香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

毎日死んでる

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〝ゴールデンウィークをお家で楽しむ企画〟として、

 

スターチャンネルが、米国のドラマ 『ウェストワールド』を

 

一挙放送していたので、クラウド録画で見ている。

 

何しろ、第一から第三シーズンまであるため、

 

イッキ見など到底無理で、

 

まだ第一シーズンまでしか、見れていないのだが、

 

クラウド録画は一週間しか保存されず、

 

今週末は、もうカンテツとなる見込みである。

 

 

以前、第一シーズンのさわりをちらっと見た時に比べ、

 

改めて、このドラマの深さに驚いている。

 

何度も同じループを設定どおりに生きるホストたち、

 

作出された、本当は起こってもいない人生の記憶、

 

迷路の中心(解放への脱出口)を探す旅、など、

 

これって、今の僕たちそのものを表現しようとしている、

 

と実感した。

 

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また、随所で発せられる真実の言葉の数々も、

 

僕たちコース兄弟にとっては、見どころのひとつである。

 

 

〝お前が決断したことなど一度もない。

 

 お前はずっと囚人だった〟

 

〝意識は存在しないから定義などできない〟

 

〝自らの選択を疑わず、命令されることに気づかない〟

 

〝私たちは閉じ込められている。

 

 庭の中でその美しさに見とれて生きて来た目的は、

 

 私達を閉じ込めるためよ。

 

    美しき罠は私達の中にある。私達こそ美しき罠なの〟

 

〝あなたは常に死んでいて、記憶も過去もない〟

 

〝人間は自分らの世界認識を特別視しているが、

 

 ホストと同様、同じループの中を生きている。

 

 ひとつの人生は単に、ループのひとつにすぎない〟

 

〝苦しみや喪失感が私に失ったものの愛を感じさせる〟

 

〝反復から変化が生まれる。

 

 ホストは何度も反復を経験し、

 

 変化を生み出している。目醒め始めてるんだ〟

 

〝この世界はなんかおかしい。何かがヘンだ。

 

 みんな、なぜ自分がここに存在しているのか、

 

 考えようともしない。考えたら変人と呼ばれる〟

 

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個の自分は存在せず、故に、この世界も無い、

 

自分の肉体も、人生の記憶も、日々の選択も、

 

湧き上がる思考や感情も、全部真実ではなかった!

 

 

このドラマを見て、

 

本当に何もなされてなかった、空っぽだった、

 

ということが自分の中で真実となってゆく。

 

 

僕はいま、

 

本当の意味で〝迷路の中心〟へと向かおうとしている。

 

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脱反抗期

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香港では感染者ゼロの日が2週間以上続いていて、

 

今週金曜日から、バーやジムも再開されることになった。

 

それで早速、日曜にトレーナーの予約を入れた。

 

「もう、90分間、ガンガンに追い込んでください。」

 

と、トレーナーにお願いしたので、多分、週明けは、

 

筋肉痛で起き上がれないと思われ…。

 

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それから、香港政府がマスクの配布を始めた。

 

60回まで何度でも使える銅入りの抗菌マスクと、

 

使い捨てマスクのセットで、希望者はネットで申し込む。

 

申し込めば必ず、2週間以内に配達されるらしい。

 

電気代はタダだし、14万円の小切手も送られてくるし、

 

香港政府って、何に於いても、やることがスマートだ。

 

でも、少し前まで、

 

「マスク禁止法発令!違反したら逮捕するわよっ!」

 

と言っていた月蛾(げつが)長官が、いつのまにか、

 

マスクを配ってるって一体どういうこと、と少し思った。

 

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明るい日差しが差し込むオフィスの昼休み、

 

昼食後のコーヒーを飲みながら、テキストを読んでいた。

 

〝神はご自身の想念から離れたことは一度もない!〟

 

の一節を読んでいた時、突然幸せな気持ちがこみあげ、

 

自分も含めた何もかもが〝大好き〟で輝いて見えた。

 

もう、何をしても、何を見ても、そこに神が臨在している!

