香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神が顕われた世界

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以前の僕は、

 

個の自分なんて存在しないんです、

 

全体(実相/一なる神の子)しかないんです、

 

肉体の自分が故郷へ還るのではないんです、

 

という観点から、この星谷周作という自己は、

 

幻想で無なので、それは消えてゆくべき存在だ、

 

と、考えていた。

 

もちろん、

 

星谷周作は幻想であることに変わりはないが、

 

ただ、そう思う一方で、

 

じゃあ、好きな歌手の歌を聴いて号泣している

 

自分もまた無なのか、

 

恋人やパートナーや息子や娘を、

 

たまらなく愛おしく思うのも分離なのか、

 

心のこもった料理を食べたときに感じる喜びも、

 

自我から来ているものなのか、

 

もっと言うと、誰が赦しを実践しているのか、

 

肉体である個の自分が幻想なのであれば、

 

一体、どこにいる誰が、

 

愛を感じて歓んでいるのだろう、と、

 

疑問に思っていた。

 

 

そして、無限の全体に繋がった本当の自分は、

 

すでに個の肉体の自分ではなく、愛そのものので

 

全一な存在だったことを思い出すにつれ、逆に、

 

肉体としての個の自分も全部ひっくるめて、

 

神の顕れだったんだ、という理解が起こった。

 

いたるところ、神が〝顕われ〟ている。

 

だから、肉体なんて幻想で実在ではない、

 

だから何を感じてもそれはない、とやってしまうと

 

神の顕れを拒絶することになり、余計苦しくなる。

 

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僕の場合、

 

個の自分を、夢の中に顕われている神だ、

 

と捉えるようになってから、すごく楽になった。

 

個の肉体として苦しんでいるように見えている、

 

一切の葛藤や苦しみも、神が顕れているんだと、

 

優しく無限の全体へと返してゆけるようになった。

 

少なくとも、自分に優しく寄り添えるようになった。

 

すると、普段目にするあらゆるものの背後から、

 

神の光を目撃するようになった。

 

 

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とまあ、そんな感じで、連休4日目もまた、

 

夜通し、映画を観たり、小説を書いたりして、

 

眠ったのは朝の6時だった。

 

それから、午後3時に起きて、うだうだしている。

 

こんなの一人暮らしでなければ絶対不可能だ。

 

そういう意味で、

 

人の目や思いを一切気にしなくてよい空間を

 

確保するために一人暮らしをしている気がする。

 

外で何があっても家に戻ればリセットできるから。

わたしで勝負!

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人にはそれぞれ、

 

その人特有の〝気質〟というものがある。

 

しかし殆どの人が、持って生まれたその気質を

 

他の人や世間の常識と違うからダメ、と捉え、

 

〝嫌なもの〟〝恥ずかしいもの〟として否定し、

 

心の奥深くに封印してしまったりする。

 

 

僕は10代の頃からずっと、

 

そんなに実力があるわけでもないのに、

 

仕事でも、プライベートでも、なぜか、

 

実力を持った目上の人、

 

先輩や年上の人に引き立てられてここまで来た。

 

仕事がうまくいくようにお膳立てをしてもらったり、

 

小説も、編集者に細々と手を焼いてもらうことで

 

出版できたりした。

 

僕自身もまた、そんな〝可愛がられキャラ〟を、

 

まんざらでもないと思っていた。

 

 

しかし、年齢を重ね、

 

周囲の人が皆、年下になってゆくにつれ、

 

今度は自分が下の者を引っ張って行く番だ、と、

 

ナゾにテンパリ始めた。

 

それで、いろいろ兄貴風を吹かしてみるのだが、

 

どうもうまくいかない。

 

年下の人たちの方がはるかにしっかりしている。

 

やがて、

 

「星谷さん、いい年して、しっかりしろよ!」

 

と思われているんじゃないか、と怖くなった。

 

〝目上の人から世話を焼かれる弟キャラ〟を、

 

自分では何もできないダメキャラ、として捉え、

 

否定し始めた。

 

すると〝もう何やってるんですか〟的な出来事が

 

次々に起こりだした。

 

 

で、悩んだ末に悟った。

 

頼れる年上キャラは自分に合わない、

 

もともとそんな気質ではないのだ、と…。

 

 

これって、聖子が明菜になろうとするのにも似て、

 

不毛だ。

 

自分のスペックにないものをやろうとしても、

 

そんなのドダイ無理なのだ。

 

 

それで、もう自分は今後、

 

60歳になっても、70歳になっても、

 

世界中の兄弟たちを頼れる兄貴だと思って

 

思い切り甘えて世話をしてもらおうと開き直った。

 

それで、助けてください、全部お願いします、と、

 

なんでも平気で人にやってもらうようになったら、

 

案外、そういう立ち位置でいられるようになった。

 

これまで〝ダメだ〟と否定し続けてきた、

 

〝末っ子気質〟を完全に受け入れた時、

 

なぜか「星谷さん、しっかりしてくれよ!」

 

的な事象もおこらなくなった。

 

すると、不思議なことに、

 

今度は、年下の人が困っているのを見ても、

 

自然な形で助けてあげられるようになった。

 

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会社なんかだと、

 

人への気遣いができる優しい気質の人は、

 

押しが弱いから出世できないと言われたりする。

 

そこで、リーダーシップを発揮しようと、

 

必死で頑張ったりするのだが、ノー!ノー!

