香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛も恐れも…

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👆 昼間のスタバは在宅勤務の人たちで満員

  やっぱり、家で仕事はしたくないよね!

 

 

今日も寒い。とうとう朝の気温は6度を下回った。

 

それでも今日は在宅勤務だったので、

 

書斎の扉を閉め、暖房ガンガンで仕事をした。

 

午後から、海外傷害保険と税務申告の件で、

 

保険会社と会計事務所を連続で訪問した。

 

2社とも僕のアパートから徒歩10分で行ける。

 

昼は気温も14度まで上がり、日差しもあった。

 

 

保険会社で話を聞けば、香港にある日系企業も

 

政治不安などから撤退が続いているのだという。

 

特にうちのような、

 

スタッフが数人しかいない、小さな現地法人が、

 

撤退を余儀なくされているらしい。

 

うちの事務所も、もう一人の日本人が、

 

娘さんの進学の都合で三月に帰任するため、

 

今後は僕とエドワードの二人体制となる。

 

以前、コロナ禍が終われば、

 

僕も新たな未来へ旅立って行く予定だ、

 

と書いたのだが、

 

香港の国境や空港はいまだ閉鎖されたままで、

 

寸止めを食らっている状態である。

 

それでも、今のモラトリアム(一時猶予)期間を、

 

大いに楽しみ、味わっていこう、と思っている。

 

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以前の記事で、同僚、友人、道行く全ての人々が

 

僕を全力で助けようとしてくれているように見える

 

と書いたが、そうした彼らへの感謝と愛の念は、

 

日に日に増すばかりである。

 

 

こんなにも〝愛してる〟が溢れているのはきっと

 

自分の内側に優しさや愛が溢れているからだろう。

 

自分が自分の事をどう思っているかが、

 

他者が自分に対してどう振舞うかを決定するので

 

自分の本質を「ダメだ、罪だ、幻想だ、関係ない」

 

と攻撃していると、決まって他者に扮した自分が

 

バシバシ自分を攻撃してくる。

 

そこから不安感や怒りが生まれ、

 

心の中でループする。

 

 

ノー!ノー!ノー!

 

攻撃してしまったなら、それはそれでオーケー!

 

「私、あの人だーいキライっ」ならそれでいい。

 

あいつ、殺す、と思ったならそれでも大丈夫。

 

立ち止まって、選びなおし、

 

それは幻想でなんちゃら、なんて要らないっ!

 

たとえ、心の中で何を思ったとしても、

 

それもやはり愛だ。

 

愛か恐れか、を選択することなど不可能で、

 

なぜなら、愛も恐れも、同じ一つの愛であり、

 

問題は、恐れが出てきた途端、

 

「私は愛(神・天国)を選択します!」と、

 

ハエ叩きでパシパシやっている点にある。

 

自分はそのままで完璧な愛の存在であり、

 

そのままで、受け入れられ赦されている。

 

 

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自我まみれの自分に問題がある、

 

と思っている自分に問題がある。

 

 

怒り狂おうが、ダダをこねようが、攻撃しようが、

 

それもまた、愛のひとつの側面である。

 

 

そして、これはすごく皮肉なことなのだが、

 

そのことに気づいて、

 

そのままの自分にオーケーを出せた瞬間、

 

言いようのない愛と感謝が戻ってきて、

 

愛を求めていた自我が、愛そのものへ変わる。

 

 

ここに在るわたし

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寒いよう、寒いよう、寒いよう~っ!

 

今朝の香港は摂氏7℃だった。

 

なのに、オフィスではエドワードが冷房をつけ、

 

ダウンジャケットにマフラー姿で仕事をしている!

 

ど、ど、どういうこと?

 

空気が流れていないと息ができないんだって!

 

ケリーだけではなく、お前もかっ!

 

冷たい空気=きれいな空気、ではなーいっ!

 

彼もやっぱり香港人だったのだ。くうぅーっ。

 

僕はもう足元の温風器全開にし、

 

自分のデスクから一歩も離れずに過ごした。

 

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今日は日本本社が成人の日で休みだったので、

 

メールもチャットもなく、仕事がはかどった。

 

ここぞとばかりに事務仕事を片付けた。

 

ようし、今日は4時きっかりに退勤するぞ!

