昨日、今日、と、家から一歩も出ずに過ごした。
別に新型ウィルスが原因で家に籠っている訳ではなく、
家にいるのが心地よすぎるので家にいる。
うだうだと、いつの間にか休暇が終わってしまわないよう
リマインダーできちんとスケジュールを設定し、
広東語や英語の勉強をしたり、家トレをしたり、
実相瞑想をしたり、小説のプロットを作ったり、
映画専門チャンネルで映画を観たりして過ごした。
中でも、笠智衆と八千草薫にハマってしまい、
一言もセリフを言わないのに、アップの表情だけで、
見ている者に様々な想いを抱かせて、泣かせる。
昔の俳優さんって、本当にすごい、とつくづく思う。
もっとお金が欲しい、昇進したい、外車に乗りたい
歌手になりたい、幸せな結婚がしたい、悟りたい…、
など、僕達がこの世界で何かを手に入れたいと思うとき、
なんでこれらのものを手に入れたいかと訊かれれば、
ほとんどの人は、幸せになりたいから、と答えるだろう。
じゃあ〝幸せ〟って一体どんな感覚か、というと、
気分がいい、心地がいい、平安と安心の波動、となる。
そうなのだ。
この世で叶えたい夢は人それぞれ無数にあると思うが、
どんな夢のゴールも、最終的には、
ただ、気分のよさを味わいたい、だけなのだ。
逆に言えば、心地よさ、気分のよさを味わえさえすれば、
叶える夢は何でもよい、と言える。
それでは、夢を叶えて味わいたいと切望している、
その、気分のよさ、心地よさ、平安な感じ、の正体は何か
といえば、神の愛の波動、ハートのエクスタシーの感覚、
全てが神の愛で満たされいる感じ、に他ならない。
セックスや自慰行為も、神を感じたいがためにする。
様々な現実世界の成功や幸せを欲しているように見えて
実際欲しているのは、神の愛の感覚だったのだ。
要するに、夢を叶えることで手に入れたいのは、
金でも、地位でも、名誉でもなく〝神〟だった。
自分だけの夢を叶えても、最後は神を発見する。
中には、神を発見するのが怖いから、
ずっと夢を追っているだけで叶えない人もいる。
しかし、ひとつ言えることは、どんなに抵抗しても、
どんなに遠回りしようと、
神はここに在り、僕たちを生かし続けている。
なので、この世界で自分の夢を叶えたいと思うことは、
神からは全く反れていない。
この自我の世界を、
もっと心地よくしたいということでもない。
実際、僕達は〝神〟に出会うために夢を追っているのだ。
(まあ、夢を追わずとも、神は今、ここに在るのだけれど)