香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

お金がヤバい!

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今日から香港支社は仕事始めだが、

 

日本本社は明日5日からということで、

 

日本が休んでいるうちに、

 

前月末の現金の締めをやっておこうと、

 

時短勤務の中、案外バタバタしていた。

 

 

会社の現金を数えていた時、あれ?

 

自分のお金って今いくらあるんだろう、

 

と気になった。

 

 

それでネットバンキングで調べてみると、

 

香港の僕の口座にある貯金が、

 

かなり心もとなくなってきていた。

 

もう何回も書いているが

 

僕のお給料やボーナスは全て日本で支給され、

 

日本の銀行口座へ振り込まれるので、

 

これまでは、出張や里帰りで帰国するたびに、

 

まとまった現金を香港へハンドキャリーしていた。

 

しかし、このコロナ禍で、

 

もう一年近く日本へ帰国できていない。

 

従って、現金の〝輸送〟ができなくなり、

 

香港での手持ちのお金がヤバくなったというわけ。

 

 

香港の口座へ直接給与を振り込んでもらったり、

 

海外ネットバンキングを申請したりと、

 

いろいろ打つ手はあったのだが、

 

無駄遣いをするのが目に見えていたので、

 

敢えて、日本からその都度現金を持ち込み、

 

その範囲内で生活するようにしていた。

 

 

だが、今日、自分の口座の残高を見て、

 

やっべーっ、となった。

 

もう、会社の金なんて数えている場合ではない。 

 

 

そんな時、

 

三井住友銀行梅田支店の担当者から電話があり、

 

普通預金口座に全く使われていないお金が

 

どんどんプールされていっていますが、

 

よければ何かに運用しませんか、だって…。

 

プールしているんじゃなくて、使えないんだよう。

 

 

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仕方がないので、また前回のように、

 

香港上海銀行の株を売ることにした。

 

ネットでやると怖いので、銀行まで行って、

 

担当の人と一緒に画面を見ながら操作した。

 

銀行の担当の女性は優しく手続きをしてくれた。

 

やっぱり、兄弟が助けてくれる。

 

これでしばらく急場はしのげるだろう。

 

このお金が無くなる前に日本へ帰りたい!

 

 

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前々回のブログで、最近、どの兄弟の中にも、

 

完璧な愛の存在である共通のAさんがいる、

 

と書いたが、今日、銀行にいる時に思った。

 

相手の中に愛の完全性を見ているのではなく、

 

自分の内側が完全な愛の存在そのものである

 

ことに気づけているので、

 

見るもの全て、会う人全てが、

 

頼もしい完璧な兄貴のように見えるのだなと…。

 

僕が愛で見えている兄弟たちも、

 

他の人からは違って見えているのかもしれない。

 

 

なので、

 

自分が無辜で愛そのものの存在だ、と、

 

認めてゆくことは本当に大切だな、と思う。

 

それにはまず、ちょっとした人とのやり取りや、

 

小さな出来事を通して自分の中に芽生えた

 

〝平安な感じ〟〝感謝の思い〟〝優しい感じ〟

 

に気づき、味わうことである。

 

そして、どんな手を使ってでも自分を肯定する。

 

それが、神を肯定することになり、

 

神を思い出すための呼び水となる。

 

 

あとは、ショップで欲しい靴を二足見つけても、

 

二足ともください、なんてバカなことは言わず、

 

堅実に生きること!

 

バブルの時代はもうとっくに終わったのだ。

 

 

 

5分後でもよくってよ

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今日で三が日も終わりである。

 

今年の年末年始は香港でも寒かったあ~。

 

去年の年末の朝に出社したときのことだが、

 

トイレでエドワードが呼ぶので行ってみると、

 

トイレの壁に霜が降りていた。

 

もうエドワードは、香港では珍しいと大騒ぎで、

 

何枚も写真を撮りまくっていた。

 

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この連休中は、毎日一時間ほど瞑想をしていた。

 

どんな時でも、

 

自分は神しか感じることしかできていなかった、

 

と完全に悟る。

 

もう、いつ肉体を脱いでもいい、と思う。

 

なんていうか、この世界で、何やかやしながら、

 

ベール越しに神や天国を感じているのが

 

何とも煩わしく、空しく感じられるのだ。

 

長居は無用、

 

店じまいをしてさっさと帰還したい。

 

 

年が年なので、やりたいことは一通りやったし

 

特に思い残すようなことも、これと言ってない。

 

今はまだ家族がいるので無理ぃ~、とかもない。

 

強いて言えば小説を書くことだが、

 

これだって、すでに本も何冊か出せたし、

 

そんなに執着しているわけではない。

 

 

そこで、

 

今、聖霊兄貴がやってきて、じゃあ10分後に…

 

と言われても大丈夫か、と自問してみた。

 

答えは、ソッコーでYESだった。

 

なんなら5分後でもオーケー。

 

もう即答だった。

 

数年前にも同じ質問を自分にした覚えがあるが、

 

その時は、まだちょっと待って、と躊躇した。

 

じゃあ、当時の自分と、今の自分の間には、

 

