香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

今と、背後と、兄貴の国

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👆 シティスーパーのトミカコーナー

 

 

今、この瞬間に、背後(見えない世界)で、

 

父や兄貴と共に在る時間が長くなるにつれ、

 

過去や未来に右往左往しながら、

 

前側(頭/思考の世界)で、

 

無数の肉体と共に過ごすことが、

 

心底ウソだと確信できる今日この頃である。

 

 

「ほれほれ、ここは緊張するところやろ」

 

「ほれほれ、アイツ、あんなこと言うとるでえ」

 

「ほれほれ、悲しいなあ、くやしいなあ」

 

「ほれほれ、お金もう無いで。どうすんねん」

 

「うわっ、お前、もう、終わってるやん!」

 

 

自我の囁きがなぜ関西弁なのかはさておき、

 

完全に背後の王国がリアルそのものになると、

 

出来事に反応して出てくる自我の囁きに対し、

 

あ、これって、自分が思っているのではない、

 

自分でこう思おうと決断したのでも何でもなく、

 

ただ、勝手に湧き上がって来てるだけだ、と、

 

冷静に、クールに、淡々と、認識できてくる。

 

 

こんな時、僕はいつも、脱力するように、

 

冇問題(モウマンタイ)、と呟いてから、

 

ソッコー背後の兄貴へとモードを切り替える。

 

冇問題とは、

 

広東語で「問題ない」という意味で、

 

〝有る〟という文字の横線二本を取って、

 

〝無い〟という意味の漢字になる。

 

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買いたかったお弁当が売り切れていた。

 

人前でしどろもどろになってしまった。

 

旦那(奥さん)のあの態度、なんやねん。

 

 

これらに一体何の問題があるのか、

 

完全に冇問題(モウマンタイ)ではないか、

 

自分の中に神がいると、何の問題もないことが

 

頭ではなく、感覚で理解できてくる。

 

 

 

いま、この瞬間に対する抵抗をやめ、

 

一旦、この〝愛の流れ〟に乗れば、

 

案外、その後は自動的に、パパパ、と進む。

 

 

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とまあ、

 

そんな感じの毎日を送っているボクであるが、

 

来週の5連休はやはり、ネットやスマホを遮断し

 

完全お籠り24時間創作三昧で行くことにした。

 

しかし、5日間丸々はきついので、

 

最初の一日にいろいろやりつくし、

 

残りの4日間を完全お籠りとすることにした。

 

 

さ、これからが秋本番、

 

切なく、秋っぽい映画でも見ながら、 

 

ちょっと物哀しい、秋の夜長を満喫するのだ!

 

 

ボクの選択

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実働五時間の時短勤務は続いている。

 

それでも仕事は次々やってくるため、

 

今、この瞬間に一点集中で乗り切っている。

 

(いまここ、の使い方合ってるのかな?)

 

 

今日も仕事帰りにジムに寄った。

 

6時以降はものすごく混み、

 

使えるマシンがないので、

 

いつも30分ほどトレッドミルで走り、

 

バランスボールで腹筋だけして帰る。

 

それに、チョイ姐が去った今、

 

自分で風呂を洗わねばならない。

 

そのため、なるべくジムで風呂に入り、

 

家の風呂を洗わずに済むよう

 

心がけている。

 

同じ理由で、

 

コップを洗うのも面倒なので、

 

お茶も、水も、ワインも、

 

今は一個のコップだけで飲んでいる。

 

おかげで、

 

部屋はチョイ姐がいた頃より、

 

ずいぶん片付いているのだっ。

 

(それって、ちがうような気がする…)

 

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というわけで、9月30日~10月4日まで、

 

国慶節の休暇で香港は連休となる。

 

いつもはこの時期に一時帰国休暇を取り

 

日本へ2週間程里帰りをするのだが、

 

今年は香港でお籠りの5連休となる。

 

香港内で別段行きたい場所もないし、

 

これといってやりたいことも無い。

 

うだうだと時間を過ごすくらいなら、

 

思い切って、この5日間は、

 

ネットも、テレビも、筋トレも、マッサージも

 

バーも、カフェも、お酒も、スマホも、

 

ぜーんぶ遮断して、創作だけに専念しよう、

 

という考えが〝ふっ〟と浮かんできた。

 

 

そうだ、そうしよう。

 

ヴィパッサナー瞑想ではないが、

 

睡眠と食事以外の時間を、

 

全て創作だけに捧げるのだ!

