香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

瞬間の輝き

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ようやく香港でも、4月21日(来週木曜日)から、

 

コロナ措置の規制が緩和されることになった。

 

10時までの飲食店の営業がオーケーとなり、

 

ひとテーブル4人までの合席が可能になった。

 

また、ジム、マッサージ店、映画館も再開される。

 

ただし、バー、クラブ、カラオケ店は閉鎖が続く。

 

学校も、ワクチン接種済で、毎朝の抗体検査が

 

陰性の児童のみ、対面授業が可能となる。

 

 

帰国までの数週間だけでも、

 

普通の香港生活を送ることができてうれしい。

 

会員になっていたジムは倒産してしまったので、

 

早速、トレーナーとの筋トレを再開するつもりだ。

 

最後にもう一回くらい、フェリー乗り場から、

 

香港島の夜景をバックに、

 

インスタライブをしようと思っている。

 

現在のスピをぶった切るような、

 

かなり過激な発言も含まれるため、

 

鍵アカ(限定公開)でやろうと思っているので、

 

必ず事前フォローをお願いします。

 

香港での時間も残り少なく、

 

連日の過激ライブになって果てると思われ…。

 

 

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以前、今この瞬間に在る神を表現するのに、

 

無限の全体という言葉を使っていた時期がある。

 

しかし、ナマの無限の全体に、直に触れた時、

 

もうどんな言葉でも形容できなくなる。

 

ましてや〝神〟というような存在でもない。

 

そして〝これ〟はすでに自分の首から上で、

 

露わになっている。

 

他者が眼前にいても、それはもう他者ではなく、

 

何かを考えていても、それはすでに私ではない。

 

⇓ 久々に更新しました

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終わりの四月

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今日は午後から、香港人の友人が、

 

パソコンのディスプレイを受け取りに来たので、

 

ついでに近くの酒楼で飲茶(ヤムチャ)をした。

 

午後2時過ぎに行ったのだが、客は僕らだけ。

 

ひとテーブル二人までという人数制限の中、

 

大勢で楽しむヤムチャに人は集まらないのだ。

 

実際二人で点心をオーダーしても食べきれない。

 

かと言って、せいろが少ないのも味気ない。

 

結局、余った点心はお持ち帰りして夜に食べた。

 

 

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前回の記事で、

 

探求する〝私〟が消えた、と書いたが、

 

だからと言ってあらゆる欲が消えたわけではなく

 

常に平安で幸せ、というわけでもない。

 

また、神秘的で特別な境地に至る感じでもない。

 

 

会社で嫌なヤツがいたらいたままで、

 

パートナーに不満があれば不満タラタラなままで

 

全財産が千円なら千円のままで、何の問題もなく

 

その瞬間にカタがついていて赦され切っている。

 

 

夢の世界は雲の如く常に変化しているので、

 

起こることを自分で制御するなど絶対不可能だ。

 

想いや感情をコントロールすることもできない。

 

従って、赦そうとしたり、気づこうとしたり、

 

委ねようとしたり、受け入れようとしたり、

 

見過ごそうとしたりする〝自分〟がいる時点で、

 

すでに、赦すことも、気づくことも、委ねることも、

 

受け容れることも、見過ごすこともできない。

 

奇跡講座では、一歩引いて何もしない、とか、

 

操縦席を聖霊に譲る、とか言ったりするが、

 

一歩引いて敷衍して見ている自分がいたり、

 

譲る〝自己〟が立ち上がった時点でもう、

 

一歩引いてもいないし、譲れてもいない。

 

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⇧ 32歳の友人(保険の外交員/成績トップ)

  肌のつやが違う。ああ、戻りたーい!

 

 

形而上学で理解したり、頭で分かろうとすると、

 

その時は楽になっても、必ず再び迷い始める。

 

苦しい⇒聖霊に委ねる⇒赦し⇒気づいた⇒

 

ああそうだった⇒納得⇒平安⇒でも待てよ…

 

と、玉ねぎの皮むきを延々繰り返す。

 

 

自分なんて無い、をはっきりさせるには先ず、

 

自分に向かわなければならない。

 

ワプニックでもなく、アーテン&パーサでもなく、

 

小和田菜穂さんでもなく、バシャールでもなく、

 

その他あらゆるスピマスターでもなく、

 

先ずは自分である。

 

自分に向かい始めたとき、

 

そこに自分なんてないことが明白になる。

 

 

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今週末か来週あたり、

 

インスタライブをしようと思っている。

 

ただし、限定公開の鍵アカ配信となるので、

 

事前フォローをお願いします。(@hoshitani)

 

 

 

赦されきった世界

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今日の香港は雲ひとつない晴天だった。

 

最高気温も28度と初夏を思わせる一日だった。

 

僕はといえば、他の香港人男性を真似して、

 

真昼間からランパン一丁で競馬場を走ったので、

 

全身日焼けで真っ赤っかになってしまった。

 

短パンだけ(ほとんど裸状態)で走ったあと、

 

更衣室でシャワーを浴びてからTシャツを着れば

 

着替えを持ってくる必要がないのだ。

 

そんなセコイことを考えたのがいけなかった。

 

この年齢で日焼けすると肌がシワシワになる。

 

くうぅーっ!

 

やっぱ、これからは夜に走ることにする。

 

 

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2月1日から始まった春節休みの約一週間、

 

ネットも、スマホも、テレビも、全部封印して、

 

湧きでてくるどんな想いも相手にせず、

 

ただ見えているもの、聞こえているもの、

 

触れているものだけで座り続けてからというもの

 

〝わたし〟が完全に脱け落ちてしまい、

 

ただ赦され切ったものだけ、になってしまった。

 

 

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あれから2カ月余り、この境涯が定着するにつれ

 

〝探求〟がぴたっと止んでしまった。

 

先ず、ようつべのスピ動画を全く見なくなった。

 

見ても頭に入ってこないので、3分と持たず、

 

画面を閉じてしまう。

 

それから、

 

今日はこんな美味しいもの食べました、とか、

 

こんな素敵な場所に行ってきました、とか、

 

こんな楽しいイベントに参加しました、とか、

 

欲しかった車をゲットしてもう最高ーッ!

 

みたいな、何かを手に入れて人に見せたい自分

 

というものが、すっと消えてしまった。

 

 

じゃあ、様々な意欲や探求心もなくなって、

 

すっごく無機質で虚無的な感じなのか、というと、

 

そうではなく、自分が抜け落ちてしまうと、

 

世界そのもでしかなくなってしまうため、

 

(といっても、自分が世界になるのではない)

 

わざわざ何かを探求しなくても、手に入れなくても

 

もうすでに今この瞬間のこれやん、となり、

 

日焼けして皮膚が真っ赤っかになっても、

 

トカゲが床を這っていても、誰に何を言われても、

 

絶対に大丈夫だ、というブレない感覚。

 

(といっても、それを感じている誰かはいない)

 

 

赦され切っているので赦すこともない。

 

赦す誰か、赦される私はどこにもいない。

 

カタがついて赦され切ったそのものに触れたら、

 

もう絶対に迷うことがない。