香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

イヤだと言える自分

f:id:shusaku1:20201005213403j:plain

👆 映画ドラえもんを観たよ!

 

今日は、9月の月次資料提出日だったので、

 

すっごく忙しかった。

 

明日こそ、仕事帰りにいつものカフェで白ワイン

 

と行きたいものだが、さて、どうなることやら…。

 

f:id:shusaku1:20200928004710j:plain

 

嫌いな他者とは、自分が見捨てた自分だった、

 

ということがアリアリと自覚されてくるにつれ、

 

嫌いな他者を、嫌いになれなくなってきている。

 

といっても、今では、誰が何をしていても、

 

やっぱり好き、って思ってしまうド変態の僕だが、

 

カラクリはこうだ。

 

 

嫌いな人が何かしてくる 👉

 

自分の中に毒素が広がる 👉

 

この毒素を自分の中に感じているということは、

 

これは自分の中に元々あったものだったんだ👉

 

外へ捨てた、見たくない自分が、

 

他者を通して戻ってきたんだ 👉

 

嫌な相手は愛を叫んでやってきた自分だった👉

 

抵抗を止め背後の神へ開いている👉愛やん!

 

 

そして、僕の場合、コーヒーカップ事件のように、

 

なんでそんなことをするんですか、

 

僕はそんなことを言うあなたが苦手です、と、

 

責めるのではなくちゃんと相手に思いを伝える。

 

行動レベルできちんと相手に伝えることで、

 

自分の中の無力感が昇華され、

 

本来の力が自分に戻ってくる。

 

 

これがまた不思議なのだが、

 

ちゃんと相手に思いを伝えた途端、

 

相手が変わるか、いなくなるのだ。

 

元コンババ部長のタメ口事件も、

 

こちらも負けずにタメ口でいったら、

 

あっちが敬語を使ってくるようになった。

 

案外、はっきり訊いてみたら、

 

本当は、相手は自分に好意を持っていた、

 

なあんていうこともあり得る。

 

 

ちょっとだけ勇気を出して、相手の前で、

 

きちっと一言〝言い返す〟ことで、

 

〝自分が嫌った自分〟にケリをつけるのだ。

 

 

また、何も言い返さずに(言い返せずに)、

 

心の中で、ジトっと嫌い続けることほど、

 

神から遠い行為はないと思う。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

話は変わって、僕もその一人なのだが、

 

最近、不安感や葛藤が噴出している兄弟が

 

多いようだ。

 

なんだか全体でパラダイムを変更している感じ。

 

 

そんな感じで、

 

本当にもう、後ろ側だけでやってるボクである。

 

👇 更新しました

shusaku1.hatenadiary.jp

会社というパラダイム

f:id:shusaku1:20201005213446j:plain

 

お籠り連休も過ぎ、昨日から仕事開始である。

 

会社は16日まで時短勤務を継続しているが、

 

忙しい月初の4日間が祝日だったのに加え、

 

日本の本社は祝日ではなかったため、

 

休み明けの今週は本当に忙しく、

 

今日も7時まで残業をした。

 

 

そんな中、

 

新しい出勤管理システム導入、とか、

 

仕入計上のやり方が今月から変わった、

 

といった事項に対応するたび、

 

どんどん時間が過ぎて行った。

 

 

それでも、今、この瞬間に在る神を意識すると、

 

表面に見えている相手の対応がどうであれ、

 

彼らの背後にある〝愛の感じ〟が共有され、

 

誰でも愛おしい存在に感じられる。

 

 

僕にとっての、今、この瞬間に在るというのは、

 

〝今、今、今、見えているこの瞬間の今―っ!〟

 

とやるのではなく、

 

背後で、皆と溶け合っているひとつの場所、

 

愛そのものの場所に気づいている感じ、

 

を常に意識できている、ということである。

 

常に〝そこ〟を感じていると、

 

目の前にいる人が大好きに思えてくる。

 

そして、自分は愛の中にいる、と気づける。

 

f:id:shusaku1:20201005213432j:plain

 

しっかーし! (👈 またかいっ!)

