今日は、まだ復活祭の祝日の最終日だったが、
僕は三月の月次の締めがあるので出勤をした。
その代わり、金曜日に振替休日を取るので、
今週末は三連休となる。
人によって考えは様々だが、僕は在宅勤務より、
事務所に出勤して仕事をした方がいい。
本来、リラックスすべきプライベートな空間で、
仕事に追われたりするのって、なんか嫌だ。
というわけで、
ここ連日、LIVEでお伝えしている、
〝香港残留vs日本帰国〟騒動を使った、
神側を信頼するための実験であるが、
昨日書いたように、
〝決めない選択〟状態で過ごしていると、
「ちゃんと考えて決めんと、後で後悔するでぇ!」
と、油断した隙にふっと自我の声が聞こえ、
焦燥でみぞおちがズキンズキンと疼き始める。
すぐに、今、この瞬間に戻って、
神が選択を間違えるわけがないことを思い出す。
焦燥感、自我の声、みぞおちのズキンズキンなど
今ここに顕れてくる想いを観察し、味わっていると
これらの感情がとても愛おしいもののように思え、
いたわるような、慈しむようなもののように感じて、
これも愛の一側面だったのだ、と深い理解が起きる。
どんな思いも〝愛由来〟だったのだ。
今回の〝選択を信頼する実験〟で分かったのは
自我というのは常に頭の中だけにいて、
それが未来への不安や恐怖と結びついた時、
問題が起きるのだということである。
逆に、神や聖霊は常にハートの中だけにいて、
それが、今この瞬間に在る意識と合体した時、
あらゆる問題が削除されるのだと解かった。
今から彷徨い出て、
未来に起こるであろう顛末に思いを馳せ、
頭であれこれ逡巡していたから苦しかったのだ。
なぜなら、
自我は過去と未来にしか存在できないから、
今この瞬間に在れば、否が応でも、
自我はもう一方の側面である聖霊に
変わらざるを得なくなる。
そして、今、この瞬間に在るためには、
思考することより感じること、理論よりも直感、
男性性よりも女性性、理性よりも感受性、
意識よりも心(ハート)、建て前よりホンネ、
罪悪感より愛、他人の目より自分の目、
そして何より、自分責めより自己肯定、
が先手で循環している必要がある。
内なる自分へと深く深く入ってゆくことで、
そこから神へと繋がってゆく。
その時初めて、個の自分が無かったことを、
真に実感できるのだ。
こんな感じだと、4月もあっという間だな。