香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

自衛隊員か、それともマグロを捕る人か

 

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〝ケネス・ワプニック博士は、こう言います。

 

 あなたが、

 

 「この世界はなんて素晴らしい世界なのだろう!」

 

   と思っているとしたなら、それは、

 

  「神のいない世界はなんて素晴らしい世界なのだろう」

 

   と言っているのであり、

 

   その自分は狂っているのだと自覚しなさい、と。〟

 

(※もりGさんのブログ『Joy&Happines』より引用)

 

↓ 引用させていただいたもりGさんの記事はこちら ↓

morig2016.blog.fc2.com

 

ということは、逆に言えば、

 

今、苦しみの真っ只中に在って、

 

「この世界はなんて狂っているのだろう!」

 

と思っているとしたら、それは、

 

「神のいない世界はなんて狂っているのだろう。」

 

と、正気への入り口に立っている、ということになる。

 

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二年ほど前まで(←訂正、半年ほど前まで)、

 

もし、今回の帰還に失敗して、次の来世があるとしたら、

 

なにがなんでも専業主婦に生まれ変わる、と決めていた。

 

それで、旦那は、盆と正月にしか帰ってこない、

 

マグロを捕る遠洋漁業の人か、 もしくは、

 

パレスチナへ長期派遣された自衛隊員の人で、

 

次の帰任は三年後、下手をすれば帰ってきません、

 

みたいなのがいいと…。

 

(※地方公務員の夫なんて絶対に論外。

 

       毎日定時で帰ってくるし、土日も家にいる。)

 

 

そうして、観葉植物に囲まれた静かなリビングのソファで、

 

ダージリンを飲みながら、奇跡講座のページを繰りつつ、

 

床を這う一匹の蟻を赦す毎日を送るのだ。

 

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当時、鼻をほじりながらこんなことをほざいていると、

 

「ふざけんな。

 

 専業主婦がどれだけ大変か分かってんのかっ!」

 

と、乙女ののりちゃんに叱られた。

 

まあ、今だったら、それでは天国へは戻れない、

 

と理解できる。(←遅っ!)

 

 

もりGさんもブログで書いているが、要するに、

 

この世界の幸せで妥協するのをやめなさい、

 

この世界を越えて行きなさい、ということなのだ。

 

 

ああ、やはり、地獄経由、かあ。

 

それも、地獄と思っていたのは、本当は天国だった、

 

というオチつきで…。

 

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そんなわけで、もう、

 

この世界で幸せにならなくてもいい、と思っている。

 

それは、この世界では絶対に幸せにはなれない、

 

ということが腑に落ちて解かっているからだ。

 

妥協なく、確固として、この世界を超えてゆく。

 

いま、まさに僕は、そのギリギリのラインに立っている。

 

しかし、まだ、ほんの少しだけためらいが残っている。

 

それでも、ラインの外へ足を踏み出すのは時間の問題だ。

 

父と天国とハートしか求めないと決断するのだ。

 

神や聖霊を幻想の中へ持ち込むこともしない。

 

ニセモノはもう必要ない。

 

夢の日常生活も含め、中途半端を止めるのだ。

 

 

ワプニック氏の言葉が、僕の背中をガンガン後押しする。

 

もう一回、誰かに人差し指で背中をちょん、とやられたら

 

あぁ~れぇ~、と、完全に神側へ逝ってしまうと思う。

 

 

というわけで、もりG兄弟、このお役目、任せました!

〝わたし〟が消える日

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「もう、自分にできることは何もありません。

 

 自分が、どうして、ここで、こんなことをしているのか

 

 ということすら、私はわかっていません。

 

  わたしは狂っているのです。

 

  だから、わたしには何も分かりません。

 

    いま、わたしはそれを認め、受け容れます。 

 

    なので、ぎゅっと握って離さなかった執着の拳も、

 

  反射的に攻撃の想いを抱いてしまう心も、

 

  そのままにして、全てあなたに捧げます。

 

  赦しも、明け渡しも、もう自分でやることはありません。

 

  今後、あなたに完全に従います。

 

  一切の抵抗や、もがくことを止めます。 

 

