香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

夏至の日によせて



さっき気づいたのだが、もうすぐ夏至の日である。

これまでの夏至の日はどんな感じだったのかな、と、

過去の、夏至付近にある記事を読み返してみた。

2014年は、やたら眠い眠いを連発していて、

2015年は、理由のない不安や恐怖にさいなまれ、

去年は、時間がやたら早く過ぎ去ると書いていた。


で、今年はというと、プチ憎悪がやたら出てくる。

普段なら全く気にならない言動にイラッとしたり、

部下のちょっとしたミスにムカッと来たり、

過去の記憶から妄想祭りが始まったり、と、

やたらアグレッシブになってしまう。

夏至は地球のエネルギーが最高潮に達する日、

とも言われ、肉体の細胞に溜まっているカスが

出やすい時期であるとも言われる。

中でも今年の夏至の波動はこれまでで最高だとか。

どおりで〝カッカと熱く〟なるはずだ。


肉体はエゴが住まう家であり、

こうした細胞の隙間からエゴのカスが

炙り出されるたびに、取り消されているのだな、と、

赦しに専念しながら過ごすことにする。


また、一方で、

波動が頂点に達しているこの日に願ったことは、

現実世界に投影されやすいのだという。

なので、

現実にこうなりたい自分になりきって過ごすのも、

アリなのではないかと思う。


現実にこうなりたい自分…。うーん…。

僕の場合は、とりあえず、

価格もデザインも今の自分にぴったりな

黒皮ベルトの文字盤の大きい腕時計が欲しい。


チョー現実的だけど、それでいいんだよ。

というわけで、今日は日帰り弾丸広州出張だった。

海坊主総経理と陳弁護士と僕とで、

大いなる赦しの日に向けての打ち合わせを行なった。


今月いっぱいで今の弁護士事務所を辞職し、

しばらく休養することになっていた陳弁護士は、

結局、別の弁護士事務所へ移籍することになり、

僕もほっと一安心なのである。

ただ、今後は仕事をかなりセーブしていくという。


作成されたマスタープランの各項目に沿って、

みんなで討論しながらチェックマークを埋めてゆく。

システマチックな弁護士のアドバイスに対し、

〝人として〟的な持論を展開する海坊主総経理。

弁護士チャージを気にして、先へ進もうとする僕。


そんな、現実にどっぷり入り込んでいる中で、

時折〝ふっ〟と聖霊を思い出す瞬間を捉えては、

眼前の世界を、

取り消されてゆくものとして見つめることに努めた。

そんなことをしているうち、途中から、

世界を観ている自分のほうが取り消されてゆくもの、

として感覚化されるようになってきた。


まあ、現実を映し出しているのが自分なら、

現実が取り消されていることを承認すれば、

必然的に自分も取り消されるのは、

当たり前といえば当たり前である。


今、様々な事象が眼前で展開されているのは、

自分が消されて行っているということなんだ。

話は全く変わって、

昨日野際陽子さんが亡くなられた。

こういう有名人の訃報を聞くたびに思うのが、

どんなに偉い人でも、どんな偉業を成した人でも、

みんな何十年かで死ぬんだな、という事実である。


どんなにやりたいことをやりまくって生きても、

どんなに悲惨な人生を歩んで死んだとしても、

そこにどんな差があるのか。

みんな終了する。


小説を書いても、素晴らしい旅行を体験しても、

何百億稼いでも、無一文で一生過ごしても、

終われば、それはただの記憶になってしまう。

その記憶にはなんの差もない。

だって、過ぎてしまっているのだから、無だ。


だから、思うのだ。

小説を完成させて初めて〝やったあ〟ではなく、

事業で成功して〝夢が叶ったあ〟ではさらさらなく、

小説を書いているその瞬間、瞬間、

成功するために頑張っている、

今この瞬間にある豊かさや平安を、

ちゃんと見とめ、聞きとめてゆくべきなのだ、と…。


同僚とおしゃべりをしたり、部屋でお茶を飲んだり、

土曜の夜に見たい映画を観たり、

歌ったり、踊ったり、おいしいケーキを食べたり、

まだ記憶ではない、今、この瞬間の平安にとどまる。


そして、

その今の平安の中に聖霊兄貴は息づいている。