香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

我を忘れて…

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新型肺炎への対応策として、会社が出張を禁じたので、

 

毎日、オフィスで仕事をしている。

 

香港支社のオフィスは、もともと3人しかいない上に、

 

背の高いパーテーションでデスクが仕切られているため

 

各人のプライバシーが確保でき、快適である。

 

例えば、出張が無いと事務仕事がはかどる、はかどる。

 

がっつり、パソコンの中の数字に集中できる。

 

また、そうやって、仕事に没頭している時というのは、

 

完全に我(われ)を忘れ、今、この瞬間に集中している。

 

我を忘れるとは、

 

読んで字の如く、自我を忘れる、ということでもある。 

 

 

まあ、我を忘れて何かに没頭する、と言えば、

 

興味のある、大好きな趣味や仕事に没頭する、

 

みたいなことを想像しがちだが、

 

なにも、好きなことだけが、我を忘れること、ではない。

 

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例えば、

 

会議の席で、すっごく緊張してテンパっている時、とか、

 

あと10分でこの仕事を終わらせねばならない時、とか、

 

スマホを家に置いてきてちょちょ舞っている瞬間、とか、

 

ある人から何か言われて、怒りで夜も眠れない時、とか、

 

急行電車の中で、突然、下痢の痛みに襲われた時、など、

 

そんなとき、

 

僕たちは完全に我を忘れて、今、この瞬間にいる。

 

たとえそれが、心地悪い状況の最中、であっても、

 

神に繋がっている。

 

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だから、我を忘れたら、

 

自分は今、神を思い出しているのだな、と思って、

 

思う存分、神の中(仕事や厄介ごと)に没入すればいい。

 

神に在る自覚さえあれば、絶対、悪いようにはならない。

 

電車で運子は漏らさないから…。(と思う。多分…)

 

 

逆に、

 

はっと我に返る時こそが、自我に返る時、となる。

 

電車で下痢になり、駅に着いて、トイレまで数メートル、

 

と、我に返った瞬間、

 

腹痛がマックス100%に達するのと同じである。

 

(👆 この例えで合っているのか、疑問だ。)

 

 

とまあ、そんな感じで、

 

毎日、事務員生活を満喫しているボクであるが、

 

神へと帰還する旅はまだまだ続くのである。

 

 

僕の敏腕マネージャー

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 👆いつも昼にお弁当を買うお弁当屋さん  👆

     料理に心がこもっていて、愛を感じる

 

昨日の記事で書いたように、自分責めをしなくなると、

 

自分の内部で聖霊兄貴が始動(指導?)を始める。

 

最初は、聖霊兄貴が頼もしい友人のように感じられるが

 

最後は、聖霊兄貴こそが自分だったみたいになってゆく。

 

 

僕の聖霊兄貴への繋がり方は至って簡単である。

 

「聖霊のガイダンスに従いながら、なんちゃら…」とか、

 

「罪悪感を聖霊と共に見て、かんちゃら…」とか、

 

「正しい心の部分である聖霊に委ねて、どうのこうの…」

 

といった、そんな仰々しい修行のようなものではなく、

 

これまで独り言のように心の中で呟いていた事柄を、

 

聖霊兄貴相手に呟き続ける、ただそれだけである。

 

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「何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ、

 

 兄貴、もう、勘弁してほしい。」

 

「あいつ嫌い、死ねばいい、兄貴何とかしてくれ。」

 

「あいつの言ってること、絶対におかしいと思う。

 

 そうだよね、兄貴。」

 

「あーあ、仕事でミスしちゃった、メチャ落ち込むよー、

 

 それに、ここぞとばかりに攻撃されるし、ムカつくわぁ。

 

 兄貴、もうこんなのうんざり、どうしたらいい?」

 

 

今ではもう少し、マシな会話になっているとは思うが、

 

初期の頃は、まあ、こんな感じだった。

 

心の中に始終湧き上がる思考の呟きを、

 

兄貴に語りかけるような形式に変えて話すのだ。

 

それはまた、幼少期の子供が、自分で作り上げた、

 

架空の世界の人物と話をするような感じに似ている。

 

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👆 見た目はイマイチだが、味はバツグン 👆 

   ちなみに、白いご飯はほとんど食べない

 

そうやって、友人とくだらない話をするように、

 

日常の中で湧き出す想いを兄貴にシェアしていると、

 

やがて、何かの拍子に、パッ、パッ、と、閃きのごとく、

 

兄貴から返答が返ってくるようになった。

 

