香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神は楽しい!

f:id:shusaku1:20210127235841j:plain

 

 

コースであれ、他のスピであれ、

 

誰の言っていることが正しいか、

 

に陥ってしまうと、とても苦しくなる。

 

 

例えば、

 

奇跡講座も、テキストはひとつなのに、

 

教師によっては解釈が微妙に違ったりする。

 

そんなとき、その教師が述べる〝解釈の型〟

 

どおりに実践できない自分を責めたり、

 

罪悪感に苦しんだりする、ということが起こる。

 

せっかく

 

Jの言葉を学ぼうとワクワクしていたのに

 

いつの間にか、

 

奇跡講座で自分をバッシングするようになる。

 

その教師の顔色を見ながら、

 

奇跡講座を学ぶようになったりするのだ。

 

その教師が教える独自の〝奇跡講座の型〟に、

 

無理やり自分を当て嵌めようとして、

 

もがいたりもする。

 

結果、無意識のうちに(👈ここ協調!)

 

奇跡講座を恐れながら、学んでいたりする。

 

 

僕は奇跡講座のほとんどを、

 

ハレ師匠から学んだが、なんか違うな、と、

 

違和感を覚えた内容に関しては、

 

無理に解かろうとせず、完全スルーだった。

 

それに自分の背後の神に気づいてからは、

 

完全に他のコミュニティに興味がなくなった。

 

 

兄弟てっちゃんもそんな感じで、

 

「それちょっと違うんじゃない?おかしいよ」

 

と、よく乙女ののりちゃんに言っていた。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

   

基本は、

 

誰が教えている奇跡講座が正しいか、ではなく

 

自分が読んで感じた奇跡講座が正しい。

 

「誰か学びが進んでいる人に教えてもらおう」

 

の前に、先ずは、自分なりに感じてみるのだ。

 

 

文章を読みながら、

 

Jと対話をし、自分なりにJを感じてみるのだ。

 

それは違うんですよ、と、

 

どんなにすごい教師が言ったとしても、

 

その時に自分が感じたJが正解である。

 

 

何でこんなことを書いたかというと、

 

昨夜、何気なく、奇跡講座を学ぶ、

 

いくつかのコミュニティの動画を見ていて、

 

そこに登場する学習者の方々の表情が、

 

とても苦しそうに見えたからだ。

 

神に戻ってゆくのに、なんでこんなにも、

 

重々しい雰囲気で学んでいるのだろう、

 

と、不思議に感じた。

 

神はいつも、歓びで、エクスタシーで、

 

至福そのものなのに…。

 

 

というわけで、

 

今日はなんかすごく乱文になってしまった。

 

では、おやすみなさい。

 

blog.hoshitani-shusaku.com