香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

とある違和感

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以前の記事でもお伝えしたように、もともと僕は、

 

今年の夏頃には会社員生活を卒業して、 

 

正式に日本へ完全帰国し、それからしばらくは、

 

日本でゆっくり創作に専念しながら、

 

台湾移住の準備をしようかなあ、と考えていた。

 

しかしここへ来て新たな展開が生まれつつある。

 

 

というのも、もう正式発表されたので書くのだが、

 

実は、現在僕が勤務する香港支社を、

 

完全クローズすることが決定されたのだ。

 

僕は去年の暮れにこの通達を受けていて、

 

それを機に、もう一人の日本人の同僚は退職し、

 

エドワードも4月一杯でリストラ解雇となる。

 

 (先月、本人にはすでに通知済み)

 

ただ僕は、銀行や税務などの残務整理のため、

 

8月ごろまで香港に残り、その後帰国して、

 

最終的には東京支社勤務となる予定だった。

 

だが、30年もの間、外国で暮らして来た僕が、

 

日本のオフィスの雰囲気に馴染めるとも思えず、

 

デスクをくっつけ、

 

互いに向かい合って仕事をするスタイルは、

 

考えただけで息が詰まりそうになり、

 

もう絶対にパスである。

 

なので、秋からは、会社員を早々にリタイアし、

 

あとは日本で、小説創作に没頭しながら、

 

自分100%の日々を過ごそう、と考えていた。

 

 

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香港支社はクローズされるのだし、

 

これを機会に会社員生活から脱け出し、

 

自分のために、やりたいことを思い切りやろう、

 

それに、香港ももう、昔の自由な香港ではない。

 

ここが潮時、生き方を変えるチャンスだ、と、

 

新たな展開にワクワクもしていた。

 

 

一方で、こうした計画に対して、

 

なんか訳のわからない違和感も感じていた。

 

なんだろう、今ではない、という感覚…。

 

最初、

 

会社を辞めることに恐怖を感じているだけなのか

 

それとも、香港を離れるのが名残惜しいのか、

 

と、自分の内側をよーく観察してみたのだが、

 

どうも、そういう類いの違和感でもない。

 

その証拠に、ドキドキや不安感はないのだ。

 

また、国境封鎖や隔離措置など、

 

コロナ禍で移動が極端に制限される中、

 

もう少し時期をずらした方がいいのかな、

 

とも思ったが、そんなことでもない気がする。

 

 

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今に意識を委ね、本当はどうしたいのかを、

 

内なる本質の自分である兄貴と見てゆく。

 

〝日本帰国、台湾移住は、今でなくてもいい〟

 

という想いが浮かんできた。

 

それは、流れに逆らって、

 

無理やり何かをしようとしている際に感じる

 

違和感だった。

 

 

でも、僕の帰任は8月と決まっており、

 

嫌でも日本へ帰国する手はずになっている。

 

それに今年は風の時代でもあり、自分としても、

 

今年中に、新たな一歩を踏み出したい。

 

しかし、本当の理由は分からないけれど、

 

あと半年から1年、帰国をずらしたほうがいい、

 

と、緩やかに止めが入るのだ。

 

 

じゃあ、香港で別の働き口を探すのか、

 

それとも、別のアパートを自分で借りて、

 

しばらく香港で小説創作をしてゆくのか、

 

しかし、

 

自力で香港のバカ高い家賃を払うのは、

 

まったく以って現実的ではない。

 

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あれこれ考えても、自分には何も分からない。

 

僕は、全ての抵抗をやめ、

 

今、この瞬間に委ねていることにした。

 

今、この瞬間瞬間に立ち顕れる神を味わい、

 

今、この瞬間瞬間に起こっている過程を楽しむ。

 

それが、

 

どんなに自分を動揺させることであっても、だ。

 

外側に対して何かをするのではなく、

 

内側の愛にフォーカスすることにする。

 

答えは、愛の反映である兄弟たちによって

 

そのうちきっと、もたらされると思うから…。

 

 

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スポ根奇跡講座!

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👆 家の近所のカフェで映画の撮影

 

 

これで、何度目か(?)の爆弾発言となる。

 

 

〝神は在る〟以前に〝私は在る〟である。

 

ただし、ここで言う〝私〟とは、

 

脳によって機能している肉体としての私ではなく、

 

背後側、無限の全体に在る私のことを指す。

 

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僕が何年も実践をしてきて明言できるのは、

 

自分(私)を他者に明け渡した状態で、

 

他者の目を気にして怯えている状態で、

 

神は在る、を真に〝智る〟ことはできない。

 

赦しを実践し、聖霊に委ねることで、

 

少しづつ神は在るに近づいてゆくのでもない。

 

そもそも他者を恐れている時点で神を恐れおり、

 

自分を責めている時点で、

 

自分はまだ、赦しや聖霊まで行っていない。

 

なので一気に〝神〟ではなく、

 

先ずは自分へ戻るところから、

 

一歩一歩やっていこうと決心をすることだ。

 

 

多くのコース兄弟は、

 

幻想である〝私〟を存在させることに

 

大きな抵抗を抱いてしまいがちだが、

 

本当は私だと思って嫌っていたものが神だった、

 

私を嫌っているように見えて、

 

本当は神を嫌っていることに気づけていない。

 

私は無い、私は幻想だ、とやればやるほど、

 

神は無い、神は幻想だ、とやっている。

 

 

私は幻想で、在るのは父だった。

 

従って、何はともあれ、

 

私が在る、に気づくことで、

 

在るのは私ではなく神だった、と気づき、

 

罪悪感も本当は神の想いの裏返しだったと知る。

 

そうやって、

 

神しか実存しなかったことが理解できて初めて、

 

世界も個の自分も幻想だったと体感できる。

 

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よって、全ての出発点は〝私〟からである。

 

私は在る、というのは、

 

今、この瞬間に在る神に気づき、

 

背後の無限の全体に開いて、

 

私側に愛と力が戻っている状態のことを指す。

 

私に優しく寄り添い、私に気づいている状態…。

  

そして、在る瞬間に、

 

「あれ?俺って、ひょっとして、神じゃね?」

 

となる。

 

 

だから、

 

たとえ、人をけなしても自分をけなすな!

