香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

有り難いが震えてる

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👆今日はハイサンプレイスでうな重を食べた

 

なんだか気だるい金曜の夜である。

 

土曜日に洗濯や部屋の掃除をしたくないので、

 

〝今、この瞬間への抵抗〟をやめ、

 

今、アイロンがけと床のモップ掛けをしている。

 

以前は、ホイホイ、それぞれの部屋のゴミ箱に

 

ゴミを捨てていたが、回収が面倒なので、

 

今は、台所にある生ごみ用のゴミ箱へ

 

〝一点集中〟で捨てている。

 

しかし、ふっと我に返れば、花の独身貴族が、

 

金曜の夜にひとりアイロンがけなんて…、と、

 

ジガ男のささやきが聞こえてくるのだが、

 

これは実在ではない、と即行兄貴に明け渡す。

 

 

くうぅーっ!

 

チョイ姐、カムバッーク!

 

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というわけで、小さな〝有難い感じ〟で、

 

みぞおちの辺りがひゅんひゅんしている。

 

そして、

 

この有難い感じは、不安感と同じものだった、

 

ということが最近ようやくわかってきた。

 

意識が、

 

見えている前側(自我側)へ向いているか、

 

見えない背後側(神側)へ向いているかで、

 

ハートの感じ方が180度変わってくるのだ。

 

それで、

 

今、有り難いなあと思えているということは

 

今、ちゃんと神と共に在るのだな、

 

と、感じられるのだ。

  

 

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いまはもう、

 

ただ、ハートの愛の流れに任せている。

 

コツは〝決める〟ことである。

 

 

僕は、会社の仕事や、お付き合いなどで、

 

現実社会に集中しなければいけなかったり、

 

規則に従って行動せねばならない時、

 

「いまはこれに集中する」と決めて行動する。

 

会議で発表している時でも神を思い出す、とか

 

会社の飲み会の時にも、今この瞬間にいて…、

 

といったことはやらない。

 

今は思い切りテンパりながら発表する、

 

今は同僚と思い切り愚痴を言い合う、と、

 

〝凛と決めて〟そうする。

 

そして、それが終わったらまた神に戻る。

 

そうしていると、無駄な自分責めがなくなるし、

 

慣れて来れば次第に、

 

会議の時でも、会社の飲み会の時でも、

 

愛のまま日常を生きれるようになってくる。

 

 

後ろ髪ひかれ隊

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👆 薔薇のお酒〝玫瑰露酒〟

  ひと瓶まるごと〝バラ〟!

 

いつもお世話になっている、

 

香港のカリスマブログで

 

薔薇のお酒を紹介していたので買ってみた。

 

 

普通にスーパーで買えて、400円くらい。

 

天津製で、アルコール度数が54度もある。

 

こんなのガブガブ飲めないので、

 

ちょっと舌で舐めるだけにした。

 

匂いも、味も、バラ!

 

薔薇の香水を飲んでる感じ。

 

薔薇を味わった経験なんて一度もないのに、

 

なぜか「あ、これ薔薇だ」と解かる味なのである。

 

甘いので炭酸で薄めればおいしいかも…。

 

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というわけで、

 

全ての事柄の中には感謝が隠れている、と、

 

しみじみ感じる今日この頃である。

 

 

例えば、僕が今の会社や香港を離れ、

 

新たな人生を始めようとしたとき、

 

どこか、後ろ髪をひかれるような、

 

何とも言えない寂しさが込み上げてくる。

 

こんな時、

 

僕はやはり「ああ、有難いなあ~!」と思うのだ。

 

後ろ髪をひかれる、ということは、それだけ、

 

この会社でよくしてもらっている証拠だからだ。

 

もし、給料が安く、上司が怒鳴り散らしていて、

 

みんなが縮こまって仕事をしているような

 

会社だったら、寂しさなんて感じる間もなく、

 

さっさと、逃げるように去ってゆくはずである。

 

 

また、家族を亡くして悲しい思いをしたり、

 

親を施設に入れるときなんかに感じる、

 

もっとああしてあげていれば、という切なさも、

 

やっぱり、有難いことだなあ、と思うのである。

 

悲しみや後悔は、そこにちゃんと愛があった、

 

たくさん愛をもらっていた、という証だからだ。

 

 

それから、

 

これは若い頃の僕の父親がそうだったのだが、

 

パートナーから攻撃的っぽい態度を取られ、

 

涙がちょちょぎれそうになるのも、

 

よく考えれば有り難い。

 