 

帰りにあのビアカフェでビールを飲んで帰ろう!

 

と頑張っていたら、日繰り表の残高が合わず、

 

何度もチェックしているうちに、5時前になり、

 

結局、カフェが閉まる6時に間に合わなかった。

 

 

東京も飲食店は8時までということらしいが、

 

香港の飲食店は全て6時で閉店である。

 

ジムへも1カ月行ってない、そろそろ家トレを

 

やらなきゃ、と思いながら通りを歩く。

 

途中、お弁当屋さんの前を通った。

 

鶏肉、卵、ソーセージ、野菜、コンビーフが、

 

丸いお弁当の中にちんまりと収まっている。

 

ひとつ買い、家で坂上忍が司会をしている

 

ワイドショーを見ながら食べた。

 

めっちゃ美味かった。しばらく通ってしまいそう。

 

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赦す必要のない一日、起こっているだけの時間、

 

いま、ここに在る神を味わっている。

 

空間を通して、自分自身の本質を感じている。

 

 

例えば、

 

明日やること、漠然とした不安、過去の出来事、

 

隣の人の声がうるさい、など、

 

いま、ここに在る神の平安から離れる理由は、

 

探せばいくらでも出てくるかもしれない。

 

しかし、これらの事でさえ、大切な愛だった、と、

 

理解できてからは、慈しめるようになった。

 

 

明日あれやらなきゃ、なんか不安だよう、

 

あの時悲しかったな、あいつうるせーよ、

 

「自分も一緒に愛(聖霊)に変わらせてくれよ」

 

と自分の中から愛を叫びながら出てきた感情を、

 

ハエ叩きで叩くように扱うなんて、

 

そんなの、自分があまりに可哀そうすぎるよ。

 

 幻想であろうとなかろうと、

 

いま〝それ〟を感じているのは事実であり、

 

〝それ〟を感じているのは自分自身である。

 

 

その感情が悪いのではなく、問題は、

 

それを忌み嫌っている、幻想の自分にある。

 

 

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無限の可能性

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👆 バルセロナのどこかの天井(2011年) 

 

自分の本質(僕の言い方では背後側の自分)が

 

完全に赦されていて、全てを肯定されていて、

 

どんな時でも愛そのものの存在であった、と、

 

体感をもって気づいた瞬間、全ての力は、

 

自分側(内側/背後側/兄貴側)に在り、

 

在るだけで全てを創造できることが解かった。

 

 

たとえ、この夢の現実世界がどう変化しようとも、

 

今、この瞬間の神に抵抗せず、

 

この無限の可能性の領域に開いて委ねていると

 

自分は何もする必要がなく、ここに在るだけで

 

このまま完璧な存在だ、という理解が起こり、

 

夢の現実はどうとでもなることが心底わかる。

 

 

お金持ちになりたい、作家になりたい、

 

最高の恋人に出会いたい、成功したい、など、

 

以前の僕は、この無限の可能性を使って、

 

様々な願望や夢を実現させたいと思っていた。

 

しかし〝真の〟無限の可能性を智った時、

 

お金持ちになりたいとか、成功したいとか、

 

そんな、すぐに消えてしまうような、

 

ちっぽけで粗末なものなんか要らないと思った。

 

なぜなら、無限の可能性の中では、

 

何かを達成しようと思えば達成できてしまうので、

 

それはもう、夢でも願望でもないからだ。

 

 

そうなると、もう肉体なんて無くてもいいや、

 

このウソの世界に居続ける必要もない、

 

幻想の世界で何を実現させても幻想じゃん、

 

という想いが日に日に強くなってくる。

 

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 👆 パリ・ドゴール空港(2013年の出張にて)

 

 

ただし、

 

「もうこんな自我と罪悪感を投影した、

 

    不安と恐怖の世界はうんざりだ、

 

    だから、さっさとこの幻想の世界から去りたい」

 

という感じでは決してない。

 

「自分が真に存在している場所を智っているので

 

    もう肉体を持ってこの夢を見る必要はないかな」

 

という感じである。

 

 

 

しかし、その瞬間が来るまで、

 

自分はまだ〝ここ〟に留まらねばならないので、

 

それまでは、

 

大いに神(無限の可能性)を表現しながら、

 

この幸せな夢の世界を生きようと思っている。

 

 

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