香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

これは全部夢なんです



松居一代一色のワイドショー。

こっ、こわい。こわすぎるぅー!

大いなる赦しの日を前にこれを見せられるのは、

正直、きっついわぁ〜。

これまで優しく穏やかだった人たちが、

大いなる赦しの日を境に、彼女のように豹変する姿を

これまで何度も目の当たりにしてきた。

それはもう、羊からライオンに豹変するくらい極端で、

自分だけの正義を前面に押し出して叫び狂う。

他のことはいっさい聞き入れない。


こういう場面に出くわすたび、人は本当に、


〝信じるものを体験しているのだな〟と、

しみじみ実感する次第である。


多分、僕の場合はこういう仕事の設定を使い、

自分の中にあると思い込んでいる罪悪感を認識し、

それは全部夢の物語で、ビッグバンも起こっては無く

エゴも罪悪感も単なる勘違いでウソだったと看破し、

最後は聖霊に知覚を癒してもらう、というパターンで、

このマトリックスの世界から抜け出してゆくのだろう。


その天国に帰還する設定が、ある人にとっては、

子育てであったり、夫婦関係であったり、

お金であったり、病気で会ったりする。

みんながそれぞれのパートの赦しを完結させて、

全員がひとつとなって還ってゆく。

それにしても、

松居一代には100億円の資産があるらしいのだが、

たとえいくらお金があっても幸せにはなれないことを、

今回、彼女は日本国中に証明したことになる。


僕としては、、

お金はあるに越したことはないが、無くてもいい。

特に、親の遺産や、保険金や、投資運用の利益など、

他者が主体となった〝あぶく銭〟は、

無い方が平安でいられるし、むしろすがすがしい。


今の自分がお金持ちであったとしても、

今回はそういう順番に当たった、というだけなのだ。


お金が欲しい、大切な人が欲しい、というのも、

その元ネタは〝心の平安を得たい〟から来ている。

明日でもなく、一年後でもなく、いま平安でいること。

もっと平易に言うと、いまハッピーな気分でいること。

これが赦しそのものなのだ、と思う。


ハッピーな出来事を体験しているか否かは関係ない。

ハッピーな〝気分〟そのものでいる。

それがハートのエクスタシーであり、今に在る、

ということだと思うのだ。


では、大いなる赦しの日のような、きっつい場面で、

どうやってハッピーな気分でいるのか。

これは人それぞれ違うと思うのだが、

僕の場合は何と言っても、

起こっているこれ全部夢なんです、と気づきながら、

その夢と対峙している、ということである。

もう究極の局面で、あっ、これ全部夢だ、

自分はいま眠っていて夢を見ているんだ、

としみじみ見つめていると、

現実のスクリーンの向こうに拡がる真実の場所、

ハート(天国/実相)が意識されてくる。


ハートに在ると、

目の前で展開されている出来事が、

全てただの夢物語の茶番劇に見え、

ああ、これは夢で全部デタラメなのだ、と、

心底ほっとできる。

そしてその瞬間は時間も止まり、

相手はスクリーンの上で消えゆく光のように見える。


というわけで、松居一代さんも、船越さんも、

それぞれの設定を使って、帰還の途を歩んでいる。

きっと、どの人の中にもあり、自分の中にもある、

おどろおどろしい部分を、代表して見せてくれている。

それを僕たちは、テレビの前であくびをしながら赦し、

間違いの訂正依頼を兄貴にかけてゆける。

ありがたい限りである。


あっ、もう一人いた。

「一生懸命やってるんですぅっ!」

「だから悪くないんですぅっ!すっ、すっ、すっ!」


僕にとって、ワイドショーとは、

自分の中に在るとも思っていないものを見せてくれる

まさに赦しの宝庫なのだ!