香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

泣いてたまるかっ!

👆友人にもらったお誕生日プレゼント

  ありがとう。絶対に忘れないよ!

 

 

なぜか、

 

僕の周囲には、幼少期(思春期くらいまで?)に

 

自分の母親や父親からひどい虐待を受けて育った、

 

という友人が多い。

 

 

最近も、とある、お医者さんの友人が、

 

誕生日のお祝いを渡したいから、と、

 

僕の家に立ち寄ってくれたのだ。

 

その際、彼といろいろ世間話をする中で、

 

彼の思いもよらない過去を聞くことになった。

 

彼が物心ついた頃、開業医だったお父さんが亡くなり

 

それ以後、彼の母親は、彼を医者にすることに、

 

異常ともいえる執念を燃やし始めたという。

 

彼はもともと理系が苦手で、数学はいつも0点、

 

しかし、医者にならなければ殺す、他の道は許さない、

 

という母親の強烈な虐待を受け続け、

 

結局、何度も浪人してなんとか私学の医学部に入った。

 

(本人曰く、死にもの狂いで医者になりさえすれば、

 

 母親の呪縛から解放されると思ったらしい)

 

彼は、45歳になった今でも、母親を拒絶していて、

 

精神的に大きな傷を抱えていることがうかがえた。

 

(実際、彼は2回、ひどいうつ病になっている)

 

 

実は、あのシスコ兄貴も、5歳くらいから、母親の、

 

殴る、蹴る、といった暴力を受け続けてきたという。

 

このブログに何度も登場したチコちゃんに至っては、

 

もう、書くのもはばかられるような壮絶な物語があり、

 

よくいままで生きてこられた、と涙が出るほどだ。

 

また、これはただの偶然なのかもしれないが、

 

僕が話を聞いた人はみななぜか、長男か長女で、

 

逆に弟や妹たちは、

 

不思議なことに、すごく溺愛されていたりする。

 

👆友人と裏天王寺の炉端の店で

  二人忘年会

 

僕の両親は、

 

どこにでもいる普通の大阪のオトンとオカンで、

 

悪いことをしたら叱られ、よいことをしたら褒められ、

 

絶えず親子ゲンカを繰り返しながらも、

 

とても愛情深く、僕と妹を育ててくれたと思う。

 

そういう意味で、決して裕福ではなかったが、

 

普通に育ててくれた両親には感謝しかない。

 

👆 香港にいた時、こんな炉端焼きの店で

    友人と思い切り語り合うのが夢だった

 

そして、僕のような何も分かっていない者が、

 

何か言うのもおこがましい限りなのだが、

 

そんな毒親を赦す必要などないと思うのだ。

 

スピリチュアル的観点から、そんな自分に、

 

落とし前をつけようとする必要もない。

 

何と言おうと、虐待した親が悪い。

 

こうして〝多情多恨〟のままでいることが、

 

結局、自分を癒すことになると思うからだ。

 

そしていつか、

 

落とし前をつける時が来るとしたら、

 

それは今生きている(又は死んでいる)親ではなく、

 

自分の心の中にずっと生き続けている、

 

当時の父親、または母親の〝幻影〟なのだろう。

 

ひょっとしたら、そんな自分の中に居座る、

 

の親を手放すために、多くの兄弟たちが僕に、

 

自らの辛い過去を打ち明けてくれるのかもしれない。

 

(本当に、生意気言ってすみません!)

 

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心に抱えている傷は人それぞれ千差万別である。

 

彼らはたまたま〝親との葛藤〟だったけれど、

 

別の人には、それがお金や仕事だったりする。

 

なので、このことは自分には関係ない、

 

と無視するのではなく、人の話に耳を傾ける、

 

人に話を聞いてもらう、という姿勢をもつことは、

 

とても大切なのだな、と思う今日この頃である。

 

むしろ、親しい間柄よりも、

 

ちょっと飲み屋で隣り合った人とかの方が、

 

あと腐れなく、本音を話し易かったりするので、

 

知らない人とでも話をするようにしている。

 

最後に、

 

多分若い人はこのブログを見ていないと思うけれど、

 

親がうざい、あれしてくれない、これしてくれなかった、

 

と言っている人がいるとしたら、暴力を振るわれず、

 

学校に行くお金を出してもらえ、

 

ご飯を食べさせてもらっている時点でもう、

 

〝親ガチャ〟に勝った、ようなもんである。