一体どんな差があったのか、と考えてみたところ

 

当時の自分はまだ、色んなものを恐れていたが

 

今の自分は、恐れていない、ということだった。

 

なんていうか、今の自分は、

 

神の愛を神の愛として、正しく感じられているので

 

神に対する恐怖がほとんどなくなっている。

 

まあ実際、突然、神にバッ、と襲いかかられると、

 

「まだちょっとどうかな?」という部分はあるが、

 

それならそれでもいい、と思えていたりする。

 

☟ 僕の〝ちょっと待ってよ〟時代

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もう、こんな意味のない世界はうんざりなんです、

 

父が待つ故郷へ永遠に帰還したいんです、

 

と思っていても、

 

じゃあ5分後に迎えに来ますと言われ、慌てて、

 

見られてはまずい色々な物を処分したり、

 

家族に残すべき様々なものを準備しているうち、

 

再度現実に戻ってしまい、

 

最終的に時間切れアウトー、みたいなことなど

 

少なくとも僕の場合は、絶対に無い。

 

 

 

と思う。多分…。

 

 

 

 

誰でもAさん

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☝ さあ、今年もイクわよ!

 

 

今日は新年初マッサージー!

 

ということで、ああ、気持ちよかったぁー!

 

コロナ禍でマッサージ店も閉鎖なのだが、

 

常連客ということで、こっそりやってもらった。

 

 

家に帰ってクラウド録画の紅白を見る。

 

今年もちゃんと越えてくれてるかな、と、

 

早送りで石川さゆりのところを先に見た。

 

今回はちょっとカメラワークが悪すぎ!

 

本人はあんなに一生懸命越えてくれているのに、

 

背景のセットも一緒に映そうとするもんだから、

 

クライマックスで〝越えている〟場面が、

 

豆粒のように小さく映ってしまっている。

 

天城越えは全部アップだけでいいんだよっ!

 

ホント、NHKってツボを解かってないっ!

 

これじゃあまるで、

 

女優さんの顔を映さないAVみたいなものだ。

 

あっ、えへんっ、ごほんっ、し、失礼っ!

 

まあ、ご本人のお年もお年なので、

 

アップは控えめに、ということなのかもしれない。

 

それでも、きちんと越えてくれて今年も一安心!

 

 

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☝ ああ、来るぅー! 

 

 

話題は変わり、昨日の記事で、

 

僕の眼前に現れる全ての兄弟が寄ってたかって

 

僕を助けようとしてくれているように感じる、

 

と書いたが、これをもう少し詳しく説明する。

 

 

たとえば、

 

自分が何かで困った時や、ヤバいとなった時に、

 

助けてくれたり、力になってくれる人というのは、

 

普通は大体、血のつながった家族であったり、

 

なんでも相談できる親友であったり、

 

愛情で結ばれたパートナーであったりする。

 

要するに、ほとんどの人には、

 

いざとなったら頼ってゆける特別な人がおり、

 

仮に、そのような人物をAさんと呼ぶことにする。

 

 

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 ☝ ああ、越えるぅーっ!

 

 

自分が困ったときに助けを求めるAさんは、

 

常に自分の味方でいてくれ、何かあれば、

 

相談に乗ってくれたり、手を差し伸べてくれたり、

 

一緒に苦労を共にしてくれるような存在だ。

 

そんなAさんを自分は心から信頼しており、

 

そういう関係性があるからこそ頑張れるし、

 

この現実世界で、心の平安を保っていられる。

 

 

まあ、そういう特別な人物というのは、

 

大概が、家族かパートナーなのだが、

 

僕の場合、家族や友人のみならず、

 

道行く人、会社の人、アパートの隣人、店員さん、

 

バスで隣り合わせた人、ちょっとすれ違った人、

 

全ての兄弟の中にこの〝Aさん〟を見ている。

 

見ているというより、感じている。

 

前方同士(自我)の視点から見れば、

 

みんな、外見も、性格も、境遇も違うし、

 

話したこともない、赤の他人なのだが、

 

彼らの背後には共通した同じAさんが存在する。

 

そして、この普遍のAさんこそが神の愛である。

 

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☝ 「越え、た…!」遠い目でフィニッシュ!

 

 

ビールを運んできてくれた店員さんや、

 

マッサージをしてくれたマッサージ師の人、

 

みんな、愛で僕を助けようとしている。

 

また、今、隣で地下鉄を待っている人は、

 

僕がここで転んだらきっと助けてくれるだろう。

 

うまく説明できないのだが、ひとつの愛が、

 

僕を生かそうとしているように感じられるのだ。

 

 

あなたがお金を払ったから、

 

相手はそれなりのサービスを提供しただけだ、

 

と自我は解釈をしようとするだろう。ノー!ノー!

 

〝ひとつのAさん〟が彼らの背後にいなければ、

 

眼前の店員さんは、たとえお金をもらったって、

 

あなたにサービスなんかしない。

 

そしてそんな〝Aさんな世界〟に僕は感謝しかない。

 

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あなたとわたしは同じで、ひとつなんです、

 

という言葉の意味がようやく理解できた、

 

天城越えな新年であった。