香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ビッグバンは今起こっている

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昨夜、

 

BS-1で放送された『最後の講義』という番組で、

 

物理学者:村山斉の講義をやっていたので見た。

 

 

「太陽は毎秒240億kg軽くなっている」

 

「138億光年先のビッグバンの写真がこれだ!」

 

「太陽系は毎秒220kmで銀河を公転している」

 

「銀河系の全ての原子(物質)を足しても、

 

   星を繋ぎ止める重力には全然足りない」

 

「銀河系は星だけの集まりだというのは間違いで

 

   銀河系には星以外の何ものかがいっぱいある」

 

「よって、宇宙の物質の8割以上は原子ではなく

 

    目では見えない暗黒物質でできている」

 

「万物は原子でできているというのは大ウソで、

 

    宇宙のほとんどは見えないものでできている」

 

 

こういったトピックを軸に、

 

見えない世界側の暗黒物質が、

 

原子(物質)を生み出しており、

 

暗黒物質は我々宇宙の生みの母だ、

 

と、村山氏は結論づけた。

 

 

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全く見ることのできない世界が8割以上を占め、

 

それらが目に見えるもの全てを生み出している。

 

そして、銀河は秒速単位で軽くなっている、

 

つまり、物質(宇宙)が消滅していっている、と…。

 

 

これって完全に、

 

背後の無限の全体の事を言っていると確信した。

 

僕たちが意識に戻っていけばいくほど、

 

世界(宇宙)は消えてゆくのだ。

 

 

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見えない世界が8割以上なのであれば、

 

見えている世界で物事を考える事が、

 

いかに無意味で徒労であるかが分かる。

 

なぜなら、

 

物理の法則は宇宙中に作用しているので、

 

自分たちの生活や人生や運命にも、

 

この物理の法則が働いているからだ。

 

 👇パラレルの移動は量子的に可能である

     昔YOUTUBEにアップした動画から

www.youtube.com

 


 

自分が愛そのものであったことに気づき、

 

自分の内側が神の愛で満たされていると、

 

外側の世界(日常生活)に神が反映されるのは

 

至極当然な物理現象だ、と僕は捉えている。

 

なので、心の中では無限を感じているのに、

 

日常では攻撃を受け続けていて苦しい、

 

なんていうことはあり得ないと断言できる。

 

もし、自分が信じているやり方を、

 

長期間実践しているのにまだ苦しかったら、

 

そのやり方が間違っているか、

 

自分に合っていないと疑ってかかるべきだ。

 

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日常のちょっとしたことが宇宙なのだ。

 

日常のちょっとしたことを見ることで、

 

自分が見えない世界側で、何を信じ、

 

何をやっているかを知るのだ。

わたしのロマン

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(謹賀新年!明けましておめでとうございます!)

 

とうとう、明けてしまったのだ、風の時代が…。

 

旧暦の元日からが、

 

風の時代の正式な幕開けとなるらしい。

 

(と、それっぽい人がYOUTUBEで言ってた)

 

 

で、さっき、

 

ちょっとだけスマホの電源を入れて見たら、

 

トレーナーからLINEが入っていて、

 

18日からジムが再開されるのだという。

 

ひゃっほーい!

 

 

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今年の旧正月は、前から書いているように、

 

スマホの電源もオフにし、ずっと家に籠って、

 

自分が何者であるかを炙り出すエロエロ小説を

 

三作同時進行で書きまくっている。

 

コーヒー、ウィスキー、ワイン、ペリエ、マティーニ

 

チョコレート、生ハム、チーズ、野菜のピクルス、

 

などと共に、一日中創作に打ち込んでいる。

 

やがて、

 

『男の中の半分は女』の作者である張賢亮や、

 

『孽子(ニエツ)』を書いた台湾の作家白先勇や、

 

『レッド・アザレア』のアンチー・ミンのような、

 

その時代の哀しみを真っすぐに表現する作家の

 

退廃的でアンニュイな雰囲気に憑依され、

 

ある種の〝ロマン〟に浸りながら書いている。

 

 

もう、生きるためにすったもんだ、時々ロマン、

 

というサイクルは終わりにすると決めた。

 

僕も、これらの大先輩の作家たちのように、

 