「そんなの、本当にあるわけないじゃん。」とか、

 

「まあ、何とかなるでしょう。」とか、

 

「それは、他人に扮して現れた過去のアンタだよ。」

 

というようなメッセージが、パッ、と下りてくる。

 

 

やがて、

 

自分が聖霊兄貴そのものだったという気づきが起こり、

 

聖霊兄貴へ意識の移行が始まる。

 

 

聖霊に耳を傾ける、聖霊に訊く、というのは、

 

生身の人間と普通に世間話をするように、

 

聖霊と普通に話をすることだ、と思っている。

 

最初は、くだらない世間話であっても、

 

次第に会話は、神的な内容を帯びてくる。

 

こうやって、思考のおしゃべりも、

 

聖霊との聖なるコミュニケーションとなる。

 

 

自分責め

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自分を責めるという行為は、

 

内なる神を責めているのと同じことであると知って以降、

 

どんなことがあっても、絶対に自分を責めないと決めた。

 

そうすると、不思議なことに、人から責められなくなった。

 

 

以前やっていた僕の〝自分責め〟の例を挙げてみると、

 

ある同僚が、今日に限って不愛想だったりしたとき、

 

自動的に、自分が何か悪い事をした、と考えてしまう。

 

また、この数字の内容が分からないので教えてください、

 

と訊かれただけで、何かミスをしたかな、と思ってしまう。

 

そのほかにも、

 

自分の一言で、相手が気分を害したように見えたり、

 

うまく行ってたことが、急にダメになったりすると、

 

やってしまった、と、バシバシバッシングしてしまう。

 

 

まあ、それでも僕は、

 

他責型主体の外国で暮らしているからか、

 

一般的な日本人よりかは自分責めは少ない方だが、

 

それでも、基本的な気質はやはり日本人なわけで、

 

表向きは他責型づらして、悪いのはお前だ、とやってても

 

内心では、悪うござました、が先手に来ていたりする。

 

しかし、自分を責めると、幻想の罪を認めることになるし、

 

一旦実存させてしまった罪は、赦すことが不可能となる。

 

それに何より、本当に責めているのは自分ではなく、

 

聖霊であり、神である。

 

聖霊を責めながら、聖霊助けてください、っておかしい。

 

そのことに気づいてから、自分責めを止めると誓った。

 

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具体的にどうするかというと、まずは、今に戻る。

 

そうして、今この瞬間に在る神に抵抗せず、

 

お前はなんてダメなんだ、バカバカ、と責めている思考が

 

シュワシュワと湧きがっては消えてゆくに任せておく。

 

実際には〝責めている自分〟というものは存在せず、

 

そういう思考が、

 

ただシュワシュワと立ち上がっているだけである。

 

 

あとは、その時々の自分にとって最大の心地よいこと、

 

カフェでワインを飲んだり、マッサージへ行ったり、

 

家でなにか面白い動画を見たり、お風呂に入ったりする。

 

神への呼び水となるような法悦タイムを満喫することで、

 

自分、もとい、聖霊へのバッシングに歯止めをかける。

 

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そうやって、自分バッシングを止めると、

 

しばらくは、幻想のスクリーンに、

 

昔自分責めしていた頃の投影が映し出されるが、

 

それをやり過ごして、ロケットが大気圏を抜ければ、

 

一体どうしたんだ、アセンションでもしたのか、

 

というくらい、突然、周囲の兄弟が優しくなる。

 

これはもう、気持ち悪いくらい、一瞬で変わる。

 

 

あまりにヘンなので、

 

オレ、元コンババ部長に訊いたもん。

 

なんか、僕に優しくなってません?

 

って…。

 

返事は 「いや、別に。」 だった。

 

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そんな感じで、今日は昼から会計事務所へ行ってきた。

 

いま、会社は税金申告の時期に来ていて、

 

少しでも節税するために、なんやかや、するのである。

 

会計士と話し合い、資産を可能な限り損金へ詰め込み、

 

不用な利益を削ってゆく。

 

言っておくが、

 

これは決して脱税ではなく、あくまでも、節税である。

 

 

5時半に打ち合わせが済み、時間もアレだったので、

 

直帰を決め、会計事務所から自宅まで、歩いて帰った。

 

気温は15℃。風もひんやりと心地よい。

 

今夜は、ちょっと奮発して、超高級和牛肉を買おう。

 

そして、ステーキに舌鼓を打ちながらワインを飲み、

 

クラウド録画のミヤネ屋を見るのだ。

 

あああ、法悦。