ちょっとした路地に入ってみたところ、
突然、別の次元に入ったような感覚に襲われた。
最近、空間にこういう違和感を感じることが多い。
現実の世界とは違う世界に迷い込んだような、
強化ガラス一枚隔てて景色を見ているような、
現実空間と自分が乖離したような、
不思議な体感を覚えるのだ。
屋台のおばさん、湯気を上げるラーメン店、
露店が灯すアセチレンランプの明かり、
床屋の軒先からこちらを凝視しているおじいさん、
塀を歩いている猫でさえ、どこかノスタルジックだ。
うまく表現できないのだが、何かがいつもと違う。
普段とは少し次元のずれた場所に、
入りこんでしまったような奇妙な静寂感。
しばらくすると、また元の喧騒に戻るのだが、
地下鉄、オフィス、会議中、家の中、喫茶店、
至る所でそれは突然やってくる。
今日、オフィスで仕事をしている最中、
〝今後、社員の給与計算は、
ふぁちゃんにやってもらうことになりました。〟
と、佛山の人事部長からSKYPEが入った。
ふぁちゃんは会計員で人事部員ではない。
しかし、人事部員にやらせると給与情報が
漏えいしてしまうのだという。
「なんでそんな人材を人事部員にしておくのか。」
「ふぁちゃんはきっと嫌がるだろうな。」
「彼女の仕事量のバランスが取れない。」
当然、自然発生的な思考がどんどん湧いてくる。
だが、もう応戦は一切しない。
応戦しないようにする、というより、
応戦するという気持ちすら起こらない。
逆に愛おしささえ感じてしまう。
決断の主体から兄貴に明け渡してゆく。
事件は〝ここ〟で起こっているわけではなく、
僕たちは、ただこうやって設定に操られてたんだ。
神の子がこんな嘘っぱちを信じるわけがない。
縦の時間軸に並ぶ〝理不尽な言いがかり〟という
無数の別バージョンのタブが一斉に消去されてゆく。
今日、佛山工場へ出張で行ってみて分かったのだが、
結局、それは人事部長のちょっとした〝暴走〟で、
大魔神はそんなこと言ってもいないということだった。
話は変わって…。
「現実がよくなることが目的ではないよ。」
「結局それは一喜一憂にすぎないんだよね。」
「Jだって、磔になりながらも愛だけだった。」
という、殆ど自分バッシングのような論理で、
よくなった現実を否定しようとすることがある。
そんなものより、神の愛はもっとすごいよ、と…。
それは正しい。
実際、〝ここ〟では何も起きてないことが分かり、
ハートが延長されてゆくと、
現実がどうであれ、愛だけになるのは事実だ。
ただし、だからと言って、
よくなった現実を否定する必要もないではないか。
「きゃー、こんな素敵なことが起こって、幸せー!」
でOKだと思うのだ。
だが、
赦しが進み、設定が削除されてゆけば、
未来に起こるはずの出来事自体が削除され、
ある意味、平安になってゆくのは当然である。
父の国にいることを忘れなければそれでいい。
Jだって、
磔という設定くらい、簡単に削除できたはずだ。
しかし、彼はそうはしなかった。
全体でやっている一者の意識の中で、
〝磔の部分はすでに俺が終わらせておいたよ!〟
と僕たちに見せてくれたのだ。
それに、あの磔がなければ、
当時、他に何人もいたカリスマ救世主たち同様、
彼の名も、今頃は忘れ去られていただろう。
設定は消えて行くためにあるのだ。