香港でブログをされている日本人の方って、
どんなことを綴っておられるのだろう、
と興味を持ち、このはてなブログ内を検索してみた。
すると、
バリバリとキャリアを積んでおられる日本人女性や、
香港で起業して頑張っておられる日本人男性、
または、駐在員妻の食レポなど、
かなりの香港在住日本人のブログがヒットした。
読んでみると「ああ、それ、あるあるーっ!」と、
思わず手を叩きたくなるような〝香港人あるある〟
がたくさん出てきて、ほんとうに面白かった。
いくつか例を挙げると、
どんなに避けてもこちらへ突進してくる香港人。
(なぜか磁石のようにスマホをしながら突進してくる。)
エスカレーターを上ったすぐのところで、
急に立ち止まる香港人。
(朝のラッシュでこれをやられることが多く、危険。)
食べ物を口に入れたまま、
くちゃくちゃ音をさせながら電話で話す香港人。
(相手はお客様なのに…である。)
出社時間は朝9時からとなっているにもかかわらず、
なぜか9時20分頃にやってきて、
それから自分の席で朝ご飯を食べ始める香港人。
商談でも、面接でも、スマホをいじっている香港人。
(注意されると、いやいや、ふてくされたようにやめる。)
トイレのドアノブに触れたくない為に、他の誰かが、
扉を開けて出ていくまで、鏡の前で待ってる香港人。
(そんなに潔癖なのに、トイレは非常に汚れている。)
エレベーターのボタンに触れたくない為に、
鍵の先でボタンを押す香港人。
(それでボタンは文字が見えないくらい傷だらけ。)
それ以外にも、これ見よがしにわかりやすく、
しかし悪いのは相手で、自分が正義なのだと、
ちゃんと周囲に分かるように意地悪をする香港人、
など、枚挙にいとまがない。
僕の、どうしても気になる〝香港人あるある〟は、
食べた後のラーメンの食べ残し汁や、
残ったカレーやシチュー、
お鍋をした後の残った食べ残しを、
汁や残飯ごとトイレにじゃーっと捨てること。
合理的ではあるが、
さっきまで口に入れていた食べ物を、
トイレに捨てたときの便器の景色を想像しただけで、
ひいいいいーーーっ、となる。
僕は今年で香港在住22年なので、
上記に書かれているような香港人たちと、
無数のバトルを繰り広げてきたわけだが、
ここへきてふと辺りを見回してみると、
昔は自分の周囲に、無数にバッコしていたはずの
〝あるある香港人たち〟が、
いまは1人も見当たらないのである。
いるけど気にならなくなった、というレベルではなく、
いつの間にか、
僕の周りから一人残らず消えてしまっている。
態度の悪い店員さんにも出会わなくなったし、
ひどいサービスを受けることもなくなった。
同僚たちも、みんな礼儀正しく、遅刻なんかしない。
大声を張り上げたり怒りに震えることも皆無である。
まあ、赦しを実践しているのも理由の一つだろうが、
どうも、それだけではないような気がする。
おそらく、
香港での経験値の増加とともに、心にゆとりが生まれ、
自分が何を見たいと思っているか、という、
意識をフォーカスさせる次元が変化したのだと考える。
香港に来た当初は、気持ちがテンパっていて、
会社の給与や待遇、仕事、生活、人間関係など、
全てのシーンにおいて、
自分が不当に扱われていないか、
人から責任を押し付けられてはいないか、
トラブルに巻き込まれないか、と、
常に、武装モードで暮らしていた。
そんな時代のエピソードなのだが、
銀行で列に並んで順番待ちをしていたとき、
その行列を平気で無視して、
カウンターに向かうおばさんがいた。
誰かが注意をすると、ちょっと質問するだけだ、
と言い返したはいいが、、そのまま、カウンターで、
何やかやと自分の用事を済ませて帰って行った。
当時はかなり憤慨し、
そんな理不尽な客に何も注意しないカウンター職員に、
苦情を言いまくったのを覚えている。
今思えば、いかに当時の自分が、
そういう意識の低い輩ばかりに注意を向け、
ちゃんと列に並び、老人に順番を譲ったりしている、
大多数の穏やかな人たちを無視していたか
ということが解かる。
結局、自分が見たいものしか見ていなかったのだ。
意識が、
並ばないおばさんばかりにフォーカスし始めると、
自分の周囲にそんな人ばかりがいるように見え、
最後には、銀行で見たおばさんイコール香港人、
ということになってしまう。
〝投影〟って、こうやって作られるんだね。
じゃあ、ただ、起きていることの光の方ばかりに
フォーカスすればいいのか、と言うとそうでもない。
どちらにフォーカスしても同じ、
エゴは必ず分離してゆく。
なので、それは消えるために現れている、
と認識することが非常に大切なのだと思う。
エゴが自ら消えるためにそれを出してきている、
愛を求める姿、は、すでに聖霊によって、
天国のハートの智覚へと修正されている。
ただ、その事実にじっと寄り添う。
それだけでいい。
まあ、香港人ははっきり自分を表現するので、
やってる事や言ってる事は大概が本音と見ていい。
「わたし、いま生理で、すっごく怒りたい気分だから、
あんまり話しかけてこないでね。」とか、
「わたし、あなたに言われたあの一言のために、
すっごく機嫌が悪いんだけど、
3日くらい口きかないと思うからヨロシク!」
くらいのことは平然と言ったりするので、
ある意味、わかりやすくて、ラクはラクだ。
日本人のように、
機嫌が悪いので、どうしたの、と聞くと、
なんでもない、と答えながらもむすっとしている。
あるいは、表面はニココニコしていながら、
腹の中で〝ジトっ〟と嫌う、なんてことがない。
わたしは、あなたがこんなに嫌いなのに、
なんでニコニコなんかしなきゃいけないのよ。
あなたのどんなところが嫌いなのか、
はっきり相手に伝えなきゃ意味がないでしょう、
という感じである。
そういう観点から見れば、
この人たちがコースを学び、赦しを実践したならば、
ものすごい勢いで夢から目覚めてしまう気がする。
なぜなら、常に出てきたものを隠ぺいすることなく、
相手に差し出しまくって恥じない状態(笑)なので、
あとは、肉体の他者から、聖霊兄貴へと、
その差し出し先を切り替えるだけでよい。
やっぱりお国柄によって、赦し方もさまざまだ。