香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄弟ロス

 

👆 おっさん組

 

 

ひゃっほーい!日本語教師の学校を卒業したよ!

 

普通1年で終了するカリキュラムを、半年で終えるため、

 

最終日も朝から模擬授業や読解の授業があり、

 

終了証をもらえたのは、午後4時を過ぎてからだった。

 

もう毎週のように試験があって、本当に大変だったが、

 

苦楽を共にしたクラスメートとも、もう会えなくなるんだ、

 

と思えば、寂しさが込み上げてくる。

 

思えば、僕が香港から日本へ帰国してから、

 

初めて親しくなった普通の(笑)日本人の方たちだった。

 

クラスの人たちは、下は20代から上は70代まで、と

 

年齢は様々だったが、グループに分かれることもなく、

 

みんな普通におしゃべりをして、とても仲が良かった。

 

前世で一緒だった人達と、今世でもう一度めぐり会った

 

みたいな、とても懐かしい印象を受けた兄弟達だった。

 

 

 

 

夕方から、近くのスペイン料理店で打ち上げをした。

 

ワインもたくさん注文し、大いに飲み、語り合った。

 

最後は一本締めでお開きとなった。

 

フランスやルーマニアで日本語教師をする人や、

 

国内の日本語学校で教壇に立つ人、それから、

 

日本語学校に職員として就職する人、または、

 

今の職場に留まる人、など、進路はそれぞれだが、

 

またいつか、どこかでみんなに会える気がする。

 

 

 

 

思えば、この講座を受けるかどうか最後まで悩んだ。

 

最初、この学校のサイトを見た瞬間、行こうと決めた。

 

なのに、半年間海外へ行けなくなる、とか、

 

フルの対面授業より、オンライン授業の方が、

 

場所の制約を受けず、いいんじゃないか、とか、

 

様々な抵抗が出てきて、ぐずぐずしていたが、

 

最終的には直感に従って本当によかった。

 

 

多分、これからも僕は、委ねた奇蹟に従いながら、

 

この夢の世界を、

 

その時々で出会う兄弟たちと歩いてゆくのだろう。

 

この年になってようやく、自分で成し得たことなど

 

何一つないということが心底腑に落ちている。

 

例えば、いくら、この小説は僕が書いたと言ったって

 

そのストーリーは、自分で考え出したものではない。

 

ふと、そのストーリーが思い浮かんでこない限り、

 

僕は何もできないのだ。

 

以前は、自分で何とかしなければ大変なことになる、

 

と、江後田自我男に思い込まされていたが、

 

考えてみれば、すでに何とかなって完結している。

 

恐怖からくる抵抗だけが問題だったのだ。

 

 

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これからはもう、何があっても、恐れずに生きる。

 

それが、兄貴を信頼することだと思うから…。

 

 

そして、最後にクラスメートの皆さん、半年間、

 

僕と仲良くしてくれて本当に有難うございました。

 

 

P.S 

さっき、久々にインスタをアップしたよ。

これから毎日インスタ更新してゆきます。

インスタライブもするよ!見てね!

 

@hoshitani

 

 

究極の証明写真

 

 

先週の土曜日、証明用写真を撮りに、

 

心斎橋にある、韓国式のフォトスタジオへ行ってきた。

 

そこは、履歴書やパスポートなどの証明写真を、

 

盛りすぎず、自然に美しく撮ってくれるフォトスタジオで、

 

僕も、今後、履歴書の写真は大事かなと思い、

 

容姿の融通がきくうちに(爆)撮っておくことにしたのだ。

 

 

まあ、日本で証明写真と言えば、

 

適当に撮って貼り付ける、みたいな印象があるが、

 

就職難で、就活が熾烈を極める韓国では、

 

履歴書に貼る写真一枚で採用が左右されるらしい。

 

例えば、年齢も学歴も同じ応募者が100人いて、

 

その中から、書類選考通過者を10人選ぶ場合、

 

どうするかと言うと、写真の顔で選ぶというのだ。

 

顔は口ほどにものを言う、というが、まあ僕も、

 

長年人事をやって来たのでその気持ちは分かる。

 

(あれ?目は口ほどに…じゃなかった?)

