香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

隔離された愛

f:id:shusaku1:20200304194416j:plain

 

今日は、小切手を入れたり、現金を引き出すために、

 

東京三菱UFJ銀行、みずほ銀行、香港上海銀行、と、

 

三軒も銀行のはしごをした。

 

その後、チョンキンマンションにある両替屋で、

 

引き出した現金10万香港ドルを、人民元に両替した。

 

なぜなら、この両替屋は、少しだけレートがいいから…。

 

90年代、当時貧乏留学生だった僕も、

 

ド田舎の広州から香港へ買い出しに来るたび、

 

カオスなチョンキンマンションの安宿に泊まっていた。

 

 

だが、かつて怪しいインド人が大勢たむろし、

 

ニセモノブランド品の工場、クスリの売買、淫売宿、と、

 

ディープな香港を垣間見せてくれていたこのビルも、

 

今では、すっかり小ぎれいなショッピングアーケードへと

 

改装されてしまっていた。

 

そして、チョンキンマンションで両替をしていたその時、

 

もう何もかもがそのままでいいんだ、と理解が起きた。

 

f:id:shusaku1:20200304193816j:plain

 

いつも自分を無視してくるあの人は、あの人のままで、

 

恐怖から自己防衛している人は、自己防衛したままで、

 

クヨクヨメソメソしていたら、クヨクヨメソメソしたままで、

 

裏ぎられて怒りに打ち震えるなら打ち震えたままでいい。

 

そのままですでに完璧で、何一つ変えるべき点はない。

 

ていうか、完ぺきな神を変えることなど不可能だ。

 

 

〝神〟というひとつの解釈を通して見れば、

 

自分が出会う全ての人、物、事は神を代表しており、

 

それ故に、彼らもまた神と同じものとして見える。

 

 

もう、その人それ自体が愛であり、実相である。

 

もし僕が、あいつけしからん、と思ったとしても、

 

それもそのまま、愛でしかない。

 

 

今にいて、神に気づいて、ハートの法悦に包まれれば、

 

咎められる者など何もないことがはっきりと解かるのだ。

 

 

ただ、このように書くとまた誤解をする人がいるので、

 

付け加えておくが、

 

これは心の中でのスタンスのことを言っており、

 

例えば、子を虐待している親を見て

 

そのままでいい、と言っているのではない。

 

実際に何かをしている兄弟を変えようとしない、

 

とか、現実を全て受け容れる、という意味ではなく、

 

ただ、抵抗せずに、いま、ここに在る神を観るだけ。

 

そして、その神は、肉眼で見えているものの中に在り、

 

あらゆる音の裏に流れる沈黙のなかに在る。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

  

話は変わって、コロナウィルスで大変な日本であるが、

 

昨日、安倍首相が、中国と韓国からの渡航者には、

 

14日間の隔離措置を推奨する、と発表したことで、

 

中国の一部である香港に住む僕も当分、

 

日本へは帰国できなくなってしまった。

 

 

何でもっと早く中国人の入国を拒否しなかったのか、

 

何でアメリカ籍のクルーズ船を日本が受け入れたのか、

 

何で今頃一斉休校なんだ、何もかもが後手ではないか、

 

政府は何をやってるんだと、多くの批判もあるようだが、

 

中華圏に27年暮らしている僕からすると、

 

日本の懐の深さってすごい、と思ってしまうのだ。

 

なにより日本政府はまだ、

 

ちゃんと人を、人として扱っている。

 

f:id:shusaku1:20200304193420j:plain

 

中国では、

 

都市を丸ごと封鎖し、医療従事者を病院に閉じ込め、

 

マスクをしない者には暴力を振るい、

 

感染者の家の玄関のドアに杭を打ち付け、

 

リアルな窮状を伝え、政府の対応を批判すれば、

 

国家転覆罪で懲役刑に科される。

 

これで、疫病は封じ込められるかもしれないが、

 

人としての尊厳は完全に無視されている。

 

そこに愛や優しさやいたわりの気持ちは全くない。

 

あまりに利己的で乱暴だ。

 

 

ただ、そうすることを選択した中国政府も、

 

その方針を、恐怖からであれ、受け入れた中国国民も、

 

そして、中国のやり方が乱暴すぎると思っている僕も、

 

やっぱり、そのままで完璧である。

 

完璧に起きる事が起き、バッチリ無に戻っていっている。

 

その事実を目撃するとき、

 

ああ、本当にこの世界は無だった、としみじみ思うのだ。