 

優しくて何が悪い、自分はこの気質で行きます、

 

これで出世できないのなら、それでケッコー。

 

本来自分が持っている気質に抵抗せず、

 

決然と自己の本質(神)を受け入れことで、

 

葛藤(罪悪感)が消え、愛が戻ってくる。

 

結果、

 

その人独自のリーダーシップが発揮される。

 

 

自分の本来の素材に対する抵抗をやめ、

 

正直に見極め、そのままを表現することで、

 

否定し抑圧しているものから解放され、

 

自分の中に愛が復活する。

 

 

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幸せなクリぼっち

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クリスマス休暇真っ只中のボクである。

 

休暇一日目の昨日は、もう、ただただ寝ていた。

 

無理に起きようと思えば起きれるのだが、

 

自分には分からないプログラムの更新が、

 

裏で走っているのだろう、と、眠るに任せていた。

 

 

それで今日は、朝から家の大掃除をした。

 

天井、タイルの壁、各部屋のドアなど、

 

漂白剤を少しだけ混ぜた水で拭きまくった。

 

家具にはちゃんとワックスをかけ、

 

冷蔵庫や電子レンジの中も掃除した。

 

また、要らない服とかタオルとかも断舎離した。

 

最後は、掃除機とモップがけをして終了。

 

 

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👆 酒瓶やおもちゃも全部取り出して磨く

  このエリアだけで30分を要した
 

家って、自分の心の中の状態を映し出す鏡だ、

 

と言われるが、本当にそうだと思う。

 

なので今回は、

 

自分の心の中をクリーニングするような意識で、

 

自分の心と向き合いながら、丁寧に掃除をした。

 

 

午前中いっぱいかけて掃除をしたあと、

 

リビングのソファでボーっと休んでいると、

 

家具、カーテン、壁、床、観葉植物、など、

 

空間のあらゆるものの奥から神が輝きだし、

 

これが今の自分の内側の反映なんだ、と、

 

なんだかすっごくうれしくなった。

 

 

今回の僕は、結婚もせず、家庭も持たず、

 

子供や恋人もいない。(今は…👈ここ強調!)

 

物理的には何もないのに、

 

なんでこんなに〝うれしい〟のだろう?

 

現実には何も起こっていないのに、

 

わけもなく、ただただ有り難いのはなぜなのか?

 

 

👇 無限の全体が自分の本質だと理解してから、

  これらの記事が真実だと確信できた。

 (あくまで僕の中でだけ、なんで…)

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この感じを説明するのは難しい。

 

目には見えない領域に、巨大な愛の流れがあり

 

それこそが自分の本質そのもので、

 

そこでは、全員がひとつに解け合っている。

 

 

今、この瞬間に在る神に抵抗するのを止めた時、

 

左から右へと横向けに感じらていた時間の棒が、

 

ぐわんと90度回転し、縦に貫く点となって、

 

自分の過去と未来、他者の過去と未来が、

 

今、同時に展開しているように見えるのだ。

 

 

なので、たとえエゴの感情が上がってきても、

 

「あ、自我だ!」と気づいて、本質へと戻れば、

 

自我は兄貴によって愛に変えられてしまう。

 

このとき、自我のように見えていたものは消え、

 

代わりに、なんとも言えない愛おしい感じが、

 

わわわわっとこみ上げてくるので、

 

「あ、赦しが完了した!」と感覚的に分かる。

 

 

すると、縦軸に連なっていた、

 

あらゆる過去や未来の幻想のシーンが、

 

ごそごそっ、と消去されてゆくのも見える。

 

比喩ではない。本当に見えるのだ。

 

 

以前は、瞑想の時でなければ、

 

この愛への変換の流れが起きなかったが、

 

最近では、普通の生活の中でも可能になった。

 

 

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明日はチムサーチュイへ繰り出すつもり。

 

そして、これからゆっくり、

 

白ワインにサクランボをつまみながら、

 

全日本フィギュアスケートを見ることにする。

 

99%羽生選手が優勝かな?

 

礼儀正しいし、素晴らしい選手だとは思うが、

 

目つきが怖すぎる!と思うのは僕だけだろうか?

 

鋭い、とか、目力、というのではなく、

 

どこか、イッちゃってるような目。

 

あの目を見るたび、何か底知れぬ狂気というか、

 

本当はこうしたいのにできない何か、

 

を抑圧しているような気がして、怖くなるのだ。

 

そう感じるのは僕だけかも知れないけれど…。

 

  

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