
👆 水出しコーヒーは一日5杯限定
毎日通っているので、最近ではお勘定の際、
「いつもありがとうございます」
と言ってもらえるようになった。
兄貴に促されて、嫌々始めた『神の使者』の爆読みも、
ようやく佳境に差し掛かろうとしている。
この本はもう何度読んだか分らないくらい
再読を繰り返しているが、その時々のレベルに応じて
入ってくる内容の深さも違ってくるから不思議だ。
最近では、授業が終わると、行きつけの喫茶店で、
水出しアイスコーヒーを飲みながら読むのが、
今の僕の、とても癒されるひとときとなっている。
読み進めるうち、なぜ兄貴がもう一度この本を読め、
と言ったのかが、分かってきたような気がする。
どうやら兄貴は、
今なら僕が、夢の現実をリアルにすることなく、
起きていることの本質を直で赦せる、と踏んだようだ。

👆 12時間かけて水だけで抽出するらしい
この夢の中で起きている全ての事は、神から離れた、
という、たったひとつの絶望感から来ている。
しかし、この言葉は、コース兄弟なら、ああまたか、と、
耳にタコができるくらい聞いているはずだ。
僕の中でも、ステレオタイプな言葉であるがゆえに、
ああ知ってる知ってる、と軽くスルーされてきた。
しかし、赦すのはたったひとつのことだけだった、
ということが、ここへきて、真にありありと理解できる。

👆水出しコーヒーの味は薄めでさっぱり
誰かにムカッときた、ニュースを見て怒りを感じた、
仕事辞めたいけど辞めたら生活していけない、
頼れる人がほしい、好きな人と愛し合いたい、
健康を維持するためにこうしなければ、などなど、
ありとあらゆることが、神(天国)から離れた、という、
たったひとつの〝あの瞬間のあの思い〟を、
さまざまなバージョンで再現しているに過ぎない。
なので、真に赦すのは、あの人でもなければ、
あの事でもなく、あの瞬間のあの絶望感だったのだ。
そして、そのことを理解した上で赦し始めると、
身の回りで起こるあらゆる出来事が同じに見えてくる。
怒りが湧くのも、後悔するのも、不安に思うのも、
あの瞬間の恐怖を再現しているのであり、
推しの歌手の歌を聴くのも、筋トレ大好きなのも、
美味い料理を食べるのも、好きな仕事をするのも、
全てあの時の欠乏感を埋めようとしている。
例えば、大好きな歌手や車やおしゃれ、といった嗜好、
または、異性(又は同性)の肉体に惹かれることや、
小説を書いたり、絵を描くというような自己表現、など、
一見〝愛由来〟に見えるようなことでも、まずは、
その裏にある〝あの瞬間に味わった欠乏感〟を
きちんと赦さねばならないことがわかった。

👆 アイドルの寝起きドッキリが好きだった
本当は、天国からも離れていなかったし、ましてや、
父から離れるなんてありえないことだった、と、
壮大な〝ドッキリ〟を赦してゆく。
昔、スターどっきりマル秘報告、という番組があったが
僕の毎日はもう、
小野ヤスシが、ドッキリのプラカードを持って、
「どっきりでしたあ~」とスターの前に現われる、
そんな赦しの連続である。