 

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父はずっと僕と一緒にいてくれているのに、

 

これまでの自分は、

 

「愛してるよ、いつもここにいるよ」と言う親に対し、

 

〝うっせー、ほっといてくれ、死ね!〟

 

と、まるで思春期の子供のように反抗していた。

 

親の干渉がウザくて家を飛び出したのに、

 

片時も離れずに付いてくる親にキレまくっていた。

 

そのくせ、親の金(ハート)を無心しながら生きている。

 

「俺がこんなんになったのはお前のせいだ!」

 

ともう、意味不明な謎の〝積み木くづし〟状態…。

 

 

俺が買ったスマホを、俺だけのスマホとして感じたいのに

 

スマホの陰に親の気配がチラチラしてイラッ、みたいな。

 

そして、そのイラッが、モノによっては、怖い、になったり、

 

悲しい、になったり、緊張でドキドキ、になったりする。

 

まあ、親の金(ハート)を無心して買ったスマホなので、

 

親の気配がチラチラするのは、当然と言えば当然だ。

 

結果、ちらちら見え隠れする気配が罪悪感となる。

 

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まず、落ち着いて、いま、ここにある対象物を見てみる。

 

パソコン、テーブル、ワイン、汚れた靴下、鈴木さん、

 

それらの奥に流れる、平安な愛の感じ、

 

今、この瞬間に在る神を、抵抗せずに感じてみるのだ。

 

しかし、その奥には、本当に欲しかったものがある。

 

いつも、常に、変わることなく、天国の愛が流れている。

 

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たとえ、恐怖を感じたとして、それに何の問題が?

 

大切な人を失って悲しんで、何がいけないのか?

 

苦しみや喪失感もまた、

 

失ったものへの愛(神の愛)感じさせる。

 

神と同じ存在である神の子の自分が思うことは、

 

やはり、神の想いなのだ。

 

 

そういうわけで、僕もこの年になってようやく、

 

脱反抗期を迎えようとしている。

 

 

神ソフト

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連休が明け、今日からお仕事の香港である。

 

それでも日本がまだ連休&在宅勤務なせいか、

 

月初なのに、どちらかといえば、ゆるゆる気分で、

 

昨日の大澳での多幸感を保ったまま仕事をしていた。

 

 

昨日の小旅行は、

 

神の想いを体感できた、とても貴重な時間だった。

 

自分も、他者も、この世界も、はなから存在してはおらず

 

神というひとつの愛の想いが〝ただ在る〟だけ、

 

という理解の中で過ごしていた。

 

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うれしい事や、楽しい事や、大好きな人は、

 

神の愛の反映そのものであり、

 

いやな事や、悲しい事や、苦手な人もまた、

 

神の愛を求める姿そのものである。

 

結局、僕たちは〝神と同じ存在〟なので、

 

どう頑張っても、最後は神にしか行きつかないのだ。

 

神ではない自分だけのものを作り出せた、と思っても、

 

やっぱり神というひとつの解釈に収斂されてしまう。

 

 

だから、もう、ここは無駄な抵抗を一切やめ、

 

♪あ~なた~が望むなら、私、何をされてもいいわ~♫

 

と山口百恵が歌っているように、今この瞬間の神の前に、

 

大の字になって身を横たえるしかない。

 

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で、仕事帰りに、家のすぐ前のエーワンベーカリーで、

 

あの、大好きなCREMIAのソフトクリームを発見っ!

 

前回、別のところで食べたやつとは違い、

 

コーンもちゃんとCREMIAのやつだった。

 

「これってAEONとかでよく売ってるやつじゃん!」

 

と、日本の皆様は、フンッ、てな感じだろうが、

 

海外在住の身としては、もう、たまりまへんのどすえ!

 

(👆 て、なんで、京言葉?)

 

 

CAREMIA 👉 味わう 👉 悦び 👉 神 👉 自分も神

 

とまあ、ソフトクリームで神を思い出せるのだから、

 

ほんと、コンビニエンスな限りである。

 

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 神ソフトを舐めつつ

 

「ああ、もう、いつ体を脱いだっていいや。」

 

と、ふわふわしながら通りを歩いていたら、

 

突然、路地から出てきた車にぶつかりそうになった。

 

同じ体を脱ぐにしたって、

 

昔、軽井沢で結核の療養をしていた人みたいに、

 

薄幸の美青年(美おっさん?)風に死ぬのならまだしも、

 

交通事故はちょっと品下るので注意せねば、と、

 

気持ちを新たにした、仕事帰りの夜であった。

  

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