香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

豊かさがいっぱい

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今日は外出をして早く仕事を終われたので、

 

久々に行きつけのバーに寄ってみた。

 

本当に久しぶりで、まだ時間が早かったせいか、

 

お客は僕一人だけだった。

 

いつものジンリッキーを作ってもらい、

 

マスターと話をした。

 

レストランの営業はほぼ通常通りに戻っているが

 

バーに関しては、クラスターが発生したりして、

 

まだ午前零時までの営業規制があるのだという。

 

そのため、お客は戻ってきているものの、

 

夜11時過ぎにはラストオーダーとなるため、

 

週末など、売上が半減してしまうらしい。

 

香港は狭いので、終電を気にする必要がなく、

 

タクシーに乗っても1000円以内で帰宅できる。

 

そのため、週末のバーやクラブは、

 

深夜零時から客が集まるのが普通なのだ。

 

それに、6人席でも2人しか座れず、

 

フルで客を入れられないというのもある。

 

1日の感染者数が20人程度の香港でも、

 

ここまで徹底しているのに、それに比べれば、

 

日本ってすごくユルユルに感じてしまう。

 

 

二杯目は、紅茶のカクテルを作ってもらった。

 

紅茶のリキュールとジンを使ったお酒で、

 

味は〝ザ・酔う紅茶〟という感じ。

 

 

このカクテルをすすりながら『夜と霧』を読む。

 

静かなバーのカウンターで、グラスを傾けつつ、

 

収容所の物語を読むのは、何とも切ないが、

 

本の内容自体、心理的な描写が多いので、

 

すっ、と物語の中へ入って行けた。

 

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ほろ酔い気分でバーを出た。

 

時間は午後6時過ぎで、まだ宵の口だった。

 

横断歩道を渡ろうとしていたとき、

 

向こうから桃色のミニスカートを穿いた、

 

ギャルっぽい女の子がやってきた。

 

オシャレをして満たされている彼女を見た瞬間、

 

ものすごく幸せな気持ちが込み上げてきた。

 

なんか理由もなく、豊かだなあ、と感じたのだ。

 

 

ふっと見せる同僚の笑顔、スタバのコーヒー、

 

道行く人々の喧騒、夕暮れ時の市場、

 

普段は当たり前のように見過ごしているけれど、

 

周囲には豊かさが溢れている。

 

なのに僕たちは、足りない足りないと言っている。

 

どこか、お金に直結した金銭的価値のあるもの、

 

自分だけが手にしたものを豊かだと思っている。

 

NO―!である。

 

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周囲に在り、今もここに在る豊かさに気づくことが

 

神に気づくことだと、ようやく理解ができた。

 

そして〝ああ、豊かだなあ〟という感じこそが、

 

本当の自分そのものなのであった。

 

そうやって、

 

自分はいつも巨大な豊かさ(愛)の中にいて、

 

神の中にいることを智るのだ。

 

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誰にも奪えない

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V・E・フランクルの『夜と霧』を読んでいる。

 

日本のアマゾンで購入し、昨日届いた。

 

つい最近まで僕はこの本の存在を知らなかった。

 

しかし、何でかわからないのだが、ここ数日、

 

至るところでこの本の事を耳にするようになり、

 

これは何かあるかも、と思って購入した。

 

 

ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者が

 

書いた本なのだが、すごく有名な人らしい。

 

収容所でこんなことされた、あんな目に遭った、

 

ということには一切重点を置かず、あくまでも、

 

その時の頭の中がどうだったかを描いている。

 

原本に沿って訳しているからか、新版なのに、

 

変わった(ヘンな?)日本語がいくつも出てくる。

 

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持ち物、家族、地位、プライド、食物、人間らしさ、

 

肉体以外の全てを奪われ、

 

過酷な労働に従事させられる、

 

まさに地獄の毎日の中で、

 

作者は、頭の中(心の中)にある〝愛の場所〟

 

を見つけ、そこにある愛だけは、

 

たとえナチスであっても奪うことはできない

 

ことを知った。

 

優しい妻はいつもその場所におり、

 

優しい笑顔で答えてくれる。

 

実際の妻が生きていても死んでいても関係ない。

 

そして、妻が象徴しているのは無限の〝愛〟だ。 

 

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そうなのだ。

 

ナチスがいくらユダヤ人を迫害しようと、

 

中共がいくらウイグル人を苦しめようと、

 

その人の心の中にある思い(平安)だけは、

 

絶対に潰すことなどできないのだった。

 

 

心の中で何を想うかは、その人だけのもので、

 

誰にも奪うことなどできない。

 

そして、その想いの中に真の自由(神)が在る。

 

 

僕も 「もう背後(心の中)だけでいいんだ」と、

 

本当にそこだけで生き始めている。

 

そこには無限の豊かさが息づいており、

 

それが神から与えられた贈り物なのだ。

 

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感じる

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👆 突如家の近くにオープンした

  焼き豚専門店。毎日行列ができている

 

僕の場合、マントラを唱えたり、

 

言葉を唱えて祈るのがあまり得意ではない。

 

有り難うございます、を繰り返したり、

 

聖霊、この間違った考えを訂正してください、

 

と言葉で語りかけても、思考が先行してしまい、

 

体感(神の感じ)が湧いてこないのだ。

 

 

それよりも、

 

ありがたいなあー、大好きーっ、うれしいなあ、

 

という〝感じ〟や〝想い〟を味わうほうが、

 

神を感じて、実相世界へと入りやすい。

 

 

誰でも必ず、

 

ありがとう、という感謝の念が湧き上がったり、

 

好きで好きでたまらない、と感じたり、

 

平和だなあ、と感じた経験はあるはずであり、

 

その時の〝感じ〟を心で体感することで、

 

ハートの歓びの流れへの〝呼び水〟とする。

 

 

そのときに起こった〝幸せな出来事〟

 

にフォーカスするのではなく、

 

あくまでも〝感じ〟だけに焦点をあわせる。

 

感じることができてさえいればOKなので、

 

〝よい出来事〟が起きる必要はない。

 

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最近では、その〝愛の感じ〟が、

 

素粒子として見えたりするので、空間全てが

 

愛の粒子を振動させているように感じられ、

 

軽いエクスタシーに襲われたりする(笑)。

 

 

今日も、仕事帰りに駅を歩いていると、

 

すれ違う人たちの中に、愛を含んだ素粒子が、

 

プルプル震えるように振動しているのが見え、

 

(感じるのではない。本当にそう見えるのだ!)

 

歓びの想いが込み上げてきた。

 

なんか、どの人もみんな聖性で輝いている。

 

このプルプル振動している純粋なエネルギーを、

 

〝天使〟と呼ぶのかも、と思ったりした。

 

 

空間が、

 

愛と調和でできた素粒子の波に見えだすと、

 

物質と空間、人と人、との間に境界が無くなり、

 

溶け合っているような感覚になる。

 

どちらが私で、どちらがあなたでも同じだ、

 

というふうに感覚化されてくるのだ。

 

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なんか、ここ最近、あまりに後ろ側

 

(自分側/無限の全体側)がリアルになりすぎ、

 

そっち側を現実として生活をしているからか、

 

昨日寝ていると、突然、さああーっと、

 

空間が消えていってしまった。

 

「ええっ!これ全部、ただの妄映だったのか!」

 

でも、我に返ると、肉体はまだあるんだよね。

 

馴染むまで、少し時間がかかりそうだ。

 

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