 

 

 

 

というわけで、スーツを着て心斎橋へ向かった。

 

スタジオは思っていたより殺風景だった。

 

社長の男性(40歳くらい/ヒゲ/短髪/クマ系)と、

 

助手の女の子(金髪/カラコン/付けまつげ/ミニスカ)

 

が応対してくれ、二人は僕をじーっと凝視すると、

 

僕を椅子に座らせ、メイクを始めた。

 

薄くファンデーションを塗られ、眉を描かれた。

 

微妙に顎を引いたり、首を傾げたり、目を開いたり、

 

息を吸って吐いた瞬間にシャッターを押されたり、と、

 

色んなことをしながら写真を撮った。

 

 



 

撮影を終えると、どの写真にするかを選定する。

 

どれも同じに見えるので、助手の彼女の意見に従い、

 

一番目ジカラのある写真を選んだ。

 

その後、修正する点をいろいろ聞かれた。

 

頬を削り、口元のたるみを消し、肌のトーンを上げ、と、

 

「普通、シワやシミを消すと不自然になるんですけど、

 

    星谷さんはシワやシミがないので大丈夫ですね」

 

と、涙が出るほどうれしいことを言ってくれる。(笑)

 

2、3日後に修正後の写真を送ってくれるという。

 

その場で一緒に修正してゆくのかと思った、と言うと、

 

「いえ、時間をかけて、私が少しづつ、少しづつ、

 

    細かい部分に手を入れていくのでお任せください」

 

と、クマ系の社長が言った。

 

スタジオはいつから始めたのかと訊くと、なんと、

 

この日がオープン初日で、僕が一人目の客だという。

 

スタジオが雑然としてたのも初日だったためらしい。

 

なんで検索でここに辿り着いたのか、思えば不思議だ。

 

 

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帰り、心斎橋を難波までゆっくり歩いた。

 

僕はキタ(梅田)派なのでミナミを歩くのは久しぶりだ。

 

優しい土曜の午後、

 

奇蹟に委ねていると、多幸感が溢れてきた。

 

 

できあがった写真が送られてきた。

 

顎や肌のトーンが修正されていた。

 

盛りすぎず、とても美しい出来に仕上がっていた。

 

でも、写真公開はハズすぎるので、インスタのみで…。

 

奇蹟に委ねる

 

 

 

ひゃっほーい!

 

模擬授業と、台湾の学校の面談授業が終わった。

 

学校の模擬授業は何とかうまくクリアできたが、

 

台湾の学校の採用面接を兼ねた模擬授業は、

 

人智を尽くして天命を待つ、感じである。

 

 

台湾の採用面接当日、ZOOMの接続の確認をしたり、

 

授業内容の最終チェックをしたり、と、大わらわだった。

 

面接時間10分前にスーツに着替える。

 

自宅でスーツを着るとなんかすっごい違和感を感じる。

 

面接官は、教師歴30年のベテラン日本人女性だった。

 

上海で教えておられ、2021年から台湾在住だという。

 

とても気さくな方で、年代も同じなので話も弾んだ。

 

ただ、模擬授業になると、生徒役に扮した彼女が、

 

次々に中国語で〝厄介な〟質問をしてくるので、

 

すごく緊張して、ちょちょ舞う場面が多々見られた。

 

 

模擬授業を終えた時、ああやっちゃった、と思った。

 

「お父さんが台湾人、お母さんが日本人の4歳児に、

 

日本語を教える際、どういった教材を使いますか」

 

といった質問をされた際も、本人のアイデンティティが

 

中国語にあるのか、日本語にあるのか、で決めます、

 

と答えたのだが、合っているのかどうか分からない。

 

もう、思い返すと、思わず走り出したくなるような

 

トンチンカンな受け答えの数々に、ああオワッタ、

 

と肩をうなだれる。

 

面談後、お礼と来週台湾へ旅行で行く趣旨を添えた

 

メールを返し、この大勝負は幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

まだ学校の授業は残ってはいるが、自分的には、

 

日本語教師に関する全ての過程を終えたことになる。

 

「俺は、自由だあーっ!」 と部屋の中で叫んだ。

 

解放感のあまり、エビスバーへビールを飲みに行く。

 

ぷっはー、うめー!

 

 

日本語学校の先生や仲間たち、今日面談して下さった

 

面接官の方に対する感謝の気持が込み上げてくる。

 

ビールを味わいながら、ずっと奇蹟に委ねていた。

 

今の僕は、兄貴に委ねる、というより、

 

奇蹟に委ねる、の方がすっごくしっくりくる。

 

日本語学校の仲間たちに出会い、

 

台湾の学校の面接を受けることになるなんて、

 

一年前の自分には想像もできないことだった。

 

これって、奇蹟以外のなにものでもない。

 

たとえ、今回の面接がうなくいかなかったとしても、

 

それは奇蹟に委ねた結果であり、何の問題もない。

 

これからも僕は、奇蹟の中で生きてゆくのだ。

 

 

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ほらほら、もっと頑張らんと台湾にいけへんでぇ~、

 

というエゴの声は絶えず聞こえては来るけれど、

 

それにチョチョ舞う、なんていうことはない。

 

これは奇蹟である自分が見ている奇跡の夢なのだ。

 

 

奇蹟に委ねた時点で、私が奇蹟となっている。