香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

無罪たち



四国から戻り、実家にいたときのこと。

自分の部屋の押し入れを整理していて、

昔の雑誌類が見当たらないことに気づいた。


80年代の『POPEYE』や『HOT DOG PRESS』 など、

懐かしい雑誌類や同人誌がごっそりなくなっている。

とっさに、母が捨てた、と思った。

母は昔から〝捨て魔〟で有名なのだ。

自分が要らないと思ったら何でも捨ててしまう。

僕はそれを知っていたので、

捨ててはいけないものは押入れに入れ、

取っ手に南京錠をかけて防衛していたのだが、

不覚にも、前回帰省したときに鍵をかけ忘れていた。


母を問いただした。

「そんなん、知らんわ。あんたの許可なしに、

 勝手に捨てたりなんか、せえへんわっ。」

と、母はシラを切りとおしている。

そんなとき、以前なら、〝ムッカーッ!〟と来て、

ひと悶着あるのだが、今回は全く平静だった。

反射的に母を無罪として開放していた。

まあいいや、とか、赦すのだ、といった感覚もない。

相手を完全に罪のない神の子として感じていたのだ。


最初、これは母に対してだけそうなのかな、

と思っていたが、それがもう、どんな人やモノや

出来事を見てもやっぱり罪がないのだった。

日本滞在最終日、大阪のキタで父母と一緒に、

懐石料理を食べに行ったのだが、そのとき、

運ばれてきたお茶の湯呑みに口紅がついていた。

だが、湯呑みにも、店にも、罪を感じない。

罪を見ないのでもなく、見れない、というのでもない。

初めから、罪なんかないとして見ている。


逆に、罪がないからこそ、はっきりと店員さんに、

「口紅ついてるんですけど、取り変えてください。」

と言える。


このことを赦す、とか、あのことを委ねる、など、

ひとつひとつにフォーカスしているのではなく、

自分全体がすでに〝無罪モード〟になっていて、

世界がまるごと無罪だ、というふうに知覚している。

なんというか、いつも神は自分と共にいて、

自分はすでに神の国にいる、という確信が、

ずっと底辺に流れているのでる。

ただ、一瞥体験のような、昂揚感や特別感ではなく、

もっと、当たり前に世界は無罪だ、と思っている。

しかし、ただひとつ間違ってはならないのが、

世界の無罪性を開放させることによって、

幻想の世界が神の世界に変わるのではない、

ということだ。

もとから存在などしていない幻想の世界が

真に無いものとして自覚されたことによって、

消滅するのだ。

そうして、もとからここに在った神の国が姿を顕わす。

そういう意味で、今回の日本滞在は、

本当に、さまざまな変容を僕にもたらした。

変容というより、修正と言った方が近いかもしれない。


少なくとも、世界に対する恐れがなくなってしまった。

神の機能しかなく、神に愛されている自分が、

一体、何を恐れるというのだろう。


というわけで、香港に戻り、一週間がたつ。

仕事、忙しい。肉体改造(宇宙改造)も再開した。

しかし、見える景色が全く変わってしまった。

みんな、神の子に変わってしまった。

みんな、神が見る風景に変わってしまった。