香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

〝いま〟から離れて

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👆 どの店でも入場制限が当たり前となっている

  この店も、閉店セール中! 

 

自分は常に〝今〟にしか存在できない。

 

将来の自分の夢を語っているときも、

 

過去の出来事を思い出して、叫び出しそうになる時も、

 

結局、存在している場所は〝今〟だし、

 

僕らは、今の場所から寸分もズレることができない。

 

言い換えれば、過去の自分も未来の自分も、今にいる。

 

 

じゃあ、どうやっても今にしかいれないのであれば、

 

今という地点を〝愛の場所〟にしなければならないのに

 

大概の人は〝私の今〟は居心地が悪い、と思っている。

 

しかし、この今に対する居心地の悪さは全て、

 

外的な状況ではなく、自分の心の中で造り出されている。

 

例えば、

 

温かな陽光の中、蝶々が飛ぶれんげ畑に寝ころび、

 

心地よい春の風に吹かれながらも、

 

明日あれやらなきゃ、これどうしよう、とやっている。

 

要するに、

 

今、この瞬間から逃げ出したい状態、というのは、

 

自己否定や罪悪感で自分をバシバシやっている瞬間、

 

つまりは常に暴君が家の中に居座っている状態なのだ。

 

 

そこで、

 

自分の〝今〟が居心地悪いと、居心地の良さを求めて、

 

心の外(幻想の世界/現実空間)へと飛び出してゆく。

 

そして、この今の居心地の悪さを埋めるために、

 

お金が欲しい、最高の恋人が欲しい、成功したい、

 

果ては、悟りたい、一瞥体験したい、となる。

 

 

でも、もうお分かりだと思うが、今にしかいれないのに、

 

神のいない〝今〟以外の場所で何かしようとしても、

 

やはり、今の居心地の悪さを思い知らされるだけだ。

 

 

なので、

 

今というホーム(家)に、ステイする(留まる)には

 

〝自分の今〟を心地よくするしかない。

 

それには、自分という存在(神の子)を丸ごとイエス、

 

OKと受け入れるしかない。

 

恥ずかしい自分、意地悪な自分、死ねと思ってる自分、

 

それも全て丸ごとオーケー、なぜなら、それらの元ネタは

 

すべて〝神の愛の裏返し〟から来ているのだから…。

 

自分はただ、神の愛を求めて叫んでいるだけなのだ。

 

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もう疲れたよ、へとへとだよ、頑張るのしんどいよ、

 

という愛を求める懇請に対して、

 

いいよ、休もう、どうなったって大丈夫、愛してるよ、

 

と、どんなことがあっても、その自分を赦す。

 

なのに、悲鳴を上げている自分に対して、

 

じゃあこの事はどうするんだ、家族はどうなるんだ、

 

または、この現実はお前が作ったんだろ、

 

自分でちゃんと赦せよ、と、バシバシやってしまう。

 

 

なのでまずは、休む。

 

毎日一時間、独りでいる、独りだけでぼーっとする。

 

スマホもSNSもテレビも一切横に置き、独りでぼーっと、

 

ただ、呼吸して過ごす。

 

しかし、元来、独りで家にじっとしていられない人などは、

 

ぼーっとしていると必ず、過去の後悔や恥ずかしいこと、

 

または、未来の心配事が水蒸気のように湧き出し、

 

思わず悲鳴を上げて走り出しそうになる。

 

しかし、そんな自分も咎めず、ただ見すごしてゆく。

 

僕の経験では、だいたい一週間くらいで発作は収まる。

 

 

要約すると、

 

今この瞬間に抵抗👉今この瞬間が居心地悪い👉

 

外へ逃げる👉もっと居心地悪い👉今を居心地よくする👉

 

独りでぼーっ👉過去や未来の否定的想い👉赦す

 

という感じか。

 

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なにしろ、

 

僕達は今この場所にしか存在できないのだから、

 

今この場所を居心地よくしてやることが何より先決だ。

 

そのためには、

 

いま、この瞬間に在る神に、絶対に抵抗しない。

 

自分自身の全てに100%のオーケーを出してやる。

 

そうやって、

 

今、この瞬間に在る自分(神)を肯定し続けていると、

 

内側に全てがあると分かってくるので、

 

外界に何も求めなくなり、誰のことも気にならなくなる。

 

 

マッサージで赦し?