たとえ自分の人生が今後どうなろうとも、

 

もう、自分ではない場所へは戻らない。

 

自分は、自分の〝ロマン〟を生きるのだ。

 

そう思うと、ほんとうにゾクゾクワクワクしてくる。

 

 

まあ、この令和の時代に〝ロマン〟というのも、

 

ちょっとナンなのではあるが、端的に言えば、

 

ロマンとは、その人が醸し出している世界観、

 

のことである。

 

 

浜崎あゆみが好きな人は、彼女が醸し出す、

 

言葉では言い表せない独特の〝感じ〟に

 

惹かれて色々と真似をするのであり、

 

その彼女特有の世界観こそが、

 

彼女を象徴しているロマンとなる。

 

 

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話は変わり、

 

台湾(台北)に住むことを考えている。

 

白先勇の『孽子』の舞台となった地であることと、

 

僕自身の処女作を発表したこの地で、

 

思い切り創作に打ち込みたいと思っている。

 

まあ、なにより、台湾が大好きなのだ。

 

住民票や失業保険の兼ね合いもあり、

 

(※どこがロマンやねん、というツッコミは却下)

 

おそらく、

 

一旦日本へ帰国し、しばらくしてから台湾へ、

 

という段取りになると思う。

 

 

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なんといっても、自分の本質は神なので、

 

その本質を表現して生きることは、

 

神を受け容れて生きていることになる。

 

 

 

最後に、

 

あなたにとっての〝ロマン〟は何ですか?

 

 

 

赦しのちから

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巣ごもり前日である旧暦大みそかの午後、

 

スターチャンネルのクラウド録画欄に、

 

『赦しのちから』という映画があったので観た。

 

『祈りのちから』で主演を演じていた女優さんが、

 

校長先生役で出演していたので、もしやと思い、

 

ウィキぺで調べてみると、監督が同じで、

 

しかも、今作では監督が主演も張っている。

 

(前作では監督が会社の上司役で出ていた)

 

 

ジョージアの田舎町にあるクリスチャン系高校で

 

一人の黒人少女が、父親との葛藤や、

 

クロスカントリーへの挑戦を通じて、赦しを学び、

 

自分が何者であったか、に目覚めていく物語で、

 

詳しいストーリーは検索していただくとして、

 

これってもう、コースをそのまま映画にしている

 

というか、完全に確信犯的な映画だった。

 

 

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👆『祈りのちから』の時より少し老けた?
 

 

前作の『祈りのちから』よりも、

 

神や、神の子や、赦し、を前面に押し出していて、

 

レビューを見ても、

 

「これは完全なクリスチャン映画だ」とか、

 

「〝神〟が連発される後半辺りからドン引きした」

 

という意見が大半だった。

 

 

僕は全く逆で、少女が教師の前で、

 

自分が何者であるかを告げるシーンに、

 

一番感動した。

 

 

「私は神によって作られた創造物。

 

 欠陥品じゃない。

 

 だから私はすでに赦されている。

 

 だから私はすでに望まれている。

 

 だから私はすでに救われている。

 

 だから私はすでに愛されている。

 

 私はもう迷いません。

 

 私は完ぺきな神の子です。」

 

 

英語から訳したので字幕とは少々異なるが、

 

これって、今の自分の理解と全く同じやん、と、

 

大きな感動に包まれたシーンだった。

 

 

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👆 監督 兼 主人公


 

学園ものの映画に必ず出てくる

 

イジメや暴力や意地悪なシーンが一切ないので、

 

安心して、優しい気持ちのまま最後まで観れる。

 

新たな年(僕にとっては新たな時代)を前に、

 

この映画に出会えたことは大きな励みとなった。

 

 

誰かを攻撃して、罪悪感に苛まれようが、

 

誰かに攻撃されて、恐怖におののいていようが、

 

不安で、不安で、いたたまれなくなっていようが、

 

それが一体、どうしたというのだ。

 

恥じていようと、恐れていようと、不安でいようと、

 

僕達は何であろうと愛されており、赦されている。

 

何も変えようとする必要などない。

 

力強く、愛されている自信に満ちながら、

 

怒ったまま、怖いまま、嫌いなまま、

 

ただ愛されながら進んでゆけばいいのだ。

 

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