 

その一方で、少しでも〝今〟からズレると、

 

途端に、昨日の記事でもお伝えした、あの、

 

言いようのない不安感に見舞われるのだ。

 

会社で仕事をしている時などは特に、

 

少し油断すると、今ここに在る神から外れ、

 

小さな何かの出来事をきっかけに、

 

不安バクバク、に陥ってしまう。

 

 

まあ、以前と違う点は、不安が出てきても、

 

すぐにまた、愛に復帰できるという点にあるが、

 

どうしてこうも、行ったり来たりを繰り返すのか、

 

もういい加減、うんざりだった。

 

f:id:shusaku1:20201005213518j:plain

 

理由は明白だ。

 

パラダイムが違い過ぎるのだ。

 

会社という枠組みの中で、中枢となり、

 

良しとされているパラダイムと、

 

神を知っている自分の内なるパラダイムが、

 

日増しにかけ離れて行っているのである。

 

 

以前は何とか同調できていたパラダイムも、

 

僕が内なる無限の全体で生きれば生きるほど、

 

両者の差はますます拡大し、

 

あまりの居心地の悪さから、

 

怒涛の如く不安感が押し寄せてくるのだ。

 

 

それはまるで、敬虔で厳格な、

 

カソリック教会の修道女だけがいる世界に、

 

キャバ嬢が一人紛れ込んでいるようなもので、

 

たとえ、私もギャルになりたいという修道女を、

 

幾人か獲得することができたとしても、

 

圧倒的な修道女たちのパラダイムの中で、

 

キャバ嬢の存在は否定され続け、

 

その前途は多難を極める。

 

下手をすると、

 

キャバ嬢自身も修道女に仕立て上げられ、

 

あまりの違和感に日々苦しむことになる。

 

 

なので、

 

今回の僕の場合、不安感が出てくるのは、

 

罪悪感を信じているから、とかではなく、

 

単にパラダイムの違う世界に居続けている、

 

というだけの話なのだ、と理解している。

 

 

そういう意味で、僕はもうすぐ、企業という、

 

規則と上下関係で管理されるパラダイムから、

 

肉体的に、スピリチュアル的に、経済的に、

 

エネルギー的に、人間関係的に、もっともっと、

 

自分を豊かにする仕事をしていくパラダイムへと

 

シフトしていくことになる。

 

ただ、会社の人たちは何も悪くはなくて、

 

彼らは、そのパラダイムに満足しており、

 

居続けることを選択しているだけの話だ。

 

 

しかし、僕自身は、

 

聖なる自分(神)を大切に扱わないような、

 

そんなパラダイムにいてはいけない、

 

と思っている。

 

なぜなら、それは、自分を痛めつけ、

 

実相を否定し続ける行為だと思うからだ。

 

んな状況で、赦すことなんかできっこない。

 

 

そのために、背後の本質の自分に開き、

 

兄貴と常にコミュニケーションを取りながら、

 

シフトしようとしている自分を許してゆく。

 

それまでは、たとえ不安感が出て来ても、

 

ここにいると覚悟を決めて〝凛と〟して過ごす。

 

 

 

まあ、僕は、

 

独身で、健康でもあり、子供もいないので、

 

内なる恐怖と折り合いさえつけば、

 

さっさと今のパラダイムを手放すことができるが

 

支払いや、ローンや、家族がある人は、

 

それらの現実を無視してまで、

 

無理にパラダイムを変える必要はないと思う。

 

ただ、ちゃんと心の準備が整ったいつか、

 

を待っていたら、そんな時は永遠に来ない、

 

ということも、経験上解かっているので、

 

エイヤー、と、

 

清水の舞台から飛び降るりると決めたら、

 

さっさと実行するのも必要かも…。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

というわけで、

 

こういう状況をカンガみるにつけ、

 

僕の状況に限って言えば、

 

二極化は当たっていると思う。

 

 

え? 

 

ということは、

 

もうすぐゲートが閉じるってこと?

 

ぎえっー!

 

 

 

知らんけど…。

 

👇不思議な超短編ストーリー、更新したよ!

shusaku1.hatenadiary.jp

不安で、不安で…

f:id:shusaku1:20201001015510j:plain

 

国慶節の連休が終わり僕のお籠りも終わった。

 

いやあ、きつかったあ。でも、素晴らしかった。

 

前回も、お伝えしたように、この連休中は、

 

全てのネット、スマホ、SNS、テレビ、を遮断し、

 

本当に創作と瞑想と読書だけで過ごした。

 

 

一日目は、すごく快調だった。

 

創作は、うまく文体のリズムに乗ることができ、

 

ぐんぐん書き進めることができた。

 

また、瞑想していても、すぐに背後の、

 

無限の全体である神に入って行けた。

 

と同時に、これまで自分が、

 

いかにネットに依存していたかに気づかされた。

 

自分はSNSとかをしない分、

 

他の人よりましだ、と思っていたが、

 

ネット断捨離を実行してみると、

 

ネットに多くの時間を費やしていたことを知った。

 

 

しかーし!