本当に相手の事が憎くて嫌いだったら、

 

ささいなことで怒ったりなんかしないと思う。

 

もう完全無視で、給料だけ入れてね、みたいな。

 

きっと、

 

真剣に向き合って欲しかっただけなのだろう。

 

 

まあ、あんまり例がよくなかったかもしれないが、

 

最近こんな感じで、

 

様々な感情が感謝へと反転してゆき、

 

あらゆる人や物や事柄の中に、有難いなあ、

 

がいっぱい詰まっているように感じられるのだ。

 

 

もちろん、仕事できいぃーっとなっている時とか、

 

有難いを感じるどころではない事も多いのだが、

 

それでもこの、有難いなあ、という想いは、

 

自我ではなく、やはり、神に属するものだ。

 

 

それと僕は、具体的に何かに感謝をしたり、

 

誰かに感謝を述べたり、というよりも、

 

ただ、有り難いなあ、という〝感じ(想い)〟

 

だけを味わっている方が、神へ戻って行き易い。

 

 

こうやって、周囲に充満している小さな小さな、

 

〝ああ、有り難いなあ〟に浸ることで、

 

自分が愛そのものの存在だったことを

 

思い出してゆくのだ。

 

 

では、おやすみなさい…。

 

 

 👇 更新しました

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赦して感じる

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アメリカ大統領選で接戦が続いている。

 

僕はどちらかと言えばトランプ派である。

 

周りばかり気にして何もしない人より、

 

たとえ、極端な言動であっても、明確にこうする、

 

とはっきり示して実行してくれる人の方がいい。

 

それにトランプが落選すれば、今後中国が、

 

やりたい放題になると懸念されてもいる。

 

それにしても、

 

まだ結果が確定していないにもかかわらず

 

勝利宣言してしまうトランプ氏、

 

こんなオレオレ主義が支持される国で生まれた

 

奇跡講座はやはり、

 

他責型アメリカ人向けに書かれたものだ

 

と言えるだろう。

 

なので、

 

自責国家で育った日本人が実践する際は、

 

まずこの点を理解しておくべきだと、

 

感慨を新たにした次第である。

 

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と、話は変わって、

 

奇跡講座では〝赦しの実践〟が、

 

とても大切な要素のひとつになっている。

 

もちろん僕も、このブログで書いているように、

 

それぞれの時代に差し出されたレッスンを、

 

その時々のレベルで精一杯赦してきた。(と思う)

 

 

赦しの第1ステップ:原因の所在を認識する

 

赦しの第2ステップ:聖霊と共に幻想を直視する

 

赦しの第3ステップ:聖霊による原因の取消し

 

(微妙に違っていたらすんません!)

 

 

これら〝赦しの3ステップ〟も、

 

僕の場合は、気づいて、感じて、見過ごす、

 

という感じでやっていた。

 

そして、

 

何を赦した時だったのかはもう忘れてしまったが

 

ある時、赦しが起きた後に、わわわーっと、

 

愛おしいような、全肯定されているような、

 

何とも形容しがたい、優しく穏やかな気持ちが

 

心の中にあふれてきたことがあった。

 

それ以降、この愛の気持ちを感じることが、

 

赦し完了の目安、となった。

 

 

今ではもう、愛の方が先行しているというか、

 

抵抗をやめて無限の全体側へ向かえば、

 

自分がすでに愛そのもので赦された存在だった

 

ことが自動的に体感されてくるので、

 

ある意味、何もしないことが赦しとなっている。

 

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その赦しの過程で、僕にとって大きかったのは、

 

自分の内側に在る神に気づいたことだ。

 

神の愛の歓びが常に流れており、

 

自分はもともと〝それ〟そのものだった、

 

ということを体感として経験できた瞬間から、

 

何かをしているように見える兄弟は存在せず、

 

自分も前側(前方)にはいない、ということが、

 

理論ではなく、本当に理解できたのだ。

 

 

最初、この神の感じに触れた時、

 

自分はエゴの世界を天国のように感じている、

 

と思って、すぐさま封印した。

 

すると、逆に不安感がぞくぞく出てきて、

 

エゴの世界に独りぼっち的な感覚に襲われ、

 

もういいや、と抵抗を止めて飛び込んだら、

 

全部が神(父)だった、となった。

 

 

量子力学では、同じ振動数同士の素粒子が、

 

互いに引き寄せ合うのだという。

 

日常のほんの小さな歓びから神を見出す。

 

それが、天国の愛に気づく呼び水となる。