちこち飛び回っていたため、
一度じっくり腰を落ち着けて、自分の心を観ようと思った。
赦すとは、兄弟が自分にしたと思っていることは、
実際には起こっていない、と認識することであり、
自分の想いを行動化している夢の登場人物を見て、
全ては自分が造りだした夢で、そこには誰もいない。
故に、彼らが、自分の無意識にあるものの象徴なら、
彼らに罪がある筈はなく、そして、
神からの分離が一度も起こっていないのであれば、
やはり、自分にも罪はない、と気づいてゆくことである。
とても些細ですぐに忘れてしまうようなこと、例えば、
昨日、突然、僕の家のインターネットが使えなくなり、
調べると、ネット使用料を滞納していたことが判明して、
ネットの繋がる近くのカフェで、あれこれ動揺しながら、
やっとのことで、ネット回線を回復してもらったことや、
休暇中、会社から連絡があり、香港の税務署から、
申告漏れに対する罰金の督促状が届いています、
と言われ、ちょちょ舞いながら対処したこと、など
特に、穏かな状態からいきなり問題をつき付けられる
〝エゴの不意打ち〟を丁寧に見ていった。
そして、最後は、落ち着いた心で、
誰も何もしていない夢の世界〝全体〟を赦した。
そんな感じで、ふと湧き上がってくる過去の出来事や、
友人から言われた〝きぃーっ〟となるような一言、また、
起こってもいないのに想像で腹を立てる妄想劇場などを
次々に、自分の心の中のひとつの原因にまで差し戻し、
分離は起こっておらず、故に、兄弟も自分も無辜だった
ことを認識してゆく。
そして、最後に、神は在る、という神の理解の中で、
兄弟や自分が神と同じ存在だったことを思い出し、
ハートの悦(エクスタシー)として歓ぶ。
とまあ、こんなことを、ソファに寝そべりながら、
午後いっぱいかけて、だいたい8時間くらいやっていた。
こうして、今年の国慶節は、
僕の中にある、神の王国を祝う日となった。
⇓ 前日の記事に出てきた呪い屋についての記事 ⇓