 

書きたいネタは溜まりに溜まっているので、

 

神が入りさえすれば、かなりイケるはずだ。 

 

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背後がリアルになればなるほど、

 

エゴの囁きというのは、ただ〝ふっ〟と、

 

何の脈絡もなく湧いてきているだけで、

 

自分が思ったのでもなければ、

 

自分とは何の関係もないものだ、

 

ということが腑に落ちて分かる。

 

なので近頃では、どんなに小さな囁きも、

 

捉えて、無視できるようになった。

 

 

今日、せんべいをぼりぼり食べていたら、

 

「ほれほれ、太るで。炭水化物やでえー」

 

とエゴが囁くので、ああ、囁いてはるわと、

 

気づいて、ソッコー無視して背後へ戻った。

 

 

それでも、あんなにランニングしたのに、

 

調子コイて食べてるとヤバい、

 

とは思っていて、それなら、イッソのこと、

 

自分でちゃんと、

 

〝食べない〟ことを決めてやろう、

 

と思った。

 

自分で意識的に決めて行動した時点で、

 

もうそれはエゴの選択ではなくなっている。

 

で、結局、残りのせんべいを全て、

 

外のごみ箱まで持って行って廃棄した。

  

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食べ物を捨てるなんて、と、

 

眉をひそめる方もいるかもしれないが、

 

僕は、

 

食べ物を捨てることに罪悪感を感じない。

 

だから、自分の要らないものを、

 

他人にあげて処理してもらおう、

 

とも思わない。

 

もちろん、無駄にホイホイ捨てたりしないが

 

もう誰も食べないな、と思ったら、捨てる。

 

食べ物を粗末にするという意味ではなく、

 

食べ物が、

 

僕の胃に入るか、ごみ箱に入るか、

 

どちらの方が正しくて、どちらが罪なのか、

 

そんなの誰にも分からないではないか。

 

どうしてそれを、

 

いけないことだと思っているのか、

 

直視すべきはそこである。

 

 

場慣れ

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👆 桃のカクテルを作ろうと、

  安めの黄桃を買ってきた。

 

いまから10年くらい前、

 

まだ深圳にうちの工場があった頃の話だ。

 

クリスマスが近いこともあり、

 

僕は、財務の女の子4人を引き連れ、

 

シャングリラホテルの最上階にある

 

レストランへ、ビュッフェを食べに行った。

 

 

市内が一望できるこのレストランは、

 

当時の中国の人にとってはかなり高級で、

 

店内も西洋人が多数を占めていた。

 

喜んでもらおうと思って連れて来たのだが、

 

予想に反して、あまりに場違いな雰囲気に

 

気後れした彼女達は、急に無口になり、

 

料理もあまり喉を通らない様子だった。

 

僕は、ビュッフェを楽しむにあたって、

 

自分が食べる分だけを取ってくること、

 

ひとつの料理を山盛り取ってこないこと、

 

一回で少しだけ、を何回も繰り返すこと、

 

などをレクチャーした。

 

すると、時間が経つにつれ、

 

彼女達も場の周波数に馴染んできたのか

 

リラックスして食事を楽しめるようになった。

 

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 👆皮をむいて種を取るだけで疲れてしまい

   カクテルにする前に食べてしまった

 

初めてファーストクラスに乗る時とか、

 

一人でブランドショップに入る時とか、

 

好きな人と初めてのデートの時とか、

 

ちょっと、

 

ウキッ!とするような場所へ行ってみたり、

 

ウキッ!とするようなことをしようとする時、

 

緊張して、びびってしまうことがある。

 

要するに、

 

今、この瞬間にある豊かさを味わうには、

 

〝場慣れ〟が必要なのだ。

 

 

まあ、僕くらいの年齢になると、

 

だんだん面の皮も厚くなり、

 

こういうドキドキ感も少なくなってくるのだが

 

この〝ウキっ〟とした感じを味わうことは、

 

神の気配を感じることでもあり、

 

ハートの悦びを味わうことと同じである。

 

 

〝ウキッ〟だけにフォーカスしていると、

 

「ほれほれ、ドキドキするやろ、場違いやろ」

 

というエゴの声はやがて、

 

リラックスした兄貴の声に取って替わり、

 

そこから神が前面に押し出されてくる。

 

 

ウキっとした感じ、とは、僕の感覚では、

 

文字通り、浮きっ、と、水面に、

 

ゆらゆら浮いてるような感じで、

 

そんな時は、聖霊兄貴と繋がり、

 

背後の実相と一体になっている。

 

その瞬間、自分は故郷にいると解かる。

 

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また、兄貴にアクセスするコツは、

 

ウキっとする気分を味わうことにある。

 

ドキドキがウキウキに取って替わったら、

 

エゴが兄貴に取って替わったと見ていい。

 

 

デイヴィッドのコミュニティやワプニック氏が

 

聖霊に一致して動く、と言ったりしているが、

 

それは、要するに、愛の感覚、

 

ウキっとする感じで動くことだと理解できる。

 

 

エゴは緊張させるが神はリラックスさせる。

 

すると、自分に対しても、人に対しても、

 

世界に対しても、優しい気持ちになれる。

 

 

このブログでも何度も書いているが、

 

会議とかでも、先のビュッフェの例と同じで

 

まあ、ウキっ、まではならないけれど、

 

場慣れしてくると、案外、緊張なくいられる。

 

 

という感じで、

 

毎日大雨が続いている香港であるが、

 

今月一杯、時短勤務となった。

 

僕は明日火曜日からお仕事である。

 

仕事帰りのカフェでの一杯にウキっとしつつ

 

今週も背後で行く!