  全て任せますので、どうかよきようにお計らい下さい。」

 

 

いまの僕はもう、

 

完全J兄貴に白旗降伏状態となりつつある。

 

なぜなら、どんなに自分が正気でないか、

 

自分の判断がいかに的外れで間違っているか、

 

また何より、この自分が幻想の一部であったことが、

 

ありありと見えてきたからだ。

 

元来、消えてゆく姿でしかない無の自分が、

 

特別で何でも仕切れる存在である筈がない。

 

 

なので、そのことに、完全に気づいてしまったなら、

 

解決せねば、と思うどんな事が起こったとしても、

 

また、誰かを攻撃して、罪悪感にさいなまれたとしても、

 

自分を攻撃して、病苦の痛みにさいなまれていたとしても、

 

「はい。私は神の代わりに自分を攻撃して、

 

 ハートのエクスタシーを病苦の痛みに変え、

 

 ひとりのた打ち回っていました。

 

 いま、そのことを全面的に認め、受け容れます。

 

 でももううんざりなんです。

 

 もうどうなってもいいですから、

 

 J兄貴のいいようにしてください。」

 

と心からの降伏を捧げるしかない。

 

 

そうなると、

 

私を導いでくださいという祈りでさえ、

 

たんなる自我からの〝指示〟だったと解かる。

 

知覚の修正をして〝わたし〟を正気に戻してください、

 

という〝懇願〟ですら、自我の〝要求〟だったのだ。

 

 

ある偶然から様々な出来事がシンクロし、その結果、

 

思いもよらなかった素晴らしい共振の起こることが、

 

聖霊の采配なのではない。

 

そもそも、

 

何が聖霊の采配かさえ、今の自分には全く解らない。

 

その事実を認め受け容れた時から正気の一歩が始まる。

 

 

ここまで書いて、自分のやってることはなんだか、

 

麻薬患者の更生プログラムみたいだ、と思った。

 

麻薬中毒患者は自分で中毒を治せると思っているが、

 

実際、それは不可能だ。だって、中毒なんだから…。

 

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↑ これらの窓一戸一戸が1億円、

  という中毒患者の幻覚 

 

というわけで、

 

旧正月を間近に控え、香港も慌ただしさを増しつつある。

 

まあ、このまま行けば、の話だが、

 

僕も、春節が明ければ、香港を引き払う準備を始める。

 

家具を処分し、東京で部屋を探し、引越しの手配をする。

 

それさえも、もう、自分にはなにも分かりませんので、

 

J兄貴、よきようにお計らいください、しかない。

 

寂しさも、名残惜しさも、不安も、恐怖も、

 

そのままにして兄貴の前に大の字になる。

 

そこに、なんの要求も置かない。

 

要するに、もう、この夢の世界でどうにかなる事を、

 

心底望まなくなっている。 

 

 

そんなわけで、今回の春節(旧正月)は、

 

降参しきった自分と、静かに過ごすことになりそうだ。

 

 

↓ 混沌の法則関連の記事はこちら ↓

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こうやって過去の記事を振り返ってみると、

 

どうやら僕の2015年は殺意の年だったようだ。

 

しかし、この地獄経由の中で自分の狂気を見つめ、

 

それでも神を求めてきたからこそ、

 

今の完全降伏があるのだな、

 

と感慨を新たにした今日この頃である。

 

 

始まる前から終わっていた

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昨日は香港事務所の忘年会だった。

 

香港では、2月5日の旧正月に向け、

 

じわじわと春節ムードが盛り上がりつつある。

 

 

今回の忘年会は、僕が仕切り、

 

会社近くにある、川沿のドイツ料理店を予約した。

 

ガスストーブが焚かれたテラス席で、

 

ソーセージをつまみに、ワインやシャンパンを飲みつつ、

 

夜遅くまでわいわい語り合った。

 

 

中でも、香港の高度な自治がいかに風前の灯か、

 

といった中国の思想統制について熱く語り合った。

 

その中で、台湾は中華圏における最後の民主の砦だ、

 

という話になり、僕も台湾へ移住したくなってしまった。

 

