香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

放蕩息子の里帰り

f:id:shusaku1:20210320013239j:plain

 

 

父が待つ故郷へ、

 

いつ永遠に帰還できるのかを考えている。

 

もっとわかりやすく言えば、

 

肉体としての父親が待つ故郷(大阪)へ、

 

いつ永遠に帰還できるのかを考えている。(笑)

 

 

いや、今年の7月ごろには、

 

日本へ帰国しようと考えていたのだ。

 

失業保険をもらいながらしばらくプラプラして、

 

その間に、台湾移住の準備をしよう、と…。

 

 

しかし、

 

香港が9月30日まで検疫措置を延長したため

 

それまでは、外国から戻ってきた香港居民は、

 

21日間の強制隔離となる。

 

それも、政府指定のホテルにしか泊まれず、

 

宿泊料(一泊14000円くらい)も自己負担だ。

 

なので、しばらく香港へ戻らなくてもよいように

 

全ての手続きを終えて出国する必要があり、

 

税金の事など、7月の帰国は少し微妙となる。

 

また、いまは運送費がすごく高騰しており、

 

引っ越し代も、従来の三倍くらいかかる。

 

僕は家具を日本へ持ち帰ろうと思っている為

 

その輸送費を考えただけでチビりそうになる。

 

 

この国境封鎖措置は本来7月末までだったが

 

選挙が済むまで外国人を入れたくない、

 

という中共の狙いもあるらしい。

 

それに、延長される可能性も十分にある。

 

 

日本側でも、外国からの帰国者は、

 

空港からの公共交通機関を使えないので、

 

それも悩みの種である。

 

実家には高齢の両親がおり、できれば、

 

14日間は実家に帰りたくない。

 

となると、ホテルに泊まりながらアパート探し、

 

ということにもなる。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

抵抗を止め、今、この瞬間の神に在る。

 

ハートの愛の思いの流れに身を任せる。

 

無限の全体が完璧な愛で動いている。

 

自分もまた、その一部であり、そのものだ。

 

 

だからと言って、

 

〝私は在る〟が軸に入っているので、

 

全てお任せで私は何もしません、みたいな、

 

お花畑状態には絶対にならない。

 

いま、湧いてくる想いはちゃんと受け止め、

 

その上で世界が味方であることを感じている。

 

ウエスト70センチ

f:id:shusaku1:20210323153350j:plain

👆 ウエスト70センチになりましたの

  おーほほほっ!

 

長年仕事で穿いていたスラックスがダメになり、

 

新しいのを買いにG2000へ行って来た。

 

G2000は香港人サラリーマン御用達ブランドで

 

値段もリーズナブルでデザインもいいため、

 

ワイシャツとスラックスは大体ここで購入する。

 

 

TKやコムサのスーツを着ていた時代もあったが

 

年を重ねるにつれ、仕事で着る服は丈夫が一番、

 

 と思うようになった。

 

だって、毎日、仕事であちこち動き回るので、

 

いい服を買っても、すぐに擦り切れてしまうのだ。

 

blog.hoshitani-shusaku.com blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

店でスラックスを選ぶ。

 

しかし今は、ワイシャツもスラックスも、

 

体にぴったりフィットしたぴっちり系が主流で、

 

股下も短く、何だか窮屈そうに見える。

 

しかし、店員に勧められるまま試着してみると、

 

おおっ、ウエスト29インチ(74cm)がぶかぶかで、

 

28インチ(71センチ)でもまだ少し余裕だった。

 

「お客様、すごいです。決して痩せていないのに、

 

 成人男性で28インチがぶかぶかな人なんて

 

 ほとんどいませんよ。

 

 運動か何かされているんですか?」

 

えっ? それって、俺がナイスバディってこと?

 

当然、

 

「いや、これと言って何にもしてないんですけど」

 

と答える。

 

 (本当はジムと糖質制限で頑張っているのだ。)

 

 

f:id:shusaku1:20210323153403j:plain

 

 

結果、ウエスト70センチに気を良くした僕は、

 

なんだか高級っぽい上の階に連れていかれ、

 

店員に勧められるまま、スラックス2枚に加え、

 

夏用のジャケットを2着も購入してしまった。

 

金額は約5万円弱となった。

 

 

で、店を出てから、ある事実に気づいた。

 

え?僕はもうすぐ、香港を離れ、

 

日本でフリーになる予定なんじゃ…?

 

こんなスラックスやジャケット、

 

着る機会なんてないじゃん?

 

 

兄貴―っ、なんで黙ってたんや!

 

(いや、訊かれなかったから…by 兄貴)

 

きいぃーっ!