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 👆 日本人スタイリストのTAKEさん

 

 

今日から5連休。

 

香港では、新型コロナ感染者ゼロ人の日が続いている。

 

で、連休初日から〝おうちにいよう週間〟もナンなので、

 

髪を切りに行ったついでに、夏の服を買いに出て、

 

それから、マッサージでもしてもらおう、と思い立った。

 

 

コーズウェイベイに住んでいると、何をするにも、

 

家から歩いて5分圏内で事が済むので、助かる。

 

ヘアサロンまで5分位かな、と思ってたら1分で着いた。

 

 

以前のスタイリストさんはかなりイケイケ路線だったが、

 

前回からやってもらっているスタイリストさんとは、

 

ナチュラル路線の、何もしないヘア、で行くことにした。

 

明るい日差しが差し込む静かなヘアサロンで、

 

コーヒーを飲んだり、スタイリストさんと話をしながら、

 

〝今〟の心地よさを楽しんだ。

 

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散髪の帰りに、Tシャツとか、夏の服をいろいろ買おうと、

 

貿易センタービル周辺のショップを覗いたら、

 

ありゃりゃ、半分以上の店が廃業閉店していて、

 

残っている店も、閉店総ざらえセールをやっている。

 

僕のお気に入りだった AT-TWENTYも閉店するとかで、

 

店にはもう、売れ残った服しかなかった。

 

世界一家賃の高い香港で、国境封鎖が3か月も続けば、

 

中国の富裕層が来なくなり、そりゃやっていけないわな。

 

 

結局、何も買わずに、歩いてマッサージへ行った。

 

5月8日まではジムと同様、マッサージ店も営業禁止だ。

 

(※なんか、禁止措置が延長されるという噂もある。)

 

しかし僕のマッサージ師(パンチパーマのおばちゃん)は、

 

僕の家の近くに、レンタル個室を借りて営業しており、

 

今日はそこでやってもらった。

 

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肉体の様々な部位を指圧されるたび、心の中で、

 

赦す、赦す、赦す、好きだよ、好きだよ、好きだよ、

 

オーケー、オーケー、オーケー、大丈夫、大丈夫、大丈夫

 

神、神、神、受け入れる、受け入れる、受け入れる、と、

 

細胞のひとつひとつに優しく語りかけてゆく。

 

肉体の細胞って、怪我をして痛みを感じたりしない限り、

 

普段あまり意識されることがないので、僕はいつも、

 

指圧を利用して、細胞に溜まった負の想いを赦してゆく。

 

 

マッサージ師の指によって全身の細胞が刺激されると、

 

その隙間から、様々な想いが押し出されてくる。

 

悔しかったこと、悲しかったこと、恥ずかしかったこと、

 

次々に湧き上がる思いを、OK、OK、と赦してゆくのだ。

 

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 👆 今後はもっと長髪にしていく計画です 

 

肉体って宇宙なんだ、と思う。

 

前世からの全記憶が細胞のDNAに組み込まれていて、

 

自分が死ぬとそれらが量子へと戻り、

 

再び肉体を持って生まれ変わると、それらの量子が、

 

さっ、と細胞の中へと編成されなおされる。

 

そうやって、前世から持ち込んだカルマが、

 

今世の夢の映像へと映し出される。

 

 

なので、マッサージは僕にとって、

 

とても重要な赦しのワークとなっている。

 

 

君は何を恐れているのか

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例えば…、

 

お金がないからやりたくない仕事をしている、

 

愛情を失いたくないから家庭生活を続けている、など、

 

それを失わないためにどういう言動を取ればいいのか

 

僕たちは意識のうちに選択して行動している。

 

そうやって毎瞬、自分ではない選択をしているのは、

 

失うことを恐れているからである。

 

ある意味僕たちは、恐れることで安定していられるのだ。

 

 

しかし僕たちは、

 

お金や愛情を失うことを恐れているのではない。

 

本当は、神を失うことを恐れている。

 

だが、神は失われてなんかおらず、それどころか、

 

ずっと僕たちから片時も離れることなく、ここに在った。

 

 

恐れの正体が神なのなら、

 

僕たちは、神以外を感じることはできないのだから、

  

安心して恐れていればいい。

 

だが、最初からむりくり、この恐れは神なんだあーっ、

 

とやる必要はない。

 

種を撒いたばかりで、いきなり花は咲かないのと同様、

 

時が来れば、それは愛だった、と必ず理解が起こる。

 

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ただ、敢えて、神の愛を感じるためのコツを挙げるなら、

 

今、この瞬間をできるだけ心地よくしてやることだ。

 

今、この瞬間の心の状態を極力穏やかにしてやること。

 

明日の仕事のことを考えてドキドキしていたり、

 

過去に負った心の古傷がズキズキ疼いたとしても、

 

その思いがふと浮かんできているのは〝今〟である。

 

故に、それらの解釈を取り下げるのも〝今〟しかない。

 

 

だから、自分の部屋にアロマを焚いたり、花を飾ったり、

 

おしゃれな昼下がりのカフェでお茶を飲みながら、

 

僕のおしゃれカリスマブログを読んだりして(👈アホ)

 

少しでも、今のこの空間を〝いい感じ〟にしてやる。

 

それが神への呼び水となる。

 

 

とまあ、そんな感じで、明日から5連休に入る僕は、

 

癒し音楽(乃木坂とか)を聴き、白ワインを飲みながら、

 

リラックスモード全開で、この文章を書いている。

 

 

ああ、神~っ。ぷはー。

 

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