 

たとえ、人を責めても自分を責めるな!

 

たとえ、人を否定しても自分を否定するな!

 

 

なにぃー?できないーっ?

 

だめだ、だめだあーっ!そんなことで、

 

父が待つ故郷へ還れると思っているのかぁーっ!

 

『アタックNo.1』の鮎原こずえで行くのだ!

 

『エースをねらえ!』の岡ひろみを見習うのだ!

 

日本男児、大和なでしこ、

 

何が何でも、根性で終わらせるのだ!

 

 

👇 更新したよ!shusaku1.hatenadiary.jp

 

 

 

やり尽くすのだ!

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👆 夕方なのに誰も乗ってこない
  不気味だ!

 

好きな人と大恋愛をして結ばれたり、

 

自分の夢を叶えて大成功したり、

 

お金持ちになって悠々自適に暮らしたり、

 

大好きなモノに囲まれた居住空間に住んだり、

 

気に入った車や洋服を買ったり、

 

世界中を旅して回ったり、と、

 

この現実世界で自分の夢や希望を叶え、

 

したいことを思い切り自分にさせてやることは

 

父が待つ故郷へ永遠に帰還する過程で、

 

非常に重要なことだ、と僕は思っている。

 

そこから得られる様々な愛や歓びを、

 

自分自身に味あわせてやることによって、

 

納得して夢を終わらせてゆくことができる。

 

 

というのも、ずっと以前、

 

『はい、終わり』という記事を書いたが、

 

魂の本質が望んでいることを表現せずに、

 

ただ、罪悪感だけを赦して終わろうとしても、

 

「本当にいいや。本当にもうやりきった」

 

とはならず、心が真に充足していないので、

 

結局、やり切っていないことをするために、

 

この夢の世界に再び引き戻されてきてしまう。

 

 

昔、兄弟てっちゃんに、

 

「自分はある程度の年齢を重ねて、

 

   やりたいことをやってからコースに出会えて

 

   本当によかったと思っているよ。

 

   もし、20代でコースに出会っていたら、

 

   この世で持つ様々な夢や希望を、

 

   真に楽しめなくなっていただろうから…」

 

みたいな話をしていた時期があったが、

 

それは逆だ、と今なら解かる。

 

 

こんな地獄でしかない世界はもううんざりだ、

 

二度と戻ってきたくない、という観点からでは、

 

永遠の帰還は難しいと思っていて、なぜなら、

 

その〝うんざりだ、もういやだ〟の裏には、

 

〝本当はこうしたかった〟が隠されているので

 

やはり、欠乏感を持ったまま逝ってしまう。

 

また、こんな地獄でしかない世界はうんざりで

 

一刻も早く父が待つ故郷へ帰還したい、

 

というのも、自殺する人の思考状態と同じで、

 

〝うんざり〟が先手に来てしまっているため、

 

やはり、罪悪感を持ち帰ってしまうことになる。

 

 

一体、どうせーちゅうねん、ということになるが

 

自分がやりたいことや、望んでいることに、

 

きちんと〝YES〟と言ってやるのは、

 

それを、現実に実行するかどうかは別として、

 

神へ戻るための〝第一歩〟となる。

 

 

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また、ここで、

 

「世界は実在しない、と真に認識した上でなら

 

 どんな好きなことをやってもいいんだよね」

 

的な、解釈のすり替えでやるのではなく、

 

ただ純粋に、今、この瞬間に顕われ来る、

 

愛や、歓びや、楽しみ、悲しみ、苦しみ、を、

 

自分なりの方法で思いっきり(👈ここ大事)

 

表現させてやるのだ。

 

 

また、やりたいことと言っても、それは、

 

歌手になるとか、ユーチューバーになるとか、

 

作家になるとか、会社をおこすとか、

 

そんな大それた望みでなくてもよくて、

  

2個500円のケーキがお得だけど、

 

本当に食べたいケーキが一個500円なら、

 

後者のケーキを買って味あわせてやる、とか、

 

怖くて〝嫌だ〟と言えないのなら、

 

ちょっと勇気を出して「ノー!」と言ってみる、

 

といったレベルのことから始めればいい。

 

いや、むしろそっちの方が大切だと思う。

 

 

それに、必ずしも、

 

やりたいことを実行に移す必要もない。

 

自分の心の中で、本当はどうしたいかを、

 

聴き、認め、受け止め、感じてやること、

 

それがとても大事なのだと思う。

 

 

👇 誰もが通る

  〝こんな世界うんざりなんだ期〟

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僕は〝赦し〟とは、ある種の〝納得〟だ、

 

と思っている。

 

だからこそ、赦しの前には〝許し〟があり、

 

自分を許容し、自分に許可を出すことで、

 

心が納得して癒され、そこから赦しが起こる。

 

 

だから、若い人は(そうでない人も)、

 

やりたいことを思い切りやればいい。

 

この夢の世界で、

 

本当の望みを表現して生きることが、必ずしも

 

世界を実在化させていることにはならない。

 

 

考えてみてほしい。

 

愛そのものである〝幸せな夢〟に、

 

「こんな世界はうんざりなんです」

 

と言いながら

 

辿り着けるはずなどないではないか。