 

 

👇 更新しました

shusaku1.hatenadiary.jp

 

 

ストップ✋自己虐待! 

f:id:shusaku1:20210320013111j:plain

 

 

とにかく、とにかく、自分責めを止めろ、

 

どんな手を使ってでも止めろ、根性で止めろ、

 

とまあ、ここのところ、小姑みたいに

 

ぎゃんぎゃんうるさい限りの僕であるが、

 

実際のところ、

 

神も、兄貴も、愛も、無限の全体も、赦しも、

 

全ては自分責めを止めなければ始まらない。

 

 

「頭ではわかっているけれど、

 

   どうしても、自動的に責めてしまうんです」

 

と言ったりするが、本当はやめる気がない。

 

 

やめる気がない事を証明する例を挙げるならば、

 

あなたが、自分の幼い子供を虐待しているとして

 

血を流し、アザだらけになりながら、

 

お父さんお母さんごめんなさい、もうやめて、と、

 

泣きながら哀願する自分の息子や娘の顔を、

 

「頭では分かっているんだけど、

 

 どうしても止められない、殴りたくなるんだ。

 

 頭ではわかってるんだけどね。ごめんね」

 

と言いながら、殴り続けるのだろうか。

 

どんなことをしてでも、どんな手を使ってでも、

 

自分の虐待を止めようとするのではないか。

 

 

自分責めをしている人は、

 

これと同じ事を自分にしているのだ。

 

 

もうお分かりだと思うが、

 

我が子を虐待しながら、

 

神を感じたり、聖霊と対話したり、赦したり

 

なんて絶対にあり得ないのと同様、

 

自分を虐待しながら、聖霊お願いします、

 

取り消してください、なんて、絶対にあり得ない。

 

だって、

 

神や聖霊に何とかして下さいと言っている時点で、

 

人に丸投げ状態で、やめる気なんかないんだもん。

 

 

f:id:shusaku1:20210320013201j:plain

👆 MIZUHO銀行が入ってるK11ミュージアム

  館内全てがアート
 

 

そこで、自分責めをストップさせるには、まず、

 

自分(我が子)に優しくすることが不可欠となるが

 

自分に優しくするとはどういうことかというと、

 

僕は自分の全てを受容することだと思っている。

 

 

そもそも、

 

自分が取った行動、相手に対して抱いた感情、

 

に対して、それはよくないもの、と判断した結果、

 

そこに罪悪感が生まれ、自分を責めてしまう。

 

また、相手から攻撃された時、自分が悪いんだ、

 

と思った結果、そこに無力感が生まれ、

 

やっぱり自分を責めてしまう。

 

 

そんな時、僕たちスピ兄弟はどうするかというと、

 

奇跡講座学習者なら赦しを実践し、

 

バシャール信奉者なら罪悪感を手放そうとし、

 

あやこさんや並木さん系なら統合しようとする。

 

しかし、もう皆さん体験してご存じのように、

 

世界は無い、と聖霊に委ねてみても、

 

手放そう、と次元シフトしてみても、

 

鉄の球体を転がしてみても、

 

やっぱり、罪悪感や無力感は無くならない。

 

 

委ねる、手放す、鉄の球体を転がす行為は、

 

どこか、自分から分離させる、

 

何かを切り離すイメージがあるので、

 

この無理やり感が無意識の抵抗となってしまう。

 

 

なので、僕が自分責めを止めようとした際、

 

全ての感情や思いに許可を出し、

 

どんな思いも、全面的に受け入れると決心した。

 

 

f:id:shusaku1:20210320013251j:plain

 

 

例えば、

 

他者を責めるくらいなら自分を責めた方がマシ

 

という想いも、他者を傷つけたくない、という

 

優しい気持ちの顕われなのだから、

 

そんなことを思って苦しんでいる自分も

 

全肯定してやり、苦しむことに許可を出してやる。

 

責めている自分を100%受け容れてやるのだ。

 

 

他人から攻撃されることに恐怖を感じているなら

 

いつもオドオドしている自分に、

 

オドオドしていてもいい、と許可を出す。

 

だって、怖いものは怖いもん、それが正解だ。

 

 

「俺のせいにしやがって、あいつマジムカつく」

 

と怒りが湧いているなら、そのまま怒らせてやる。

 

怒り心頭に達している自分のままでいいのだ。

 

こうやって、今、ここに現われている、

 

そのままの自分を許容することこそが、

 

最も自分に優しい行為であり、それこそが、

 

今、この瞬間に抵抗しない、の真意となる。

 

 

こうやって、

 

ダメだダメだと自己否定している自分、

 

容姿がよくないことを気にしている自分、

 

イジメられて傷ついている自分、etc~、を、

 

赦そう、とか、手放そう、とか、愛で見よう、

 

とする前に、先ずはそんな自分をとことん肯定し

 

許容し、受け入れてやることで、

 

どんどん自分に力強さが戻ってゆく。

 

そうなると、やがて、少しづつではあるが、

 

きちんと相手にノーと言えるようになったり、

 

こうしたい、と相手に伝えられるようになったり、

 

他人のための不必要な頑張りをしなくなる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

自分責めを止めるコツは、

 

赦すよりも、まず今の自分を肯定しろ、

 

手放すよりも、まず今の自分を受け容れろ、

 

統合するよりも、まず自分の想いに許可を出せ、

 

それがどんなにエグいものであっても、である。

 

自分の想いを無視して神に頼っても無駄であり、

 

想いを聖霊に委ねても、想いなんて届かない。

 

どんなに最悪に思えるようなことでも、

 

自分から出た想いなのだ。

 

自分が受け止めてやらないでどうするのだ。

 

自分が「それでいいんだよ」と言ってやらないで、

 

誰が自分を癒してやれるのだ。

 

 

自分の子供を虐待していたらやめようとするのに、

 

自分を虐待していても、

 

「頭ではわかってはいるけれどね、えへへ…」

 

で終わってしまうのはなぜなのか、

 

他人から受ける攻撃の言葉は、

 

もうこれ以上虐待しないでくれ、

 

という、自分が自分に発した叫びである。