 

調子が良かったのは初日だけで、二日目からは

 

形容しがたい不安感に苛まれることとなった。

 

一切の外界を遮断してしまったので、否が応でも

 

自分の内面と向き合う羽目になった。

 

f:id:shusaku1:20201001015500j:plain

 

周囲に拒絶され一人ぼっちになったような感覚、

 

未来への不安、何かに押しつぶされそうな感じ、

 

まだ起こってもいない、

 

仕事のトラブルに対する怖感、

 

そういったものを全てごちゃ混ぜにしたような、

 

理由のない巨大な不安感が、ズキズキと、

 

みぞおちの辺りを圧迫してくるのだ。

 

この不安感がマックスに達してくると、

 

自分はこのまま死んでしまうんじゃないか、

 

とか、この窓から飛び降りさえすれば、

 

竹内結子みたいに終われるんだ、

 

とか思ったりして、少し危ない状態まで行った。

 

僕はうつ病になったことがないので

 

分からないのだが、ひょっとして、

 

うつ病ってこんな感じなのか、と思った。

 

 

でもなぜか、今回のネット断捨離を中断しよう、

 

とは思わなかった。

 

ちゃんとこの不安感と向き合おうと思った。

 

f:id:shusaku1:20200927023834j:plain

 

先ず、今、この瞬間に在ることに集中した。

 

ベッドに大の字になり、みぞおちの疼きを、

 

疼くままにさせておく。

 

不安を誘発する理由にはフォーカスせず、

 

ただ、不安感、というみぞおちの不快感だけを

 

じっと見てゆく。

 

こうして、みぞおちズキズキを感じていると、

 

これって、歯痛や胃痛や頭痛と同じじゃん、

 

ということに気づいた。

 

そして、痛みを感じている時って、

 

苦しすぎて他の事を考えられない分、

 

必ず、今にいるよなあ、と思ったりした。

 

 

それでもダメ、キツい。

 

理由のない不安感でみぞおちが壊れそうだ。

 

気分転換なんかしても無駄なのは分っていた。

 

だから、お酒も飲まず、テレビも見なかった。

 

ただ、背後の無限の全体に、兄貴に、神に、

 

意識を開いてじっとしていた。

 

祈ることも、愛を意識することも、できなかった。

 

ていうか、

 

もう不安で不安で、それどころではない。

 

 

と、そのとき、

 

「この不安感は、愛に変わるために出ている」

 

というメッセージが、入って来た。

 

「かつて自分が忌み嫌い、

 

 過去に置き去りにしてきた気持ちが、

 

 今こそ愛に変わりたい、

 

 と言ってやって来ている。

 

   だから、それは君自身の愛なんだ。

 

    もっともっと良いことが起きるために

 

 現れて 来ているだけだから、

 

 怖がらなくてもいい」

 

「でも、兄貴、苦しいよおー!」

 

僕は弱音を吐いた。

 

「だって、君は望んだじゃないか。

 

 アニータのようになりたいって。

 

 自分も愛の存在として在りたいって…。

 

 そして、そう在ることを許可しただろう。

 

 背後の神や、実相や、そしてこの僕を、

 

 受け入れたんだろう」

 

このメッセージを聞いて、僕は全てを理解した。

 

 

僕は、何も恐れなくていいんだと思った。

 

この不安感が消えても消えなくても、

 

僕はもう、神の中に、兄貴の中にいるのだ。

 

この不安感も、無限の全体の一部だった!

 

 

と、その瞬間、全てが神の現れだったんだ、

 

ということが理解できた。

 

どんな感情であれ、どんな人であれ、みんな、

 

〝ここ〟では一つの同じ愛の存在だった。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

朝まで一睡もせず、食料を買いに出た。

 

通りを行く人々を眺めていると、

 

その根底に、巨大で優しい、

 

愛の塊りが在るのが見えた。

 

一人一人の外見はみんな違うのだが、

 

その愛の塊りは全く同一で、

 

同じであるがゆえに、みな繋がっており、

 

ひとつなのだ、と思えた。

 

 

「ああ、誰ひとり、罪はない」

 

心底、初めて思えた。

 

たとえ殺人犯でさえも、罪はない。

 

肉体が何をしていようと全く関係がない場所に、

 

僕たちは存在しているのだ、と分かる。

 

👇ジンジャー・タウンも更新しました!

shusaku1.hatenadiary.jp

 

 

まだ、

 

今、この瞬間から少しでも離れると、

 

不安感はせり出してくるが、怖くはない。

 

自分も兄弟も、ただここにいるだけで、

 

愛されるに値する愛おしい存在なのだ。

 

つづく…。