 

赤ワインが三本空き、シャンパンを注文した頃、

 

全てが、ただの消えてゆく映像に見えはじめた。

 

撮り終えた映像の中を漂っている感覚…。

 

時間という幻想だけを頼りに成立している世界を、

 

僕達は信じてまい進している。

 

今日のこの映像も、記憶としてファイリングされ、

 

思い出さない限り〝無〟となる。

 

もう時間を信じない、と僕が決断するだけで、

 

映像は消えるしかなくなる。

 

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というわけで、僕の知覚も、また、新たな段階に突入した。

 

 

自分は〝始まる前から終わっている世界〟の中にいた、

 

ということが、バッコーンッ、と真実として見えたのだ。

 

 

〝神の世界から離れたらどうなるかなあ〟と思った瞬間

 

天国も、実相も、父も、キリストも、全てが消え去り、

 

〝うわっ、やってもうた。全部失った!どうしようーッ?〟

 

と、強烈な喪失感と罪悪感からくる不安と恐怖と共に、

 

僕達はこの幻想の世界にやって来たと思っている。

 

しかし、実際には〝あっ、やばい〟と思う前に、

 

父とキリストによってこの間違いは削除されている。

 

そして、すでに終わり、消えて無い〝妄映〟の世界に、

 

いまだ僕たちは没入し、すったもんだやっているのだ。

 

 

こうやって書くと、知ってる、解かってる、と言いたくなる。

 

しかし、その事実そのものを〝生きて〟はいなかった。

 

ただ知っているだけで、やはり世界はある、として、

 

日常の中ではやはり、どうしたこうした、とやっている。

 

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それが、先日の〝宜保愛子と残業〟の翌日、

 

自分はいま、すでに終わってる世界にいて、

 

すでに取り消されて無いはずの世界を見ている、

 

ということに、はっと気づいたのだ。

 

この机も、このスマホも、あの人もこの人も、これもあれも

 

うわっ、これ全部、もう終わってる映像じゃん、と…。

 

始まる前に終わっているのだから、全部幻で、

 

信じる必要などなく、無意味なただの妄映でしかない。

 

そのことが、真にリアルに腑に落ちて入った瞬間、

 

仕事がどうでも、誰々がどうでも、知覚がどうであっても、

 

もうそんなことはどうでもいい、と心底思えた。

 

そして、もうここで深刻になる必要はないんだ、

 

と思った瞬間、言い知れない安堵感が込み上げてきた。

 

ウソで、虚構で、完全にでっち上げられた世界に対し、

 

一切の抵抗を止め、ただ終わってゆくに任せておく。

 

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完全に、幻想の外へ出てしまった感覚。

 

そこから幻想を見ている。

 

だからもう 「そうは言ってもさあ。」 という反復もない。

 

 

そんなことは微塵も起こっていなかった、と、

 

真に解かって世界を見ていれば、映像に意味は無くなり

 

どんな現実も自動的に消えてしまう。

 

消えてしまうことが解かっている状態…。

 

ここは神で、天国で、実相だった、という事実が、

 

より強化された感じがする。

 

と同時に、父や聖霊との交信を阻んでいたのが、

 

特別性と個別性だったことも見えてきた。

 

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私のこの車、私のこの人生、私の大切なあの人、または、

 

あの人はいいけどこの人はダメ、男はいいけど女はダメ、

 

自分は日本人、彼は中国人、私はチーズが嫌いな人、

 

私の得意なものはピアノと語学です、などなど、

 

人生は、自分が特別な個であることに費やされている、

 

と言っても過言ではないだろう。

 

そして、個として特別であろうとするその意識が、

 

終わっているはずの世界をリアルにし、永続させている。

 

これは、神からの救済を拒んでいることを意味する。

 

別の言い方をすれば、救済されるのが嫌だから、

 

個であろう、特別であろう、と必死で頑張っているのだ。

 

 

しかし、それは無駄な抵抗だ。

 

だってもう、世界は始まる前に終わっているのだから。

 

終わっている世界で何をやっても無駄である。

 

そう、自分はもう、消えている!

 

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